「金曜日の放課後、いただろ。体育館」
「へっ」

 朝、登校してくるなり白布くんにそう話しかけられた。まさかその話題に触れられるなんて思ってもみなくて動揺してしまう。吉浦さんに誘われたからとはいえ、なんとなく気恥ずかしい。白布くんは鞄を机の横にかけながら「とぼけても無駄だぞ。見えてたし」と言った。

「い、いました」
「やっぱりな」
「な、なんだかすみません……」
「いや別に謝らなくて良いけど」

 席に座って、白布くんは一つあくびをこぼした。土日もみっちり練習だったらしい。眠たそうに目をこすると「で、どうでしたか」と少し気恥ずかしそうに言った。

「すごかった、よ」
「牛島さんは全国区の選手だからな。日本代表にも選ばれてるし」
「え、そうじゃなくて。白布くんがすごかったよ」
「…………俺?」
「うん。え、もしかしてわたし、変なこと言ってる?」

 素っ頓狂なことを言ってしまったのだろうか。でも、本当にそう思ったのだけど。
 試合の中で白布くんは、バレーの試合でよく見るスパイクやサーブといった攻撃をすることはあまりなかった。けれど、前に調べたとおり試合中一番ボールに触れて、一番よくコートの中を見なくちゃいけないポジションだということを実感した。どういう攻撃をするのか、誰にボールを託すのか。どう相手の隙を突くか、どう相手を追い込むか。牛島先輩という強力な選手がいるから一見簡単そうに見える試合運び。けれど、簡単そうに見える≠ニいうのは白布くんの静かな思考があってこそのものなのだろうと、白布くんを見ていて思った。
 すごい人が仲間だからこその苦労もあるだろうな、なんてなんとなく感じたのだ。すごい人の力を発揮するためには、それだけの技術がきっと必要なはずだ。それについていくために、白布くんはどれだけ練習したのだろう。試合運びに何の違和感もないと思えて、攻撃をする人たちが素人目にもすごく見えることも、すべて、白布くんがそれだけ練習してきたからなのだろうと、感じて。それが、すごく、かっこよく見えた、の、だけど。

「すごかったし、かっこよかったと思ったんだけど……」
「……どうも」
「わたし、変なこと言ってる?」
「結構変なこと言ってると思う」
「え、ご、ごめん! でも本当にそう思って!」
「分かった。分かったから。どうも」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「賢二郎やっぱり青春じゃんか!」

 部室に入るなり天童さんが指を差してきた。何事かと思わず眉間にしわが寄る。天童さんの近くにいる太一が「青春ボーイおめでとう」とにやにやしながら拍手をしている。何のことだよ。無言の視線を向けていると、山形さんが「かっこいい青春白布賢二郎おめでとう」と太一と一緒に拍手をしはじめた。

「話が見えないんですが」
「え、女の子にかっこいい! ステキ! って言われたんでしょ?」
「は? 何のことですか」
「太一からのタレコミだから間違いないでしょ」
「太一、何のことだよ」
「朝さんに言われてたじゃん。白布もまんざらでもなさそうだったし青春が成立したのかと思ったけど?」

 朝。太一の言葉を繰り返して記憶を辿って、はっ、とする。なぜそれを太一が知っているのかは簡単だ。朝、太一は授業前ギリギリの時間に俺に辞書を借りに来た。との話が区切りが付いた、ちょうど良いタイミングだったことを思い出す。こいつ、話聞いてたな。そう太一を睨み付けると「え、怖いんですけど」と太一が天童さんの後ろに隠れた。

「めちゃくちゃクールな返ししたんでしょ? 賢二郎かっこいい〜!」
「女子にかっこいいって言われてどうも≠ヘないわ〜。そこは爽やかに笑ってありがとう≠セろ!」
「おい太一」
「いやだって仕方ないじゃん、聞こえちゃったんだもん。喋っちゃうだろ健全な男子高校生なら」

 「ね、先輩」と同意を求める太一に「喋る喋る。言いふらす」と山形さんが笑い、天童さんも「喋っちゃうよね〜」と言った。思わず舌打ちがもれると「キャーこわ〜い!」と天童さんが山形さんと抱き合った。クソ、太一あとで覚えてろよ。睨み付けてやると「でも言われてたのは本当じゃん」とけろっとした顔をした。

「言われたことには言われたんでしょ?」
「どうなんだよ白布、言われたのか〜?」
「言われてましたしちょっと照れてました」
「おい太一、お前寮戻ったらぶっ飛ばすからな」
「でも言われてただろ?」
「…………」
「思い出し照れ〜!」
「天童さんもあとで一発殴っていいですか」

 舌打ちをまたこぼしつつ、自分のロッカーを開けて着替えをはじめる。背後でまだ青春青春と囃し立ててくる三人は放っておく。後から部室に来た瀬見さんもその輪に入って「マジ? 白布彼女できたのか?」と茶化す気満々だったから思いっきり無視しておいた。ついでに一緒に来た五色も騒ごうとしたから黙らせておく。太一、本当に寮で五回はぶっ飛ばす。
 の言葉をぼんやり思い出す。まさか、あんなふうに言われると思わなかったから驚いたし、そんなことを素直にそのまま伝えてくると思わなくて意外だった。いつも言葉を慎重に紡いでいるし、何か言おうとして迷っている様子をよく見ていたから。が変なことを言うなんてこと、一度もなかったのに。何をそんなに慎重になっているのかはよく分からない。でも、それがとても誠実に人と向き合おうとしているように見えたから何も言わないようにしている。にはなりに思いやりを持って人と接しているのだろうし。俺が口を挟むところじゃない。
 金曜日、体育館にがいたのを見つけて、すごく驚いた。バレー部の練習試合を覗きに来るのなんて、大抵牛島さんか瀬見さん目当ての女子か冷やかしで見に来るやつばかり。ふつうに応援していくから別にいても問題はないけど、純粋にバレーが好きだから見に来ているやつなんてほんの一握りだ。だから、がギャラリーに混ざっていることが意外だったし、これまで見に来たことなんか恐らくないだろうになんで来たのか気になって。隣に野中と吉浦がいたからあの二人に引っ張られてきたのだろうとは思うが。でも、もしかしたら誰か目当てのやつがいるのかもしれない。そう思うと誰なのか気になった。去年一緒のクラスだった太一かとも思ったが、は太一の下の名前を知らなかった。ふつう、好きなやつのフルネームくらい知っているものだろうから太一ではない。じゃあ、誰だろうか。考えたけど大抵は牛島さんか瀬見さんだ。もそうなのだろう。なんとなく、イメージにはないけど。
 そう、思ったのに。試合開始間近、何気なくのほうを見たら、と目が合った気がした。が一瞬肩をびくつかせたように見えたから、目が合っているというのは勘違いではないようだった。けど、なんで俺? そう不思議に思いつつ、目が合ったのにそのまま目をそらすのもどうかと思い、普段は絶対にしないけど小さく手を振ってみた。にはいつも世話になっているし。そう思ったのだが、は不思議そうな顔をして後ろを振り返る。それからまた不思議そうに野中と吉浦の顔を見てから、俺のほうを向き直した。自分に向けてだと気付いていない。ふつう、にだって分かるだろ。その戸惑いっぷりがおかしくて笑ってしまったことを思い出す。
 お前のことだよ。内心そう思いつつ、ほんの少しだけ、本当に少しだけ、かわいいな、とか、思ったり。

「金曜日、見に来てたもんな。試合」
「え、そうなの? 賢二郎の彼女見たかった〜!」
「疲れるんでその話やめてもらっていいですか」

 ため息をつきつつシャツをロッカーに入れていると、視線を感じた。そっちに顔を向けると、二年のやつが太一に「なあ、って?」と声をかける。太一が「え、そうだけど」と言うとそいつは「マジかよ。白布大丈夫?」と苦笑いをこぼした。

「何が?」
「俺、と同じ中学だったんだけど、あいつ中学のときすげー女子に嫌われててさ」
「は? なんで?」
「知らねー。中二の後半から女子が急に誰もに話しかけなくなってさ。なんかいじめみたいになってたから、やべーやつなのかなって」

 笑いながら言うそいつの話は、具体的なことが一つもなくて内容が分からない。なんでが無視されたのか、その原因は一切分からない。けれど、いじめられているほうに問題があるとでも言いたげなそいつの口ぶりに苛立った。

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