アイツって変わってるよな。遠巻きに言われるその言葉にはもう慣れた。自分が変わってるとか変わってないとか、そういうのは分からない。けれど、言われるその悪意が滲む言葉はもうどうでも良くなっている。
 うるさい教室の喧噪を遮るようにイヤホンをつけて、スマホを横画面にする。たったそれだけで教室ではない場所へ行ける。わたしの手の平の上がアイドル・桜野ひらりのステージになる。
 わたしが桜野ひらりに出会ったのは三年前。人付き合いが得意じゃないわたしに友達なんかいなくて、中学での生活がとても苦痛だった。クラスメイトたちが話していることに一つも興味がなくて、なんだか子どもっぽいと内心で馬鹿にしていた。あの子がかわいいとかかっこいいとか、誰が好きとかなんとか。そういうのがとてもくだらなく思えて、混ざりたくなかった。高校に行ってもこんな毎日なのかな、と暗い気持ちだったとき、たまたまSNSで回ってきた桜野ひらりの動画。それがきっかけ。
 アイドルなんて男に媚び売って内心馬鹿にしてるんでしょ、と思っていたから嫌いだった。歌も踊りも子ども騙しの安っぽいものだけじゃん。そう決めつけていた。そんなわたしが桜野ひらりの動画を再生した理由だけは未だに分からない。なんとなく、とかそういうふうにしか言えない。
――ねえ、貴方は今どこを見て何を思うの。それは絶対無駄じゃない。だから貴方だけのフレーズを聴かせてよ。
 桜野ひらりのデビュー曲「桜の花がひらり」。SNSでの反応はいまいちだった。リツイートもいいねも二桁止まり。たった三件しか来ていないリプライは「曲がありきたり。売れないなこれ」、「どこかで聴いたような曲」、「ダサい。リピートはしないな」だった。
 怖かった。人と違うことを思っているんじゃないか、話してしまうんじゃないかって。ずっとそれが怖かった。変な子って言われることが嫌だった。でも、桜野ひらりの歌がわたしを肯定してくれた。「貴方だけのフレーズ」。わたしは変わっているのではなく、わたしだけの考えを持っているのだと、言ってくれたように思えた。ありきたりでも、どこかで聴いたようなものでも、ダサいからリピートをしないと言う人がいても、わたしにとってそれは、救いになった。
 デビュー記念イベントが開催されると知って、どきどきしながらチケットを買った。秋葉原の小さなスタジオで行われたライブ。桜野ひらりは優しく微笑んでいた。見ているファンは、わたしを入れて数十人だけ。大人気アイドルたちからすればクソみたいな観客数だっただろう。それでも桜野ひらりは笑って「一人一人の顔覚えられちゃいそう!」と一人一人の顔をよく見るようにはしゃいでいた。そして、わたしの顔を見た瞬間、「やった、女の子だ!」と言った。それがとてもとても、心臓がはち切れるほど、嬉しかった。わたしなんかが応援しても桜野ひらりは喜ぶのだ。そう、認めてもらえたような気がして。
 気付いた頃には、桜野ひらりのグッズやCDは買えるだけ買っていた。部屋中が桜野ひらりでいっぱいになって、スマホの音楽も全部桜野ひらりになった。大好き。いつも笑顔で明るくて、誰よりもファンを想ってくれる桜野ひらりが大好き。歌詞を書いているのが本人だと知ってなおさら好きになった。大好き。何度聴いてもわたしの背中を押してくれる。
 ひらりだけいてくれればいい。わたしのフレーズを認めてくれるのもひらりだけでいい。そう、本気で思うようになった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 高校三年生の夏前、数学教師が都合により休みになり自習になった。プリントが一枚渡されたので黙々とそれをクラスメイトたちは解いていたが、五分も経てばおしゃべりがあちこちではじまった。窓際の一番後ろという好位置にいるわたしは、プリントを終わらせてからこっそりひらりの動画を見ている。いつもの明るい曲じゃなくてちょっと大人っぽいラブソング。恋愛なんて興味ないけど、ひらりの曲だととても素敵なものに思える。
――私の想いはいつもいつも、海の底へ沈みゆくの。どうして貴方は私を見つけてくれないの?
 濃いブルーのドレスを着たひらりが水に沈んでいくミュージックビデオ。痛そうに瞳を閉じるひらりの表情がつらくて見ていられない、と思ったのに何度も見てしまう。ひらりはこの曲をどんな気持ちで作ったのだろう。どんな恋愛を想像して作ったのだろう。
――夢に見るわ、貴方の声を。きっとずっと忘れられない歌声を私だけに聴かせてほしいの。
 わたしにもそう思える人が、いつか、現れるのかな。ひらりはいつだって肯定してくれるけれど、答えてはくれない。当たり前だ。わたしはひらりの曲を聴いているだけ。友達でも何でもないのだから。我ながら気持ち悪いファンで笑ってしまう。

「おーい、聞こえてるか?」

 ビクッと肩が震えた。突然降ってきた声に顔を上げると、わたしの前の席の男子がこっちを見ていた。誰だっけ。クラスメイトとは一部の女子以外と話さないから名前もうろ覚え状態だ。どぎまぎしつつ「なに」と声を出してみる。久しぶりに声出した。ちょっとかすれてたかも。そんなふうに恥ずかしくなっているわたしなどには知らん顔して「プリント終わった?」と男子が言った。見せろっていうやつか。自分でやりなよ、これくらい。授業聞いてれば普通に分かるじゃん。うんざりしながら「終わったけど」と返したら「え、じゃあ全部分かる?」と期待の眼差しを向けられる。はいはい、見せるから。今ひらりの動画見たいんだから邪魔しないで。そう思いながらプリントを手に取ろうとしたら、バサッ、と机の上に半分白紙のプリントが広げられた。「夜久衛輔」。やく、もりすけ、かな。はじめて知った。夜久は何度も消しゴムをかけたらしいところを指差して、わたしの顔を覗き込んだ。

「ここ教えてほしいんだけどいい?」
「……プリント、貸すけど」
「え、写すだけじゃ分からないままだろ。頼むって」

 苦笑いをこぼされた。中学のときの男子はみんな、プリントを写したらさっさとわたしから離れていく人ばかりだった。でも、夜久は違うんだな。まあ結局はいいように利用されているだけだけど。わたし、ひらりの動画見たいのに。そんなことを言えるわけもなくて仕方なく説明することにした。
 人に教えるなんてこと、普段しないから困る。言葉に詰まりながら、順番を間違えながら、どうにかこうにか説明していく。コイツ説明下手だなって思ってるんでしょ、どうせ。別のやつに頼めばよかったって後悔してるんだ、絶対。そう思えば思うほど、声が小さくなってしまって。説明が終わった頃にはぼそぼそと気持ち悪い話し方になっていた。
 もういいでしょ、これで分からないなら先生に聞いたほうがいいよ。そんなふうに投げやりに思っていたら、夜久はじっとわたしの目を見た。目、でっか。男なのに女のわたしよりでかいんじゃないの。かわいい顔。羨ましい。そんなことを考えているなど知るわけがない夜久が「なんか」と口を開いて、ぱっと笑った。

「落ち着いてて聞きやすいな、の声。に聞いてよかった」

 「邪魔してごめんな、サンキュー」と言って夜久はプリントを手に取る。くるりと背中をわたしに向けた。少し背中を丸めてからまた問題を解きだしたようだった。
 またスマホに視線を落とす。俯くと同時に伸びた髪が落ちて、うまいこと顔を隠してくれた。意味、分かんない。わたしの声が? 落ち着いてて聞きやすい? わたしに聞いてよかった? そんなの、言われたことない。絶対そんなわけないよ、馬鹿じゃないの。そうやって煽てたらまた教えてくれるって思ってるだけでしょ。馬鹿にしてるくせに、わたしのこと。浮いてて地味で暗い女子だって、どうせ馬鹿にしてるんでしょ。
 心臓がうるさい。それがとても気持ち悪くてたまらない。馬鹿にされて傷付いたせいだ、きっと。スマホをぎゅっと握る。画面の中できらきらの衣装を着て軽やかにダンスをするひらりを見たら、ちょっと落ち着いた。やっぱりわたしにはひらりしかいないなあ。ひらりを見るだけでこんなに元気になれるよ。そう、少しだけ泣きそうになった。
 明日はひらりの新曲発売日だ。本当はイベントに行きたかったけど、明日は平日。ずる休みをしてでても行きたかったけど、SNSで繋がっているひらりファンの中学生が学校を休んでふらついていると思われて大変な目に遭ったと言っていた。情けないけどそれがちょっと怖くて。ひらりもSNSで「学生のみんなはごめんね。勉強頑張ってね!」と発信していた。ギリギリまで悩んだけど結局諦めた。勉強頑張るよ、とひらりにリプライを送って。

「それ、何見てんの?」

 どきっと心臓が跳ね上がる。さっきと同じように顔を上げると、またしても夜久がわたしのほうを見ていた。プリントはどうした。どうせまだ解き終わってないんじゃないの。そう少し警戒してしまう。夜久は「ごめん、やっぱ分かんなかった」と苦笑いをこぼす。やっぱり。わたしなんかの説明じゃ分からないんだから、他の人に聞けばいいのに。そう思いつつ「別に」とだけ返しておく。どうせひらりの良さが分かるタイプじゃない。
 桜野ひらりは、世間様が言うところの売れないアイドル≠セ。CDの売り上げもいまいち、テレビの出演は未だなし、SNSのフォロワーも三桁。それでも、ひらりはいつも笑っている。売れていない、かわいくない、曲が良くない、そんなふうに馬鹿にされてもひらりは「でも私は私が好き」といつも言う。そんなひらりが大好きで、わたしにとっては光だ。
 夜久は見るからにアイドルに興味なさそうだし、教えたところでお互い嫌な気持ちになる。そう思ってスマホの画面を消そうとしたら、夜久が勝手に覗き込んできた。最悪。こういうずかずか踏み込んでくるやつ、大嫌い。

「へー、ってこういうの好きなんだ。なんか意外だな」

 うるさい。ほっといて。わたしの勝手でしょ。わたしの光を馬鹿にしないで。ぐっと言葉を堪えて「何でも良いでしょ」と返しておく。もうこれ以上触れないで。そういう気持ちをありったけ込めた。

「あんまこういうのよく分かんねーけど、きらきらしててきれいだな」

 きょとん、と固まってしまう。大体わたしが桜野ひらりのファンだと知った人は、「よく分からない」、「なんで好きなの?」、「他に人気のアイドルいるじゃん」と言ってきた。そう言われるのが嫌で極力ひらりのファンだと人に言わないようにしている。好きそうな子には布教しているけれど。
 きらきらしててきれい。夜久が言ったその言葉が、なんだかとても嬉しかった。ひらりは人気がいまいちでも、一生懸命書いた歌詞が没を喰らっても、いつでも笑っているのだ。いつでもきらきらしているところだけをファンに見せようと頑張っている。だから、ひらりを知らない夜久がそう感じたことが、ひらりの努力が実った証だと思えて。
 きらきらと銀テープが舞うステージで、ひらりが踊っている。このステージをきれいだと言ってくれたことが、嬉しかった。


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