――2022年9月30日金曜日


 帰ってきた秋紀と夕飯を食べて、もうそろそろ秋紀がお風呂からあがってくる頃合いだ。ソファに座ってぼうっとテーブルの上を見ている。今年も去年と同じく、秋紀が花束を買ってきてくれた。今年も色とりどりできれいだ。ずっと見ていられる。自分の誕生日なのに、結婚記念日も兼ねてしまっている。誕生日がクリスマス、とかそういう感じだね。そんなふうに笑ったら「いいこと尽くめじゃん」と秋紀も笑っていた。そういうふうに捉えられる人なんだなあ。知っていたけど、やっぱり好きだな。なんて、一人でくすぐったい気持ちになった。
 お風呂場のドアが開いた音。すぐあとに秋紀がリビングに戻ってくると「何か飲む?」と言いつつ冷蔵庫のほうへ歩いて行く。「大丈夫。ありがとう」と返すと「んー」と返事があった。
 水を持って戻ってきた秋紀がソファに座る。髪の毛からぽたぽたと水滴が落ちてしまっているのを指摘すると「えー拭いてー」とにこにこされてしまった。かわいくない、はずなんだけど、わたしにはかわいく見えるから参ってしまう。秋紀の首にかかっているタオルで髪を拭くと、ご機嫌に笑われてしまった。
 秋紀の髪をそれなりに拭いてからタオルを首にかける。ぼさぼさになってしまった髪を手ぐしで整えていると、秋紀が顔を寄せてきた。言葉はなくてももちろん分かる。はいはい、と思いながら目を瞑ると「今ハイハイって思っただろ」と言い当てられる。だって、仕方ないじゃん。そう笑うと「泣くぞ、本当に」と笑い返してくれつつ唇が重なった。そのまま軽く体を押されて、簡単にソファに押し倒されてしまった。別にわたしの力が弱すぎるとかそういうわけじゃない。相手が秋紀だから、そうなるだけだ。
 わたしの頬を両手でそっと包むと、親指の腹でゆっくりと肌を撫でる。愛おしそうに、大事そうに。この人はどうしてこんなにも優しくわたしに触れるのだろう。今でもたまに、不思議に思ってしまう。

「ねえ」
「ん? やだ?」
「そうじゃなくて。秋紀ってなんでわたしのこと好きになったの?」
「……今更すぎない?」

 ちょっと困ったように笑われた。わたしの頬を撫でたまま「んー」と秋紀が少し考える。じっとわたしの瞳を覗き込んだまま、小さく笑っては「んー」と繰り返すだけ。なんだか、一人で思い出を見返しているような感じがして、ちょっとムカついた。

「木葉≠ナ秋°Iだから、って言ってくれたから」
「……ちょっと意味不明なんだけど」
って人に興味なさそうだったじゃん。はじめのころ」
「そうだけど?」
「それなのに、俺のくだらない思いつきにちゃんと付き合ってくれたのが、嬉しくて。気付いたら好きになってた」
「……単純すぎない?」
「何とでも言えー」

 楽しそうにふにふにと頬を触るものだから困ってしまう。そんな、そんなとても単純で、とても些細なことで、こんなに甘やかされているなんて、正直信じられない。変なの。思わずそう呟くと秋紀は「単純でいいだろ」と笑った。

「きっかけがそれってだけで、これまでの十二年間で全部を好きになったんだよ」

 そういうもんだろ、と言ってまた唇を重ねてきた。そういうもん、かあ。そうなのかもしれない。言われてみればわたしだって同じようなものだ。まあ、わたしの場合は、一度離れないと気付かなかったかもしれないけれど。このことを言うと秋紀が拗ねるので黙っておく。今日はお誕生日様の言う通り、なのだから。嫌な思い出は今日だけは見なかったことにしておく。わたしにとっては必要で大事な出来事ではあったけれどね。
 するりと顔の輪郭を撫でた指がたまらなく好き。優しさと温かさしかないから。ちょっとすけべで変態なときもあるけど、まあ、秋紀だから許せる。ギリギリかわいいって思えることも多い。ちょっと呆れるときもあるけれど。

「……秋紀」
「ん? 何?」
「ベッド、連れてって」
「……はい、もちろん」
「なんで敬語なの」
「いや、今の、めちゃくちゃかわいかったから。ちょっと感動したくらい」
「うるさい。早く連れてって」

 いちいちそういうこと言わなくていい。恥ずかしい。そんなふうに非難すると笑いながらわたしを抱き上げてくれた。秋紀の首に抱きつきつつ、「お誕生日おめでとう」と囁く。秋紀はわたしの背中を撫でながら「こちらこそ結婚してくれてありがとう」と言ってくれた。
 秋紀にとっては九月三十日は、自分の誕生日というよりは結婚記念日という意味合いが強いらしい。でも、わたしはどこまでも、今日という日を、秋紀のために祝いたいよ。生まれてきてくれてありがとう、と、心からの感謝を込めて。これからもずっと、永遠に。秋紀がずっと色とりどりの花束をわたしのためだけに渡してくれても。ありがとうと言ったあとに、わたしは必ずお誕生日おめでとうと言い続けるよ。
 修正テープを踏み潰そうが、待ち合わせに遅れてこようが、変態っぽいことを言おうが、甘すぎるほどに優しかろうが、ちょっとのことですぐに泣いてしまおうが、へんてこなプロポーズをしてこようが。わたしは、ずっと。

「秋紀」
「なーに」
「愛してる」
「……俺も。愛してる」

 これからもずっと、そう笑って言ってほしい、なんて言ったら、さすがに秋紀も困るかな。こっそり笑っていると、静かに寝室のドアが開けられて、すぐに閉まる。薄暗い部屋には月明かりだけが差し込んでいて、とても、穏やかな時間が流れている。未だに緊張すると打ち明けたら、秋紀は笑ってくれるかな。でも、きっと「大丈夫だよ」ってとても優しい顔をして言ってくれる。まるではじめてのときみたいに。それはそれで悔しいからやっぱり教えないことにした。


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