――2011年9月30日金曜日


「あ、! ちょっとちょっと!」

 騒がしい。そんなに大きな声で呼ばれなくても聞こえてるってば。伸びをしつつ「はいはい。何?」と振り返る。昇降口から慌ただしくこちらへやってきたのは、木葉だった。
 二年生になって木葉とはクラスが離れた。ただ、あの修正テープの一件から妙によく話すようになって、今でもこんなふうに話しかけられることが多い。わたしの隣までやってくると「おはよ」と笑った。いや、それ先に言えよ。わたしも笑ってしまいつつ「はいはい。おはよう」と返しておく。朝練終わりらしい。滲んだ額の汗を軽くタオルで拭いて一つ息を吐いた。

「で、何?」
「今日何の日だと思う?」
「は?」

 やけににこにこしている。これ、外したら拗ねるやつだな。面倒くさい。今日って何日だ。えーっと、九月の、三十日か。金曜日。特に変わった行事もなければ何事もない日付だ。思い当たる○○の日≠烽ネい。でも、木葉に限って引っかけ問題はないだろうし、なんだろうか。考え込んでいるわたしの顔を覗き込んで木葉が「え、マジ? 分かんない?」と眉を八の字にしつつ呟く。

「思い当たるものがないんだけど」
「嘘だろ。ショックすぎる……」
「何? 小テストとかあったっけ?」
「そんなバッドニュースでこんなテンション上がらないだろ……」

 確かに。そう納得していると、木葉が「ヒント、一年前」と言った。ヒントが一年前って、なんだそりゃ。一年前のこの日のことなんか覚えてないでしょ。何か印象的な出来事があったなら別だけれど。九月三十日。全くピンと来ないな。

「マジで? 本気でショック……秋紀泣くぞ……」
「勝手に泣いてて。で、なんだっけ?」
「木葉≠ナ秋°Iの日じゃん」
「…………あー、誕生日?」
「ピンと来るのが遅い! あと合ってるけど若干違う!」

 若干違う、とは? そう少し考えてようやく分かった。ちょうど一年前の木葉の誕生日、わたしの修正テープを踏ん付けた日のことを言っているのだろう。そのときもらった修正テープは今も現役で使っている。木葉もそのときの黄色い修正テープを今も使っているようだった。

「友達記念日忘れんなよ〜」
「友達記念日って。はじめて聞いたんだけど」
「じゃあ今年から覚えて」
「はいはい記念日記念日」
「適当に返すな!」

 けらけら笑って軽くわたしの肩を叩いた。痛いんですけど。しっしっと手を払う真似をしたら余計に笑う。朝から楽しそうで何より。わたしもちょっと笑ってしまった。
 廊下を歩いていると、木葉と同じクラスの子が「あ、誕生日おめでと〜」と声をかけた。それに釣られて他の子も木葉に声をかけていく。わたしはここでお役御免だ。木葉は友達が多いから一緒にいるとちょっと引け目に感じてしまうときがたまにある。そそくさとその場を後にしようとしたら、ガシッと木葉に腕を掴まれた。びっくりして振り返ると、特に何か言ってくるわけでもなく、声をかけてきた子たちと軽く会話を交わしていた。いや、なんで?
 それから、ものの十数秒で「じゃあ、またあとでなー」と言ってその子たちと別れる。わたしの手を離してから何事もなかったように「でさー」と話を続ける。変な人。別にわたしとの話なんてどうでもいいだろうに。

「一応お友達記念日ということで、こちらを贈呈します」
「え? 何? プレゼント?」
「いや、そんな仰々しいものじゃないけど。何となく」

 小さな封筒のようなものを渡された。いや、おかしいでしょ。木葉の誕生日なのに。わたしが木葉から物をもらってどうする。不思議に思いつつも一応わたしに用意されてしまったものなので受け取るしかなくて。開けてみると、映画の割引券が入っていた。

「木葉秋紀と一緒に映画に行けるスペシャルチケットで〜す」
「割引券なんで普通に実費ですよね? 返品できますか?」
「ひでーな!」
「嘘嘘。いいじゃん映画。わたし映画館で観る派だから普通に嬉しい」

 ありがと、と軽く言っておく。でも、本当に普通に嬉しい。映画好きなんだよね。映画館で観ると迫力満点だし、何より主題歌とかを大音量で聴けるのがいい。ポップコーンも大好きだし、あの薄暗い空間も大好きだよ。そう言ったら木葉がちょっと固まった。それから「なら良かった」とはにかんだ。
 木葉は日頃から部活で忙しい。いつに行こうかあーだこーだ話しているうちにわたしの教室に到着してしまう。もうそのうちチャイムも鳴っちゃうし、スケジュール確認は後だ。木葉が「じゃ、また後でそっち行くわ」と軽く手を振ってから歩いて行く。その背中に、あっ、と思った。

「木葉」
「ん?」
「誕生日おめでとう」

 ちゃんと言ってなかった。思い出せて良かった。友達なのに祝わないやつになるところだった。プレゼントも何もないのだけど。苦笑いをこぼしてしまうわたしに、木葉はいつも通りの明るい笑顔を見せてくれた。「ありがとな」とまた手を振ってから、こちらに背中を向けた。


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