――2010年9月30日木曜日


 高校生って大変だ。そうため息を吐きながら教室に入る。梟谷学園高校に入学してもう半年以上が経った。でも、なんだかいまいち、高校生活を楽しめていない自分がいる。勉強もつまんないし、中学で入っていたからという理由で続けている部活もつまんないし、正直そこまで気の合う友達もできていない。みんなと程良く距離を保って関わっているだけの日々。つまんない。高校生が人生で一番楽しい時期だとか何とか、お母さんが言っていたのに。きっとそれは所謂陽キャ≠ニ呼ばれる人たちの世界の話なのだ。
 たとえば、あの辺りのグループとか。そうちらりと目をやった先には男子と女子がワイワイ楽しそうにしている。わたしと同じクラスの中でも賑やかでいつも楽しそうにしている子たち。何がそんなに楽しいんだか、とちょっと冷めた目で見てしまっている。そんな自分がダサいからこちらからはあまり関わらないようにしている。
 その中の一人、木葉秋紀くんが何やら他の子たちから物をもらっているのが見えた。かわいい包みの袋とか、小さい箱とか。それを受け取るたび「え、いいのに。ありがとな!」と笑っている。その様子からして、きっと誕生日なのだろう。今日なのか昨日なのか明日なのかは知らないけれど。正直話したのも二、三回くらい。どんな人なのかは知らない。背が高いし体育の授業で男子が同じチームによく誘っているから運動部なのだろう、というくらいしか情報がない。でも、明るくてみんなの人気者、って印象だ。
 一つあくびをこぼして机に鞄を置く。一限目、英語だ。嫌だなあ。あんまり得意じゃない。まあ、勉強はもれなくほとんど得意じゃないし好きじゃないけれど。またため息。全然楽しくない。中学のときのほうがまだマシだったくらい。変に受験を頑張ってしまったのがいけなかったのかな。有名校だし箔が付くから、と先生に勧められたのをそのまま受け取らなければよかった。家からそこそこ遠いし、中学の友達はみんな別の高校だし。人生、失敗しちゃったなあ。
 がっくりしつつ鞄からペンケースを出したときだった。開けっぱなしのまま鞄に入れていたみたいで、出した拍子に何かが転がり落ちてしまう。あ、まずい。面倒な方向に転がっていく予感がする。慌てて拾おうとしたけれど時すでに遅し。わたしの小型の修正テープが木葉くんの足下に転がっていった。そうして、それに気付かずに、木葉くんが一歩踏み出してしまった。

「あ」
「え」

 しっかり嫌な音がした。グシャなんだか、ガシャなんだか、表現しがたい嫌な音。まあ、そりゃそうなるよね。ちゃんとしっかりしたものを使っていれば簡単に割れることもなかっただろうけど、わたしが使っていたのは今流行りのすごく小さくて軽いというのが売りの商品。衝撃に弱いことは誰だって分かる。
 明らかに顔色の悪い木葉くんが恐る恐る足を上げた。そこには、まあ、結構粉々になっている修正テープ。それを見た周りの人たちが「うわ、木葉サイテー」と愉快そうに笑った。他人事だからいいよね、そんなふうに笑えて。踏まれた人と踏んだ人はそんなふうに笑い飛ばせないっつーの。

「ごめん、マジでごめん、新しいの買って渡します」
「いや、いいよ。落としたのわたしだから。ごめんね、気まずい思いさせて」

 会話をするのが面倒でそれだけ言って木葉くんの足下に手を伸ばす。プラスチックの破片を拾っていると、木葉くんもしゃがんで拾い始める。気まずすぎる。これが仲の良い相手なら笑っていろいろ話せるのに。なんだか面倒になって、手で床を掃くようにして破片を集めると、木葉くんが「おいおい待て待て」と焦ったように言った。それから、わたしの手を掴んで、持ち上げる。

「怪我したら危ないだろ!」

 わたしの手を観察しつつ、汚れたところを払ってくれる。いや、プラスチックだし、そう簡単に手なんか切らないでしょ。そう思っているわたしを置いてけぼりにして「踏んだの俺だから。ごめん。後で購買で買うから」と小さく頭を下げられた。
 木葉くんがハッとした様子でわたしの手を離す。「ごめん、触っちゃった」と照れくさそうに言われて、なんだかぽかんとしてしまう。木葉くんって、そういう感じなんだ。明るくて、人気者で、なんだかおちゃらけている人なんだと思っていた。でも、目の前にいる木葉くんは全くそういう感じがなくて。なんだか、とても驚いてしまった。
 授業で使うかもしれないから、と木葉くんが自分の修正テープを渡してきた。そんなに使う機会もないし、別にいらないと断ったのだけど、どうしても引いてくれなくて。仕方なく修正テープを受け取った。男子に物を借りたのは、はじめてかもしれない。物の扱いが雑なイメージだったけど、木葉くんのそれは傷一つついていない、きれいな状態だった。それを見つめているわたしに木葉くんが「ちゃんと新品買うから! それを返すって意味じゃないからな?!」と慌てていた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




さん」

 お昼休みに入るなり、木葉くんが声をかけてきた。視線を持ち上げてから「これ、ありがとう。使わないから返すよ」と言いつつ修正テープを手渡す。木葉くんはそれを受け取りながら「今から購買行ける?」と聞いてきた。本当に買って返してくれるつもりなんだ。別に気にしていないし、自分で買うからいいのに。そう思ってもう一度断ってみたけれど、木葉くんがとんでもなく申し訳なさそうな顔をするものだから、断り切れなくて。
 意外と気にしいな性格なのだろうか。もっと大雑把そうなイメージだったのに。ぼんやり思いながら木葉くんの隣を歩く。こうして並んでみると本当に背が高い。全体的に細いから威圧感はそこまでないから話しやすいほうだとは思う。
 木葉くんはころころと話題を変えながらいろんな話をしてくれた。たぶんわたしがあまり話さないから気を遣ってくれているのだろう。気遣いの人だなあ。しんどそう。そう思いながらとりあえず相槌は打っておく。特に自分から話題を振ることのないわたしに対しても木葉くんは他の人と変わらず話してくれる。優しい人なのだろう。でも、それがちょっとだけ、鬱陶しいな、とか。そう思う自分が最低だな、と苦笑いをこぼしてしまった。
 購買に着くと、木葉くんが真っ先に文房具のコーナーへ向かう。購買の小さなスペースなので売られているものは限られている。わたしが元々持っていたものは大きな本屋さんで買ったものだ。商品数がかなり絞られている購買には当然のように置かれていなかった。

「うわ、一緒のやつないな……ごめん、俺今日帰りどっかで買ってくるから、明日まで待ってもらってもいいですか……」
「一緒のじゃなくていいよ。別にこだわってたわけじゃないし」
「でも、さんのやつってかなり小さいやつだっただろ? これだと大きいからペンケースに入らないと思うし」

 まあ、確かにそうだ。家が遠くて通学時間がそこそこかかるから荷物をできるだけ軽く、と考えていたら何でもかんでも小さくなってしまって。文房具まで小さくしはじめたときにはお父さんから「さすがにやりすぎだろ」と笑われたほど。
 でも、別に、だからって人に苦労させるつもりはさらさらなくて。置いてある中で一番小さいものを指差して「これでいいよ、そんなに気にしてくれるなら」と苦笑いをこぼしておく。本当にどうでもいいのだから。気に入らなかったら自分で買い直すだけ。今はとにかくこの木葉くんからの申し訳ないオーラ≠ゥら逃げたくて仕方がなかった。
 木葉くんは「え〜……本当にいいの?」と苦笑いをこぼす。いいってば。もうあんまり関わらないで。そう思いながら「いいよ。こだわりがあるわけじゃないから」と言えば、渋々納得してくれた。「何色がいいですか」と聞かれて、じっと色のラインナップを見る。なぜか派手な色味のものしか残っていない。正直、白とか黒とか、そういう目立たない色がいいんだけどな。そう迷っていると木葉くんが「やっぱり俺探してくるよ」と言い始めてしまった。うるさい、その話はもう終わったばかりでしょうが。

「じゃあ、木葉くんさ」
「お、おう」
「これ買って、わたしに木葉くんが今使ってるやつちょうだい」
「……え? なんで?」
「ほしい色がないから。木葉くんが持ってたやつ、白だったし小さめだったでしょ」
「そ、そうだけど……使いかけでいいの?」
「いいよ」

 面倒だからそれでチャラにしてくれ。内心そう思っていると、木葉くんが「さんがそれでいいなら、いいけど……」と言ってポケットから財布を出した。それから修正テープを一通り見てから、なぜだかわたしに視線を戻してきた。

「何色がいいと思う?」
「は?」
「いや、俺が言うのもあれですけども、何かの縁なので選んでもらおうかなー、と……」

 何かの縁って、修正テープを破壊した側と破壊された側の縁ですが。木葉くんが「ごめん、調子乗った」と恥ずかしそうに視線を逸らした。
 変な人。でも、なんかかわいい人だなあ。人に好かれる理由がよく分かった。素直で、優しくて、思いやりがある。そういう人なのだろう。
 派手な色ばかりの修正テープ。その中の黄色のものを指差す。木葉くんが「え、黄色?」と不思議そうに首を傾げた。木葉くんの持ち物はちらりとしか見たことがないけれど、黄色いものは一つもなかった。だからどうしてこれを選んだのかよく分からなかったのだろう。

「木葉≠ナ秋°Iだから。一番黄色が近いかなって」

 緑の葉っぱというよりは、秋の茶色っぽかったり黄色っぽい葉っぱのイメージだった。そう説明したら木葉くんがちょっと驚いた後に、照れくさそうに笑ってくれた。

「じゃあこれにする。さんは本当にそれで大丈夫?」
「いいってば。元々自分で買うつもりだったし」
「ならいいけどさ……」
「木葉くんこそ災難だったね。誕生日近いんでしょ? 運が悪いね」
「近いっていうか、今日です。誕生日」

 まさかの当日だった。ちょっと間を開けてから「おめでとう」と言っておく。木葉くんは黄色い修正テープを手に取りながら「ありがとう」と笑った。


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