※社会人設定


 高校生のときから付き合っている秋紀とは、ちょうど十年目になる。十年前の秋紀の誕生日にわたしから告白して付き合い始めた。数字にするとなんだかとんでもなく長い時間を共にしたように見える。でも、感覚的にはちっともそんなことなくて。さすがに一緒にいてどきどきするなんてかわいらしい恋心は大人しくなっているけど、一緒にいすぎて飽きたとか異性として意識しなくなったとか、そういうことは全くないままだ。
 気にしているのは、どうやら周りの人たちのようだった。仕事帰りに久しぶりに実家に帰った。秋紀への誕生日プレゼントを実家に隠していたからそれを取りに行ったのだ。部屋の掃除をしていた秋紀に見つかった経験が過去にあるので、サプライズ系のプレゼントはいつも実家に隠すようにしている。紙袋を持って帰ろうとするわたしに母親が「まだ結婚しないの?」と聞いてきた。まだそんな話はしたことがなかったし、なんだか自分にはまだまだ遠い話のように思っていただけに驚いた。まあ、年齢的には聞かれて当然なのか。そんなふうに思いながら「まだ予定はないけど」と言ったら、母親が怪訝な顔をした。そうして「もう十年付き合ってるのに? 結婚する気ないんじゃないの? 木葉くん、変な子じゃなかったのにねえ」と、鋭いナイフみたいなことを言ってきて。それを聞いていた父親も呆れたように「木葉くん、大丈夫なんだろうな?」と同じように鋭いことを言って。びっくりしすぎて何も言葉を返せずにいたら慌てて二人とも謝ってくれた。
 十年付き合ってて結婚の話が出てこないと、変なのかな。秋紀のことを悪く言われるほどのことなのかな。そんなふうになんだかもやもやしたまま帰宅。三年前から一緒に住んでいるアパートの一室。いつも気付いたほうが片付けているから散らかっていることなんてないし、洗濯物や洗い物が溜まるなんてこともない。当番制じゃなくて気付いたほう、余裕があるほうがやるというスタンスなのだけど、大抵それを人に言うと「絶対喧嘩になるやつじゃん」と言われる。でも、家事のことで喧嘩をしたことはない。
 人様から見てもとても上手く、仲良くやっている、はずなのに。それでも結婚の話が出ないと上手くいっていないと思われてしまう。それが普通なのかな。
 今日は秋紀の誕生日。付き合い始めて十年目の記念日でもある。毎年秋紀が「記念日なのに」とぶすくれるのだけど、せっかくの誕生日だから秋紀のことを祝いたくて、記念日は何もしないとわたしが勝手に決めた。秋紀がサプライズで何か買ってきたり急に甘やかしてきたりするけど、全部はっきりNOを突きつけるようにしている。記念日なんて祝わなくても、一緒にいて笑えるだけで十分だから。
 平日の今日、秋紀は仕事とバレーの練習があるから帰りが遅いと言っていた。とりあえず思いつく限りのご馳走を作って、ケーキは帰りにお店で受け取ったものを、と楽しく準備をするはずだった。両親に言われた言葉が頭を巡って楽しい気持ちが出てこない。俯きながらエプロンを着けた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「お〜……お〜〜!!」

 花束とか紙袋とか、そういうものを一旦ソファに置いてから秋紀が嬉しそうにそう言った。好きな物しか作ってないよ。そう言ったら「お誕生日様々じゃん」と笑った。毎年こんなふうに喜んでくれるからつい作りすぎてしまう。
 花束はバレーチームのサポーターの人から、紙袋はチームメイトから。たくさんの人にお祝いしてもらえた様子にわたしも嬉しくなった。本当だったらそのまま飲みに行く流れだったんだろうに、帰って来ちゃって大丈夫だったのかな。もう恋人になって十回目の誕生日だし、たまには他の人を優先したって怒らないのに。そうは思うけど、言おうとは思わなかった。そりゃあ、帰ってきてくれたほうが嬉しいからだ。
 秋紀は自分の荷物をいつもの場所に置いてから手を洗いに行く。その間に花束を花瓶に移しておいた。きれいな花。せっかくなので机に飾ることにした。
 秋紀の誕生日。食卓には秋紀の好きな料理しかなくて、きれいな花があって、たくさんのプレゼントがあって、たくさんの人に祝われているのに家に帰ってきてくれて。とても、幸せなのに。たった一言で揺らいでしまうのか、わたしは。そんなふうに情けなかった。

?」
「うわっ、びっくりした!」
「さっきから呼んでたんだけど。何、どうした? なんかあった?」

 秋紀は首を傾げながら席につく。わたしもエプロンを外してから席につくと、そのまま手を合わせようとする、けど秋紀が「いや、だからどうした?」と苦笑いをこぼすから、いただきますができなかった。箸を持つこともできず、どうしようか考えてしまう。
 言えるわけがない。親にまだ結婚しないのは相手の男が大丈夫じゃないからなんじゃないかって言われた、なんて。だって、秋紀は何も悪くないし、わたしにとってはこれ以上の人はいないって言い切れるくらいの人だ。喧嘩はたまにするし、何度か別れそうになったこともある。でも、とても仲良く十年一緒に歩んできた。わたしとしては心配なんて何もなかった。わたしの両親が勝手に心配しているだけ。そんなことを言って変なプレッシャーを与えたくないし、じゃあ結婚しようかって流れになるのも嫌だし、万が一、結婚する気なんか元からないけどって言われたら、たぶん、泣いてしまう。
 やっぱり言わないほうがいい。そう確信してから「何もないって」と言う。冷めるから早く食べよう、と言えば秋紀は「まあ、それはそうだけど……」とちょっと納得がいかない様子だった。でも本当に。秋紀のために作ったんだから温かいうちに食べてほしいんですけど。そう言ったら「まあ、じゃあ後でな」と言って渋々手を合わせた。
 好物の竜田揚げ、これまでで一番上手に作れた自信がある。食べた秋紀が「うま、何コレ」と言ったのが嬉しくて「でしょ」と得意げになってしまった。普段はあまり味付けが濃いと体に悪いから控えめにしていたけど、今日は味を濃いめにしてある。やっぱりちょっと濃いほうが好きだよね。特別な日だけそうするようにしているから今更だけど。
 十年という年月は、わたしたちの関係を変えなくちゃいけないような年数なのかな。そりゃあ結婚したほうがいいこともあるだろう。でも、しなくたってこれまでと何も変わらない。将来のこととか世間体とか、そういうのさえ気にしなければ別にこのままでも何も問題はない。人に何かを言われることはあっても。
 分かっている。両親はわたしのことを心配して言ってくれているのだ。秋紀を責めるつもりもないし、わたしを責めるつもりもない。ただ幸せを願ってくれているだけ。分かっているけど、秋紀を悪く言われたように聞こえて、とてもつらかった。
 それと同時に、少し思うところがあったのも事実で。それを無理やり掘り起こされた気がして、バツが悪かったのだ。

「えっ、大丈夫か? 本当にどうした?」

 秋紀が箸を止めてわたしの顔を覗き込んだ。ハッとすると、ちょっと顔が熱くなっていることに気が付く。気付いたらぎゅっと唇を噛んでしまっていた。秋紀は左手を伸ばしてわたしの前髪をかき分けると「目、赤いんだけど。しんどい?」と言った。そのまま秋紀の左手の甲がおでこにくっつくと、ひんやり冷たくて気持ちよかった。
 わたしはこの手が好きだ。この声が好きだ。この人のことが、本当に好きだ。だから、木葉秋紀というこの人以外何もいらないはずだったのに。人に不思議がられて、親に結婚を急かされて、不安になってしまった。わたしはこの先の人生に秋紀がいてほしいけど、秋紀は違うのかな。そう思ってしまった。結婚なんて紙に名前を書いて役所に出すだけなのに。何の証明にもならないと思っているのに。

「なんで泣く?! どうした?! ごめん、俺なんかした?!」

 箸を置いておろおろしながら立ち上がった。わたしの横にしゃがむと「どうしたんだよ」と背中をさすり始める。秋紀、何も悪いことしてないのに。思い当たる節なんて一つもないだろうに。なんで謝って心配してくれるの。昔からそういうところは変わらない。それが嬉しくて、胸が痛かった。
 そりゃあ、わたしだって。付き合って六年経ったとき、お互い大学を卒業して新卒として働いているとはいえ、そろそろもしかしたらプロポーズされるかもしれないって思っていた。でも一年経ってもそんなことはなくて、まあ働き始めてすぐは無理か、と反省した。
 翌年、七年目。一緒に暮らそうとなったときにはいよいよかもしれない、とまた期待した。引っ越した初日の夜はそわそわしていたけど、一日、また一日、と経っていくうち、また一人で舞い上がってしまったなあと反省した。
 八年目、わたしの誕生日。すごく人気でなかなか予約が取れないレストランに連れて行ってくれた。プロポーズの定番だ。きっとここだ、と思った。でも、おいしい料理とデザートを食べて、普通に店を出たとき、「あ、違ったんだ」ってわたし、がっかりした。せっかく秋紀がどうにか予約を取って誕生日を祝ってくれたのに。それが申し訳なくて、恥ずかしくて、悲しかった。
 それ以来、結婚を期待しなくなった。それを期待すると何もかもがそればかりになって、秋紀の一挙一動を素直に受け取れなくなるから。結婚しなくたって一緒にいられたらいいじゃん。毎日楽しいし幸せだ。自分にそう言い聞かせて、十年目を迎えていた。

「ごめん、どうした? 何でもするから泣くなって」

 秋紀のことが好きで、好きで、好きで、たまらないから涙が止まらないんだよ。好きだから一緒にいるのに、一緒にいるために好きだって言わせようとしている気がして、苦しい。周りに言われて勝手に不安になって、秋紀にそれを押しつけようとしている自分が情けなかった。

「秋紀」
「うん?」
「好き」
「え」
「好きだよ」

 べそべそと、涙に濡れた声になってしまった。どんなに情けなくたって、どんなに申し訳なくなったって、今日は秋紀の誕生日で付き合って十年目の日に変わりはない。お祝いすべき日に、一緒にいてくれるだけで十分幸せなのだ。好きでもない人と十年も一緒にいられない。好きだから十年こうして一緒にいるのだ。それは秋紀もきっと同じだと信じている。だから、それだけで十分すぎるほど、幸せなことなのだ。

「ずっと好きでいて」

 それだけでいいから、ずっとだよ。言葉は続かなかった。秋紀は涙でぐしゃぐしゃの顔で笑ったであろうわたしの顔を見たまま、目を丸くして固まった。びっくりしてる。そりゃそうだよね。急に号泣して何言ってんのってなるよね。急に恥ずかしくなってきた。服の裾で涙を拭いて笑って誤魔化しておく。誤魔化せていないだろうけど、そうするしかできなかった。

「ごめんごめん、本当になんでもないから。忘れて。冷めちゃうから食べよ」

 秋紀の頭をくしゃくしゃ撫でておく。さらさらの髪の毛、昔からずっと羨ましい。同じシャンプーを使っているのにこうならないんだもん、不思議だよね。どんなに長い時間を共に過ごしても一緒のものにはなれない。わたしが思っていることを、秋紀も思っている、なんてことはない。わたしが好きでも、秋紀が好きでいてくれるかは分からない。それを思ってまた勝手に切なくなった。


「うん? ごめんってば、本当に大丈夫だから」
「ごめん、ちょっと待ってて」

 秋紀が立ち上がって、すたすたと歩いて行く。さっきいつものところに置いた鞄を手に取ると、リビングから出て行った。何か取りに行くのかな、と秋紀が出て行ったドアを見つめていたら、ガチャン、と玄関のドアが開いた音がした。そのまま玄関が閉まって、鍵がかかった音。え、秋紀、外に出て行ったの?
 静まり帰ったリビングに一人、取り残されてしまった。どこ行ったんだろう、秋紀。お店はもうほとんど閉まっている時間だし、今から行くところなんて。立ち上がることも食事を再開することもできず、ただただ固まってしまう。もしかして、もううんざりしたって、出て行ったとか? わたしがぐずぐずして鬱陶しかった? 誕生日で記念日なのに、辛気くさかったから鬱陶しかった? そう考えてしまったけど、すぐ首を横に振る。秋紀はそういうこと、言わない人だし思わない人だから。今のはわたしが馬鹿だった。
 でも、秋紀がどこに行ったのか皆目見当がつかなくて、やっぱり不安になる。ちょっと待ってて、って言ってたからそう遠くに行くわけじゃないんだろう。でも、仕事用の鞄を持っていたから電車かバスには乗るはず。部屋着にカチッとした鞄なんて、人から変な目で見られちゃうよ。せっかくの誕生日なのに。それに、ご飯も冷めちゃうよ。まあ、わたしのせいなんだけど。そう苦笑いをこぼした。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 ガチャッ、と玄関の鍵が開いたのは、秋紀が出て行って一時間後のことだった。秋紀が出て行ったままとほぼ同じ状態で固まっていた体がビクッと反応して、視線がドアのほうに向く。バタバタと騒がしい足音が近付いてきて、ようやくドアが開いた。

「ごめん遅くなった……マジ……事故遅延で……」

 なんでそんなに息が切れてるんだろう。崩れ落ちるようにその場に座り込んでしまったので、慌てて近くに駆け寄って「大丈夫?」と声をかける。水を持ってこなくちゃ。汗かいてるからタオルも。そう思ってその場を離れようとしたら、がしっと手を掴まれた。熱い手。それに驚いた。
 秋紀はわたしの手を掴んだまま左手で鞄を開けると、何かを取り出した。それをわたしに差し出すと「怒っていいよ」と言った。怒っていい、とは。よく分からず、掴まれていないほうの手で恐る恐る受け取る。小さな紙袋。何も書かれていないのでどこのお店のものか分からない。けど、わたしが好きな色の紙袋だった。
 そうっと中を覗いてみると、小さな箱が一つ。かわいらしい細いリボンが巻かれているけれど、リボンが少し歪んでいる。お店で買ったものだろうに、リボン結びが苦手な店員さんがやってくれたのかな。そんなふうに思いながら、その箱を取り出した。

「働き出したときに言いたかったけど、責任が持てるようになってからって思ってて。それで、一緒に住み始めたときに渡そうと思ったんだけど、情けなくて本当申し訳ない、どうしても、勇気が出なくて。掃除してるときに見つかったらあれだし、ずっと実家に隠してて。で、実はですね、あの〜……一回、見つけた妹に開けられてさ……」

 結び直したけどうまくできなかった、と秋紀は苦笑いをした。手先が器用で何でもそつなくできるのに、昔からこれだけはうまくいかないことが多いのだ。縦結びになったり左右が歪になったりして。今回もうまくいかなかったのだろう。
 秋紀が結んだ歪なリボンをほどいた。開けたそこには、これまで誕生日にも、どんな記念日にも、くれたことがない指輪が入っていた。

「そういう話、したこともなかったし、が望んでいるようにその、見えなくて。断られたらマジで立ち直れないし、そういうふうにならなくても一緒にいられればって思ったら、言い出せなくて。その……実家で、眠らせたままに……」

 掃除しているときに見つけられたら嫌だから実家に隠すの、わたしと一緒だね。働き出したときに意識したのも、一緒に住むことになったときに意識したのも、わたしと一緒だね。それを求めていないかもって不安になったのも、断られたらどうしようって思ったのも、一緒にいられたらいいって思ったのも、わたしと一緒だね。どんなに長い時間を共に過ごしても、一緒のものにはなれない。そう思ったばかりなのに、こんなにたくさんの一緒を見つけてしまった。おかしいね。そう涙がまた出てしまった。

「俺と結婚してください」

 ようやく呼吸が落ち着いたらしい。秋紀は汗を部屋着の袖で拭って、「なんか、かっこつかないプロポーズでごめん」と情けない顔をして言った。
 十年という月日を秋紀と歩んできて、ただの一日も後悔をした日はなかった。喧嘩をした日もあったし、勘違いですれ違った日もあった。でも、そんな思い出したくない日でさえも、秋紀と過ごしてきた時間の一部だと思えば、抱きしめてこのままずっと持っていたいものになった。それさえあればいい、ずっと変わらず一緒にいられればいい。たった一枚の紙と、なんでもないシンプルな指輪。それがわたしたちの十年という月日の何を変えるというのか。そんなふうに思っていた。
 結論としては、何も変わらない。わたしが秋紀のことを好きなことにも、秋紀がわたしを好きでいてくれることにも。変わりはない。たぶん。それを変わらないことだとお互いが思って、お互いが望んで、そういうお互いの気持ちを視認するためだけのことなのだ。

「あっ、というか今日じゃないほうがよかったよな?! 俺の誕生日と付き合った記念日も一緒なのに、結婚記念日も被るよな?!」
「……ばかじゃないの」
「申し訳ございません」
「そんなの、いつだっていいよ」

 ごちゃごちゃといろいろ御託を並べたけれど、結局、ずっとこの日を待っていたのだから。日付なんてどうだっていい。片手に収まるような小さなこれが、わたしはほしかったんだ。ずっと。秋紀の誕生日なのに、記念日にプレゼントはいらないと言ったのに、結局わたしがプレゼントをもらってしまった。でも、嬉しい。これ以上ないくらい。

「いつもなら泣いてるの嫌だけど、今日はその顔が最高の誕生日プレゼントだわ」

 そう笑ってわたしの頬を伝う涙を指で拭いてくれた。その指で指輪を摘まむと、左手の薬指につけてくれた。そのあとに「アッ」と焦った声で声をこぼし、わたしの顔を見た。「ちゃんと返事聞いてなかった!」と言う顔がとても慌てていて、おかしくて。さっきのやり取りで返事なんかしたようなものなのに。そう笑ってしまったら「いやいや、いつだっていいよ≠フ後に何が来ても不自然じゃないだろ?!」と言う。その声があんまりにも必死だから余計におかしくて、抱きついて大笑いしてしまった。秋紀はわたしをぎゅっと抱きしめ返しながら「笑い事じゃないんだけど! 俺一人で空回ってない?!」とわたしの背中を軽く叩いた。

「秋紀」
「……はい」
「婚姻届出しに行こうよ。今日がいい」
「あの、返事は……?」
「これが返事でしょ」
「あとご両親への挨拶は……?」
「電話でいいじゃん」
「えー……? 印象悪すぎだろ……」
「十年待たされた娘が結婚するんだから喜ぶよ」
「グサッと来たわ。え、もしかして何か言われてた……?」

 心なしかげっそりしている秋紀から離れながら出かける準備をする。秋紀は床に突っ伏して「思ってたのと違う……」と呟いてから、「引き出しの三段目」と言う。三段目は大事なもの入れだ。書類とか銀行関連のものとかそういうのをまとめて入れてある。言われた通り開けてみたけど、別に何もない。いつも通りの中身しか広がっていないけど? そう聞いたら「俺の通帳が入ってる箱開けて」と言った。秋紀の通帳入れ。お土産でもらった少し大きいお菓子の箱になぜか入れてるんだよね、通帳。大きさがちょうどいいからとか言って。見慣れたそれを開けてみる。秋紀の通帳とか印鑑、他にもよく分からないものが入っているだけで、別に代わり映えしないんだけど。首を傾げていると秋紀が「ふたのほう」と言った。ふた? 目を向けると、お菓子のふたに、紙が折りたたんでくっつけてあった。

「書いたはいいけど見つかったら恥ずかしいし、実家に置いとくのも変だし、紙ならなんとか入るからそこに隠してた」

 お互いのこういうものは勝手に見ない、という常識はある。掃除をするときもここは開けたことがなかったし、勝手に見ようと思ったこともなかった。これは、見つけられない。ちょっと笑いながら紙を剥がして広げてみた。しっかり自分の欄だけ書けるところは書いてある婚姻届。ここまで書いて言ってくれなかったの。そう笑ったら「笑わないで本当……」と床に突っ伏したまま言った。
 机に座って自分の欄を埋めていると秋紀が「あ、ご飯ごめん」とすっかり冷えた料理を見て申し訳なさそうにした。あとで温め直して食べたらいい。お腹はぺこぺこだけれど、今はそれどころじゃない。笑ってそう言ったら秋紀も笑ってくれた。

「証人どうするの?」
「あっ、忘れてた……あー、俺の部活の友達でいい? 家近いし電話してみる」
「バレー部の人?」
「そうそう。ちょっと待って……あ、もしもし木兎? 今ヒマ? 時間ある? 家行って良い?」

 矢継ぎ早に聞きすぎだよ。焦ってるんだろうけど。ちょっと苦笑いをしつつ間違えないように記入を続けた。
 秋紀が「えっマジ?! 赤葦いる?! 赤葦印鑑持ってる?! めちゃくちゃちょうどいいんだけど!」と言った後に「婚姻届の証人欄書いて!」とお願いしていた。アカアシくん、誰。ボクトくんは聞いたことあるけど。内心そう思いつつ、秋紀の友達なら良い人だろうし、いっか。そんなふうに笑ってしまった。

「書いてくれるって」
「アカアシくんって誰?」
「バレー部の後輩。木兎は分かる?」
「聞いたことある……けどあんまり覚えてない……」
「日本代表なんだけど、木兎」
「ん? え?」
「オリンピック、バレー日本代表で出てたんだけど。一緒に観たじゃん」
「…………嘘でしょ?」
「今から会うから確認して」

 わたしの荷物を準備してくれつつ、「ご飯どうしよう、食べてから行く?」とまた申し訳なさそうな顔をした。全部ラップかけるから後で良いよ。そう言ったらキッチンからラップを持ってきて一つ一つの皿にかけはじめた。
 高校生のときはわたしも部活してたし、バレー部の人のことはあまり知らないんだよね。大会もほとんど見に行けなかった。その分社会人チームでの試合は行けるときは行くようにしている。でも、高校時代のきらきらした秋紀も見たかったな。チームメイトだったボクトくんとアカアシくん、聞いたら教えてくれるかな。それはちょっと楽しみかも。

「秋紀」
「うん?」
「改めて、誕生日おめでとう。プレゼント帰ったら渡すね」
「……なんか」
「なんか?」
「いい誕生日すぎて怖い。明日すっごい不幸なこととか起こんないかな?」

 今日一日の感想がそれって、締め方下手すぎでしょ。書き終わった婚姻届のチェックをしながら笑うと、秋紀が「え、俺なんか最後まで情けなくない?」と笑った。


リボン結びだけへたくそね

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