※木葉家捏造家族がいます。かなり喋ります。


――指輪を渡す、約三十分前

 大急ぎで飛び乗った電車に揺られて十五分、駅からタクシーを拾って十分ほど。久しく帰っていなかった実家の鍵を鞄から取り出して、大急ぎで鍵を開けた。勢いよくドアを開けると、ガンッ、と鈍い音がした。クッソ、ロックかけてるんだったうちの家族は! そう若干苛立ちつつインターフォンを鳴らし、出てくれた父親に「鍵! 開けて!」と早口で言った。父親は「なんだその言い方は」と若干不満げだったけど、どうにか玄関まで来てくれて鍵を開けてくれた。それに早口でお礼を言って、父親の横を通り抜けてダッシュで久しく入っていない自分の部屋へ。リビングから顔を覗かせていた母親が「ご飯食べるの?」と聞いてきた。「食べない!」と大声で返事をしつつ、階段を駆け上がった。自分の部屋のクローゼット。開けてすぐ左に置かれっぱなしになっている、が好きな色の紙袋。ずいぶん長く眠らされていたからか、拗ねているように見えた。
 それをひっつかんで自分の部屋を後にして、転がり落ちるように階段を下りた。マジでない、本当にないわ、俺。なんであのとき言わなかったんだよ。あのときも、あのときも、あのときだって。勝手にがそういうことを望んでいないかもしれないと思ったし、むしろ変化を嫌がっているようにも見えた。これを買って帰ったその日、「今で十分幸せだね」と何かの拍子にが言ったのを聞いて、一瞬で勇気が消えた。これ絶対断られるやつじゃん。そう思って、数年が経ってしまった。

「秋紀! 子どもじゃないんだからバタバタしないの!」
「ごめんって、ちょっと急いでるから!」
「急に帰ってきてなんなの! ご飯食べてかないの!」
「食べないって言ってんだろ!」

 さっき食べないって言っただろ、と振り返ったら母親が「誕生日だから来たのかと思ったじゃない!」とちょっと怒っていた。そういえば誕生日だった。思い出して「いや、ごめんって」とようやく気持ちが落ち着いた。ちょうど帰ってきていたらしい妹がリビングから出てきて「うわ、なにその格好」と眉間にしわを寄せる。自分の格好を見てみると、いつも着ているスウェットに仕事用の鞄。これ、完全に変なヤツじゃん。これで駅を爆走したかと思うと普通に恥ずかしくなった。
 妹が「何しに来たの」と言いつつ俺のことを覗き込んだ。そうして、俺の片手にある紙袋を見てハッとした顔をした。

「やっとプロポーズすんの?! それ指輪じゃん!」
「お前勝手に開けたことまだ怒ってるからな……」
「ごめんってば!」

 勝手に人の部屋に入って、しかも勝手に未開封のもの開けやがって。そう恨み節を言ってやる。靴を履きながら紙袋を仕事用の鞄に入れて一つ息を吐く。そうだよ、やっとだよ。そんなふうに情けなく思って。
 両親も呆れたように「急に帰ってきたかと思えば、急にプロポーズって」と呟いた。計画性がなくて悪かったな。昔から何かと結局うまくいかなかったり、思わぬ災難に見舞われたり、損な役回りになったり、結構散々なことがたくさんあった。面倒ごとに巻き込まれることも多かったし、人に良いように使われ続けてしんどい時期もあった。バレーでも、スターにはなれなかった。
 それでも、誰よりも俺のことを考えてくれる人がいたから、変わらず今もいられている。その人のためだったら何でもできると思うくらい、がむしゃらに何でも頑張ろうと思うくらい、心から好きで、幸せにしたいと思う人。それに変わりはなかった。

「普段情けないことが多いんだから、ビシッと決めてきなさいよ」

 母親が俺の背中をバシッと叩いた。「もう付き合って十年くらいだったっけ? 待たせすぎよ、可哀想に」とため息を吐かれる。送り出し方が乱暴なんですけど。あとすごく心を抉ってくる。父親も「誰に似たんだろうなあ」と笑い、妹が「長男でしょ。彼女いないけど」と笑った。妹、お前は二人の兄に謝れ。
 解けかけていた靴紐をしっかり結んだ。縦結びになったけどもういいか。そう立ち上がると「縦結びになってる。昔から下手なんだから」と母親に指摘されてしまった。仕方なく座り直して、もう一度。今度はどうにか成功した。きれいではないけど。今度こそ立ち上がって「じゃあ、また一緒に来るから」と言うと、「いってらっしゃい」と三人で送り出してくれた。
 家を出てすぐ、タクシーに待ってもらっていれば良かった、と後悔した。呼んで待っている時間が惜しい。駅に向かって走りながら、家についたらなんて言おうかぐるぐる考えてしまう。こんなに待たせたんだからしっかり言わないと。そう思った。
 十年という月日は、周りの人から見ると「飽きないの?」と言われることもあるほど、長い時間らしい。失礼なことを言うヤツだな、とそのときは思った。でも、周りの結婚した友達は大体付き合って五年くらいまでに結婚していることが多かったし、その中の数人が奥さんに内緒で他の女の子と仲良くしているのも知っている。そういうヤツとは距離を置くようにしているけど、一般的にはそうなってしまうものなのかな、と思うところもある。
 は本当に不思議な子だった。不思議な子だけど、変なところは何もない。本当に普通の子。だから、不思議でたまらなくて。ただの一度も飽きたなんて思ったことがない。毎朝顔を見るたびに、好きだな、と思う。本当に、不思議な子なのだ。十年という月日が経った今日もそれは変わらない。むしろ、十年という月日がそれを色濃くしてくれたと言っても過言ではない。情けない俺が変われなかった期間でもあるけど。やっぱり今日も情けない。そう少し笑ってしまった。
 駅についてICカードを取り出しながら走る。改札をくぐってホームに走って行く。ちらほらいる人の間をすり抜けながら、家の最寄り駅の改札に一番近い車両が止まるところで立ち止まる。何も説明せずに出てきてしまった。、不安に思ってるだろうな。もう少し説明してから出てくるべきだった。そう後悔しているとちょうど電車がやってくる。それに乗り込んで十分ほど揺られれば家まではすぐだ。なんて言おうか、決まらない。鞄を抱えてドアに寄りかかりながら一つため息をついてしまう。俺、がせっかく作ってくれた料理も放ったらかしで出てきてんじゃん。最低だな。そんなふうに。
 最寄り駅まであと二駅のところで、車内放送がかかった。この先で車と列車の事故があったとの放送。出発にしばらく時間がかかることが説明され、電車に乗り込もうとしていた人たちも困惑の表情を浮かべていた。どうやら緊急停止ボタンが押されたらしく、怪我人はいないとのことだったが線路の整備に時間がかかるとのことだった。
 電車から降りた。二駅、ちょっとキツイか。そう思ったけど待っていられなくて。ICカードで改札をくぐり、外でタクシーを探したけど小さな駅なのでタクシーがうろついているということもなく。呼んでいる時間が惜しい。鞄を持ち直して、家の方向に走った。
 十年という月日をと歩んできて、ただの一日も後悔をした日はなかった。喧嘩をしてが家を飛び出していったのを追いかけた日も、俺がのことを勘違いで浮気をしたと疑った日も、全部。この十年というと過ごした時間の一部に変わりはなくて。ずっとこのまま一緒にいられたらいいなって思った。結婚すれば無条件でそうなるのかなって思っていた時期もあった。
 でも、たった一枚の紙とただの指輪なんか、何にもならないのだ。これは何の証明でも約束でも決まりでもない。これは、俺はのことを愛しているのだと、だから一緒にいたいんだと、どうか一緒にいてほしいのだと、そう思っていることを目に見える形で伝えるためだけのものなんだ。これを渡したところで俺の何も変わらないし、もきっと変わらない。それでいいものなのだ。そう思った。
 妹に勝手に開けられてしまったそれのリボンは、俺が結び直したから歪なリボンになってしまっている。それでもきっと、は、笑って「相変わらずリボン結びだけは下手だね」と笑ってくれる。十年のことを好きでたまらない俺が言うんだから間違いない。そう、自信を持って言い切れた。


リボン結びだけへたくそね おまけ

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