※及川徹短編「winter halation」の設定です。
※及川に彼女がいます。




「おい、、帰るぞ」

 顔を上げると見慣れた幼馴染の顔があった。部活のジャージ姿の幼馴染、岩泉一は額にうっすら汗を浮かべていて、息は少しだけあがっている。小さく光る星がたくさんある星空をバックに見上げたその顔は、なんだが少しだけ私を切なくさせた。
 物心ついたころから、幼馴染のことが好きだった。独り占めしたくて意地悪したり、面倒くさいやつのふりをして気を引いたり。けれど、幼馴染は女の子にモテてモテてモテまくって。今や女の子たちのあこがれの的となってしまった。

「またクソ及川になんか言われたのか」
「……クソじゃないもん」
「クソでいいだろ」

 もう一人の幼馴染、及川徹の隣にいるだけで女の子ににらまれてしまうこともあった。彼女と間違えられて「別れてください」なんて漫画のように果たし状を渡されたことも一度だけあった。そのたびに徹は「ごめんね〜」なんて謝ってきたけど、本当のところ、少しだけうれしかったことを本人は知らない。
 ただの幼馴染でよかったんだ、中学生くらいまでは。他の女の子より距離の近い存在というだけでよかったと思っていたんだ。けれど、年々、それじゃあ満足できなくなる自分がいた。徹を独り占めしたい。徹の隣にずっといたい。そう思ってしまったら、今までの思い込みなど簡単に崩れ去ってしまったのだった。

「明日殴っといてやるから、なんて言われたか言え」
「顔は殴らないで」
「お前あいつの顔好きだよな、意味分かんねーけど」
「顔だけじゃなくて中身も好きだもん」
「知ってる」

 はじめちゃんは私の隣に座りながら笑った。昔からいつだって徹とちがってはじめちゃんは私の味方をしてくれた。私が駄々をこねて徹を困らせていてもはじめちゃんは私の味方をした。そのたびに徹は不満気だったけど、「まあ岩ちゃんが言うなら…」と私と仲直りしてくれたものだった。はじめちゃんがいなかったら、私はとうの昔に徹に嫌われていたかもしれない。
 徹に彼女ができたと知ったのは、つい三時間前のことだった。徹に今度の練習試合の応援に行ってもいいか確認の連絡を入れたのがすべての元凶だった。いつもは「いいよ〜差し入れ期待!」なんて返してくる徹が、「今回はだめ」と返してきたのだ。なぜか理由を訊いたら「彼女ができたんだけど、との仲を怪しんでるんだよね〜」と汗マークの絵文字付きで送られてきたというわけだった。そのついでと言わんばかりに「今後は彼女と登下校するかもだから、岩ちゃんと仲良くね!」なんて言ってきやがったのだ。初恋は実らない。ずいぶん前から知っていた言葉が、ずっしり私の体にからまりついてきた瞬間だった。

「……もう諦めたらいいんじゃねーの」
「なんで」
「及川はのこと、仲の良い女友達としか思ってねーよ」
「なんでそんなこと言うの」
「こればっかりは、どうしようもねーだろ」
「なんではじめちゃんまでそんなこと言うの!」

 ずっとずっと、大好きだった。かっこよくて、スポーツができて、優しくて、でも飾らない。いっしょにいるだけで楽しくてたまらなかった。ずっと永遠にこの時間が続いてほしいと思ったその瞬間から、徹のことが好きだったんだ。他の女友達に比べて、特別仲が良いと自負していたから、もしかしたら、なんて期待することも多かった。でも、それはちがった。それは逆にだめだという証明だったのだ。仲が良すぎたら、もうそういう、男女の関係にはなれない。友達の延長で恋人になれることがあるけど、私の場合はちがっていたのだ。私の場合は、友達を通り過ぎて、家族のような関係になってしまったのだ。

「なんで、なんではじめちゃん、まで、そんなこと、言うの」
「俺が言うしかねーだろ」
「なんで」
「幼馴染だから」
「べつに、言わなくて、も、いい、じゃん」
「泣くな」
「きらい、はじめちゃん、きらい」
「嫌いでもいいから泣くな」

 はじめちゃんは星空を見上げながら「泣くな」と繰り返した。呪文のように呟き続けるその声を聞きながら、わんわん泣いた。徹の彼女より、もっともっと先に、私が徹のこと好きだったんだ。徹はそんなこと知らないだろうけど。知られないようにしていたのだけど。

「おばさん心配してたから、帰るぞ」
「いや」
「ここにいても仕方ねーだろ」
「いやだ」
「……俺じゃなくて及川が迎えにくれば、ちゃんと帰るか?」

 ぼそりと呟く。はじめちゃんは私の背中を乱暴に撫でてるんだか叩いてるんだか分からないくらいの力で触る。なだめてくれているその手は、なんだかぎこちない。徹がきたって、帰らない。そう言いたいのに口は動いてくれない。はじめちゃんはしばらく黙っていたけど、少し待った後にため息をついて、「あーあ」と言って私の背中を触るのをやめた。呆れられちゃった。ついにはじめちゃんも私から離れていくんだ。そう思ったら今までの自分の行いが頭にいっぱい浮かんで後悔が押し寄せた。私がもっとかわいい幼馴染だったら徹は振り向いてくれたのかな。はじめちゃんにも迷惑かけないでこれたのかな。考えれば考えるほど、頭が痛くなるほど自分が嫌になった。

「もうなんかどうでもいいわ」
「……」
「どうでもいいから全部言うけど」
「……」
「俺、のことずっと好きなんだけど」
「…………は」
「お前が及川のこと好きって俺に打ち明ける前から」
「……え」
「なのにお前は及川及川、徹徹ってよ。こっちの身にもなれよ」
「……え、あの、はじめちゃん」
「及川に彼女ができたとき、俺が真っ先になんて思ったと思う?」

 そう言いながら頭をかく。頭をかくのははじめちゃんが照れているときにする癖だった。

「あーこれで、邪魔なやついなくなったなーとか。最低だろ? お前にも及川にも」

 立ち上がる。はじめちゃんは私に背を向けて「最悪だクソ、全部クソ及川のせいだ。明日殴る」と呟いては頭をかき続けた。びっくりしたせいで涙がぴたりと止まる。
 はじめちゃんはいつだって私の相談相手だった。徹に振り向いてほしくていろいろやろうとしたときも面倒くさそうに話を聞きながらも、たくさんアドバイスを出してくれた。作ったお菓子の試食もしてくれたし、出かける前に服を選ぶのも嫌々付き合ってくれた。

「はじめ、ちゃん」
「あ?」
「……その」
「練習試合、応援来いよ」
「え」
「差し入れ持ってこい」

 ついでに俺の応援してけ、はじめちゃんはそう言ってこちらを振り返る。いつも通り不機嫌そうに見える顔だったけど、少しだけ口角を上げて笑ってくれた。

「どうせ練習試合来るなとか言われたんだろ」
「……なんで分かるの?」
「クソ及川が部室でその話してたからだよクソ」
「……そうなんだ」
「俺、あれ好きなんだけど。この前なんか作ってただろ、緑のやつ」
「……抹茶クッキーのこと?」
「知らん。たぶんそれ」

 はじめちゃんは私がおいていた鞄を持ち上げて「帰るぞ」とまた言った。手を伸ばしてくるから思わず私も手を伸ばしてしまう。いとも簡単に私の手を握ってぐいっと引っ張ると、はじめちゃんはなんだかいつもとはちがう笑顔を見せた。「及川にじゃなくて、俺に作ってこいよ」と言って手を離す。離された手が、なんだか、行き場をなくしてふらふらしてしまって、妙に顔が熱くなった。


summer syndrome