※前作「うわさのケンジロウくん」「うわさのケンジロウくんパート2」の続き。
※白布は地元大学、川西は東京の大学へ進学という設定です。




――大学一年、夏

 わたしが大学内にあるカフェでぐったり項垂れている。こんなはずじゃなかった。わたしには楽しい楽しいキャンパスライフが待っていたはずなのに、地元、宮城の大学で。
 現在地、東京都。大学所在地、東京都。わたしは高校を卒業してからもまだ東京にいた。
 地元に帰ることは簡単だった。高校卒業後の進路を考えているとき、就職か進学か、どちらにしようか迷っていた。そのことを母親に相談したら「あんたはまだそそっかしいから進学にしなさい」と言われたし、父親も「父さんは就職でもいいと思うけど……いやが社会人か……」と苦笑いをこぼしていた。二人の反応にプラス、賢二郎にも相談してみたら「進学させてもらえるなら進学したら?」と言われたことから、大学進学を選択した。
 問題はそこからだった。わたしは当たり前のように地元である宮城の大学に行くつもりだった。賢二郎が宮城の国立大学を第一志望にしていることは高校二年の冬に聞いていたからだ。意気揚々と宮城の大学に、と家族に話したら、ひどく反対された。東京にいるのにわざわざなぜ宮城に戻るのか、と。良い理由が思いつかなかった。両親の言う通り、東京には大学が山ほどある。宮城にだってあるけれど、東京は数が違う。それなのに、なぜ、地元に行こうとするのか。
 賢二郎の話をするのは、ちょっと気が引けた。だって彼氏と会いたいからわざわざ地元で一人暮らしがしたい、と言うことになる。それはさすがに我が儘すぎる。馬鹿だ馬鹿だとよく言われるわたしでもそれくらいは分かった。人生の大事な選択を彼氏がいるから、なんて理由で決めてはいけない。そう思う。でも、わたしにとってはそれで決めていいくらいのことだったけれど。
 結局のところ、両親の正論に勝てずに東京の大学に進学。賢二郎に話したら「そりゃそうだろ」と当たり前のように言われた。ショックだった。でも、何を言っても正論で返される。ぐうの音も出ない、というやつだった。
 そんなこんなで、今日も大都会・東京の大学でそこそこ元気に大学生をやっている。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 講義を終え、一緒に座っていた友達と別れた。それから一人で本館一階にある学生ラウンジに来ている。あと三日後に提出しなければいけないレポートに頭を悩ませているところだ。
 ああ、どうしてもっと毎日コツコツちゃんとやっておかなかったんだろう。三日でA4レポート用紙五枚なんて無理。元々文章を書くのが得意じゃないし、そもそも何のレポートを書いているのかさえよく分かっていない。賢二郎に相談したら「専門外」と言われてあしらわれた。いや、それは当たり前なのだけど。
 半べそをかきながら、教授が教えてくれた専門書を見ている。一つも分からない。講義、もっとちゃんと聞けばよかった。そんなふうにぐずぐずしていると、背後から「死にたい……」という男の人の声が聞こえた。わたしと同じだろう。親近感が湧く。そんなふうに思っているとまたしても「死ぬ……」といううめき声が聞こえた。
 どんな人だろう。わたしと同じでお馬鹿だと人によく言われるタイプかな。そんなふうに振り返ってみると、耳にイヤホンを付けて頭を抱えている男の人がいた。片手にはボールペン。もう片手には講義で配られたらしいレジュメ。やっぱり同じ境遇だ。
 あれ、と思った。見覚えのある顔、な気がする。細目で、少しつり目、小さめの黒目。座っている姿を見ても背が高いことが分かる。ちょっと線が細くて首が長い。でも、痩せ型というだけでガリガリというわけではない。腕の感じがスポーツをしていそうな感じ、というか。
 ふと、その男の人が顔を上げてわたしを見た。ぴたりと動きを止めて、二、三回瞬きをする。それから数秒、わたしとその人はじっとお互いを見て、固まっていた。まるで運命の出会いをした二人のように。
 じんわりと液体がにじむように、頭の中に何かが広がる。記憶だ。じわじわと思い出していく高校時代の記憶。わたしは梟谷学園男子バレー部のマネージャーだった。強豪校で知られる梟谷バレー部は本当に大変で、週末はほとんど練習と試合、大会で埋まっていた。夏休みも合宿で忙しかった。ああ、でも、二年生の夏はインターハイで賢二郎に会えて嬉しかったなあ。
 はっとした。高校二年のインターハイ。賢二郎と会ったあの日。いろいろあって迷子になってしまったわたしを、賢二郎と同じ高校の人が助けてくれたことがあった。一つ上の先輩と、同じ学年の人。名前はたしか。

「たいち、だ! 漢字知らないけど!」

 思い出せたことが嬉しくてそう思わず口に出た。相手もイヤホンを外して「あ」と目を丸くした。それからすぐに「ちゃん……だったっけ……?」と首を傾げた。名字を知らないのだろう。賢二郎はわたしのことを名前で呼ぶから。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「は? お前それで追試になったのかよ……しっかりしろよ……」

 は大学の一時限目に遅刻し続け、単位を落としかけていると泣きついてきた。朝に弱いくせになぜ一時限目の授業を取ったんだ。しかも週に三回も。そう呆れたらは半泣きで「だって教授が優しいから単位を取りやすいって聞いたから」と言った。いや、講義自体に行けなかったら意味ないだろ。本気で心配になってきた。

『あ、でも最近追試仲間ができたから励まし合って頑張ってるよ!』
「なんだそれ……ダメ仲間を増やしてどうすんだよ……」
『あれ、賢二郎聞いてないの?』
「あ? 何を?」
『え、太一から』
「………………お前今なんて言った?」
『え、太一って言った』

 手が止まった。が俺に「どうしたの?」と脳天気に聞いてくる。どうしたの、じゃねえ!
 太一とが同じ大学に入学したことは知っていた。太一から大学の名前を聞いていたし、からも同じ。それを聞いたとき、俺は正直頭が痛かった。太一に弱みを握られる。そう思ったが、一瞬で安心した。太一の学部との学部は別のキャンパスだったのだ。しかもかなり距離がある。大学のホームページを見たら共通授業でキャンパスが被ることもなく、大学祭もそれぞれのキャンパスで行うと書いてあった。万が一にも、二人が邂逅することはない、はずだった。

「なんでお前が太一と知り合いになってる?!」

 理由は実に単純なものだった。太一の学部が籍を置くキャンパスが少し前から改修工事を行うことになり、一部の学部が臨時でキャンパスを移っていたのだ。その移動先のキャンパスが、の学部があるメインキャンパスだった。
 の話によると、太一と会ったのは本当にただの偶然だった。お互いにレポートに苦戦しているときにたまたま前後の席に座り、がたまたま苦しそうな男子学生の声に興味を持ち、たまたま後ろを振り返ったら相手も顔を上げた。本当にたまたまだった。俺が何をしても防ぎようのない、驚くほどの偶然だった。

『太一って面白いね! 程良く軽くて程良く緩い!』
「そんなことはどうでもいい!」
『そんなに怒らなくても〜。あ、今日もあとで太一と焼き肉行くんだ〜』
「はあ?!」
『追試祝いだよ!』
「祝うなそんなもん!」

 ため息が出た。正直、太一とはじめて出会ったときにかすかに感じていた。コイツはと馬が合うに違いない=B日に日にそれは確信に変わり、それがついに今日、現実になったというわけだ。

『高校のときの賢二郎の話いっぱい教えてくれるんだ〜』
「聞かなくていいそんなもん……」
『だからわたしも中学のときの賢二郎の話してるよ!』
「馬鹿か!」

 頭を抱えてしまった。出会ってはいけない二人が出会ってしまい、共通の話題で盛り上がり、お互いのダメさ加減で意気投合してしまった。共通の話題である俺を取り残して。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




――午後六時、都内のとある焼き肉店にて

「それ何? はじめて見た!」
「ネクタイ」
「え、どこそれ?」
「見たことないから頼んでみた」

 けらけら笑いながら太一が網にお肉を乗せた。じゅう、と美味しそうな音がして、ちょっと口の中が潤った。太一も同じだったようで「タレ入れてくれる?」と皿を渡してくる。もう食べたくて仕方がないのだろう。わたしも同じく。太一はお肉を焼くのが上手い。だから全部焼いてくれている。優しいね、と言ったら「え、白布から乗り換えちゃう?」と笑われた。それはない。太一は「ですよね〜」と言いながらわたしの皿にお肉を置いてくれた。

「太一はなんでバレー部入らなかったの?」
「いや〜……迷ったけど、俺はバレー選手になりたいわけじゃないし、いろいろやってみたいこともあったし?」
「そっかあ。でも、賢二郎が太一は続けたほうがいい、もったいないって言ってたよ」
「ちょっとやめて、泣きそう、マジで?」

 太一がお肉をひっくり返しながら「あの人アタシにはそんなこと一言も……」と泣き真似をした。未亡人の真似らしい。わたしも泣き真似をしつつ「あなたには言えなかったのよ……未練があったから……」とハンカチで目元を拭っておいた。それを二人で笑ってから、太一が「でも本当、ちょっと嬉しい」と少しだけ気恥ずかしそうに呟いた。
 じゅうじゅうきれいに焼けていくお肉を食べながら、賢二郎の話をした。太一はちょっと変わった人だった。普通の人はここにいない人の話ばかりするとうんざりされることが多い。共通の友人であっても同じこと。彼氏の話ばかりすると嫌な顔をする人が多かった。でも、太一はそうじゃなかった。何でも楽しそうに聞いてくれたし、太一も賢二郎の話を楽しそうにしてくれた。どうして賢二郎の話に付き合ってくれるのか、と聞いてみたら「あまり人に弱点をさらさないやつだから」と言っていた。変な人。でも、面白い。

「ところで、白布マジで言ってたの?」
「言ってたけど、冗談だと思うよ。絶対無理だもん」
「え〜俺は白布ならマジでやると思うな〜」
「賢二郎現実主義だもん、無茶はしないよ〜」

 けらけら笑う。そんなわたしに太一はにやりと笑って「いや、あいつは案外ロマンチストだと思う」と言いながら、焼いたお肉をトングで持ち上げる。賢二郎がロマンチストなんて。一度たりとも思ったことがない。太一はどうして賢二郎のことをそんなふうに思っているのだろう。
 何か、というと。この追試お祝いの焼き肉パーティーの話をしたときのことだ。賢二郎がやけに嫌そうにしていたから「そんなに気になるなら止めに来たら?」とふざけて言ってみた。賢二郎はそれに舌打ちをこぼしてから、日時と場所を聞いてきて、最後には「行ってやるからな!」と怒って電話を切った。そんなに怒らなくていいのに。そんなふうに思いながら、今日ここに来たというわけだ。

「それに、たぶんが思ってるより、白布ってのこと好きだと思うよ」
「えー本当? それなら嬉しいなあ」

 賢二郎はあまり言葉にしない。でも、わたしの話に付き合ってくれるし、どんなに馬鹿をやっても助けてくれる。だから、言葉がなくても伝わる。でも、言葉がほしいと思うこともある。わたしは馬鹿だから、やっぱり分かりやすくしてくれないと、分からないこともあるのだ。
 賢二郎との通話を終えて約三時間が経過している。今思い返してみると、怒っていたというよりは、苛立っていた、という感じだった。同じように思えるけれど、賢二郎を主語にするとその意味は全く変わる。怒っていたにしても苛立っていたにしても、どうしてあの場面でそうなったのかは結局分からない。なんでだろうなあ。
 のんきにお肉を頬張りながら考えていると、お店のドアが開いた音がした。バタバタとやかましい足音が近付いてくる。その方向に視線を向けた太一が「お、ご到着」と言った。思わず振り返ると、鬼の形相をした賢二郎がいた。

「え?! え?! 賢二郎?!」
「ほら言ったじゃん、結構ロマンチストだって」

 太一がトングを振る。「久しぶり〜」と言うが賢二郎は完全に無視だった。ずかずかと歩いてくると、舌打ちをこぼしてから「そっち寄れ」と言った。恐る恐る少し移動して賢二郎の場所を空ける。賢二郎はそこに大人しく座ると、当たり前のように小皿を取った。それから焼き肉のタレを入れて、テーブルの端に置いてある割り箸を手に取る。そうして、当たり前のようにお肉を食べた。

「白布これネクタイって言うらしいけど食べる?」
「食べる。全部俺の皿に入れろ」
「山賊かよ」
「賢二郎お水飲む?」
「飲む。全部俺のコップに入れろ」
「海賊?」

 賢二郎は凄まじい勢いでお肉を食べ、お水を飲んだ。お腹が空いていたのかな? そんなふうに思っているわたしに太一が視線を向けた。不自然にニコッと笑ってわたしを見るので首を傾げてしまう。それはどういう意味の笑顔なんだろうか。よく分からなかった。
 太一が次々とお肉を賢二郎の皿に載せ、賢二郎は次々それを食べた。わたしも食べたいのに。そんなふうにじいっと見ているだけになっている。ガツガツ賢二郎がお肉を食べる姿は、いつもの賢二郎より男らしくてちょっとかっこいい、とか思うけど。
 ダン、と賢二郎が皿を置いた。そのあとに箸もテーブルに置き、握りこぶしもテーブルにちょっと強めに叩きつけた。それから、ぎらりと光る怖い瞳をわたしに向けた。

「俺はお前のそういうところが嫌いなんだよ!」
「え、え、えっ、ご、ごめんね……?」
「中学のときは女子に好かれてた同じクラスの男にヘラヘラ愛想振りまいて! 高校のときは強豪校のセッターにベタベタくっついて! 大学では俺より背が高くて社交性もある太一と当たり前のようにつるみやがって!」
「俺めっちゃ褒められてんじゃん、やだ嬉しい。ごめん、俺ばっかり褒められちゃって」
「黙ってろ太一」
「はい」

 太一が大人しくトングを置いた。それからしっかり口を閉じると「あとはお二人でどうぞ」というような顔をする。もう一言も話すつもりはないらしい。
 どうして賢二郎はこんなにもイライラしているんだろう。中学のときの同じクラスの男子? なんて名前の人だっけ。よく覚えてないや。高校のときのセッターは赤葦のことかな? そんなにベタベタしてたかな? 普通に仲は良かったけどなあ。 太一は話しやすくて賢二郎とも友達だ。仲良くなっても別に普通じゃないかなあ。
 そんなふうに首を傾げていると、賢二郎が派手に舌打ちをこぼした。わたしの顔をがしっと手で掴むもんだから「どるてぃくすばいおれんす!」と賢二郎の顔を掴み返してやった。もう一度舌打ちをこぼしてから「ドメスティックバイオレンスだ馬鹿!」と賢二郎が言って、ゴツンと頭突きしてきた。

「お前は俺のことが好きなんだろうが!」
「え、あ、うん、そ、そうです」
「じゃあ他の男にヘラヘラすんな! ベタベタすんな! 仲良くもなるな! 見てて腹が立つ!」
「え、ええ……横暴だ……束縛男だ……」
「うるせえ好きなんだから仕方ねえだろ!」

 掴んでいたわたしの顔を離す。それから財布をポケットから出すとお札をテーブルに叩きつけた。「帰る!」とぶち切れているものだからびっくりしてしまう。だってせっかく来たのに。うちに泊まっていかないの? 慌ててそう声をかけたらめちゃくちゃこっちを睨んだ。「こっちは一限から試験なんだよお前ら脳天気な追試組と違ってな!」と余計にぶち切れた。一限から試験、なのに、来てくれたんだ。このためだけに。思わずきゅんとして「賢二郎……」と呟いたわたしに太一が「いやときめきポイントがおかしい」と半笑いでツッコミを入れた。
 本当に電車の時間がまずいらしく、ドタバタと帰り支度をして、賢二郎は嵐のように店を出て行こうとする。見送ろうと立ち上がるとこっちを睨み付けて「晩飯食え、立つな、座れ」と脅された。怖すぎる。こんなにぶち切れている賢二郎は久しぶりに見たかもしれない。ちょっと怯えているわたしを余所に太一はのんきにけらけらと笑っていた。そうして本当に見送りもできないまま、賢二郎はお店から出て行った。

「やっば、めちゃくちゃ切れてたじゃん」
「……」
「さすがに俺も怖かったわ。今度から気を付けよ」
「…………好き……」
「ごめん、一回だけ聞くんだけど、今のどこにときめいた?」
「全部……」
「全部か〜ならもう仕方ないか〜」

 賢二郎、やきもち焼いてたんだ。知らなかった。好きなんだから仕方ないだろ、って、言われちゃった。やだ、どうしよう、嬉しい。賢二郎、そういうこと、滅多に言わないのに。
 すぐに帰っちゃったのは残念だし、もっと話したかったけれど、でも、何より、たったそれだけのために来てくれたことが嬉しくて。賢二郎は賢いから人を怒るときも難しい言葉で理論的に怒る。でも、わたしに対してだけ、ちょっと馬鹿みたいな怒り方をするんだ。それは昔から変わらない。見渡す限り暴言だった気がするけど、それでも何でもよかった。賢二郎、わたしのこと好きなんだ。あんなふうに怒っちゃうくらい。わたしは馬鹿だから、それだけでもうどうでも良くなっていた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




――二日後、午前五時半

「……何……早朝なんですけど……モーニングコールならいらないです……」
『おい、太一』
「はい太一くんですが……」
『お前、のこと勝手に下の名前で呼ぶな。今度呼んだら殴る。じゃあな、追試頑張れよ』
「…………時間差でキレんのやめてください……ってもう切れてる……。とりあえずが喜ぶだろうから教えてやるか……」


うわさのケンジロウくんパート3

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