「ねえねえお姉ちゃん、あたし今度の試合でスタメンに選ばれたよ!」
「おめでとう! ひかり、いつも練習頑張ってるもんね」

 にこにこと明るい笑顔でひかりが学校の話をしてくれる。その屈託のない笑顔は我が家では何よりも明るいもので、翔太も基本的にひかりに何をされても許してしまっている。妹はかわいいものだ。昔からお兄ちゃん≠するのが得意だったけど、今もそれは変わらない。
 楽しそうに学校と部活の話をしていたひかりが、ふと、視線を落とした。あまり見ない表情だったから顔を覗き込んで「どうしたの?」と聞いてみる。ひかりは少し迷ってから「あのね」と内緒話をするような小さな声で言った。

「お兄ちゃん、本当は大学、行きたいんだと思う」
「……どうして?」
「なんとなく。妹だからそれくらい分かるもん」

 やっぱり。そう思った。翔太は本当に勉強が好きで、暇さえあれば難しそうな本を読んでいるから、絶対に大学に行きたいと言うはずだと思っていた。それなのに。そんなふうに俯いてしまうと、ひかりが「でもね」と笑った。

「お姉ちゃんを助けたいって思ってるんだと思う。だってお兄ちゃん、寝てるお姉ちゃんを見て自分のことを責めてたから」

 自分が高校に進学せずに就職すれば、と言っていたとひかりが言った。ベッドで眠るわたしは明らかに顔色が悪くて痩せていて、見ていられなかったと。病院で働く同い年くらいの人と比べたら余計にそれを実感してしまったとひかりは呟いた。
 どうすれば翔太はわたしのことを気にせず、好きなことをしたいと言えるだろうか。わたしにもっと経済力があれば、と考えて首を横に振る。そうじゃないのだ。翔太が言っているのはそういうことじゃない。さすがにわたしもそれは分かっているつもりだ。普通≠ノ働いて、普通≠フ生活をできれば、翔太はきっと泣きはしなかったのだろう。
 普通≠フ、生活。そう頭の中でぽつりと呟いてから、顔を上げた。

「たとえばね」
「うん?」
「お姉ちゃんが結婚するって言ったら、ひかりはどう思う?」
「え……嬉しいよ! お姉ちゃん彼氏いたの?!」
「翔太はどう思うかな」
「喜ぶでしょ! 当たり前じゃん!」

 ひかりが「ねえねえどんな人?」と腕をつついてくる。彼氏、では、ない、けど。「真面目な人」と答えたら「いいじゃん! 楽しみ!」と笑った。その笑顔は、最近見た中で一番の笑顔だった。わたしがサプライズでプレゼントを買ってきたときよりも眩しい笑顔だった。何かひかりにあげたわけじゃないのに、こんな話一つでひかりは笑ってくれる。わたしはそんなことさえも知らなかった。わたしの幸せを願ってくれている。そんなことに、今、気が付いた。
 高校時代、白布が告白してくれた日のことを思い出している。好きだと言ってくれて嬉しかった。付き合ってほしいと言ってくれて嬉しかった。わたしは白布のことをそんなふうに見たことはなかったけれど、それでも、白布ならと思った。今でもそれは変わらない。好きという気持ちは分からないけれど、白布なら信頼できるし一緒にいて何も違和感がないというか。高校のときの話だけれど、きっとそれも変わっていない気がする。
 俺の気持ちを利用すればいい≠ニ白布は言った。人の気持ちを、自分のために利用するなんて、絶対に良くないし後で絶対に後悔する。そう思っている自分もいるけど、一方で、甘えていいと言ってくれている人がいるのだから甘えてしまいたいと思う自分もいる。それで翔太とひかりが喜ぶならこれ以上ないことだと思う自分がいる。でも、後者を選べば白布を道連れにすることになるだろう。白布は後々後悔して嫌になることが目に見えている。

「お姉ちゃんのドレス姿楽しみ」

 そう、思うのに。ひかりが自分のことのように幸せそうな笑顔を向けてくれるのを見て、「うん」と答えている自分がいた。
 白布は何がしたいのだろうか。心も体もいらないから結婚をしてくれと言ってきた目的が全然分からない。わたしのことが好きだと思ってくれているとしても、あまりにも話が飛躍しすぎている。真意が分からない。分からないけど、わたしにとって白布は信頼できる相手で、付き合ったり関係を繋いだりすることに抵抗のない相手。パートナーとしては、この上なく良い人だと思った。


戻る