四年後。二〇一九年、九月。仕事の掛け持ちをはじめて四年が経ったわたしは今年で二十四歳になる。この四年間、正直特に変わったことはなかった。変わらず朝から晩まで働いて、順調に貯金だけをしてきた。けれど、正直今年は波乱の一年になる予感がしていた。
 去年の大晦日。ずっと働いていた居酒屋が閉店することになったと聞かされた。シフトの融通を利かせてくれるとても良い職場だったので残念でならなくて、しばらくはひどく落ち込んだ。でも、落ち込んでいても仕方ない。時間は待ってくれないのだから。
 気持ちを切り替えてわたしの隙間時間に働けて、それなりに融通が利く職場を探し続け、先日ようやく見つかった。夜間工事の交通誘導警備のアルバイト。男女問わず、とあったから一応応募してみたら採用してくれた。スーパーでの仕事が終わって三時間空けて八時から十二時までの勤務。これ以上ないくらい理想的な時間だった。給料も高くて言うことなし。多少力仕事をすることもあるそうだったけど、そんなことは気にしていられない。
 もう一つ大きい変化が、翔太のことだ。中学三年生になり受験を控えている。わたしもびっくりするくらい中学での成績が良くて、担任の先生も嬉しそうに「白鳥沢も絶対合格できますよ」と言ってくれた。嬉しくて嬉しくて、三者面談から帰りながら翔太に「第一志望、白鳥沢にする?」と笑って聞いた。すると、翔太は「しないし、そもそも高校って行かなきゃだめ?」と言ってきたのだ。衝撃だった。学校で出された課題を楽しそうにやる姿がとても好きだった。何でもすぐに調べて、夢中になって知識を身につけている。そんな子だから絶対に高校を楽しみにしているだろうと思っていたのに。
 わたしが「高校には行かなきゃ」と言ったら、翔太が、「でもお姉ちゃんはやめたじゃん」と返してきた。びっくりした。びっくりしすぎて言葉が返せずにいると、翔太が小さな声で「ごめん」と謝った。謝ることなんてない。笑って「お姉ちゃんが言っても説得力ないよね、ごめん」とわたしも謝ったら、翔太は少しだけ唇を噛みしめていた。
 翔太とはよく話し合って、一週間かけてどうにか高校には行く、と言ってくれた。でも行くのは私立の白鳥沢じゃなくて、公立高校にすると言われた。お金のことなら気にしなくていいと何度も言ったけど、翔太はそこだけは譲らなくて。これ以上話し合いが長引くとまた高校には行かないと言い出すかもしれない。そう思ってわたしが引き下がり、翔太の志望校は公立の和久谷南高校になった。それを先生に言ったら全力で止めてくれたらしいけど、もう家族間で話し合ったことだと言えば渋々納得してくれたそうだ。
 わたしがしっかりしていないから、翔太が気を遣おうとしたのだ。そう思うと気持ちが焦った。もっともっと頑張らなくては。翔太がお金のことなんか気にしなくていいくらい、お金を稼いで、もっともっと生活を豊かにしなくては。小学六年生になったひかりでさえ滅多に物を欲しがらない。流行っている文房具が欲しいとねだっても来ないし、わたしの洋服をリメイクした服に嫌な顔をしたことさえない。我慢させているのだ。わたしが。もっともっと働いて、もっともっと稼がなくちゃ。
 パチッと目が開く。ハッと起き上がると、もうあと一時間で新聞配達にいかなくてはいけない時間だった。また玄関で寝てしまった。ここ最近、もうずっと自分の部屋のベッドで寝ていない。バタバタとお風呂に入り、着替えてご飯を作る。翔太とひかりの朝ご飯、お昼のお弁当。スーパーの仕事から帰ったら急いで晩ご飯を作るから、今のうちに冷蔵庫の中をチラ見して何を作るかだけ考えておく。
 こんな生活をもう四年続けている。最近やけに腰が痛く感じたり、急にびっくりするくらい動悸が止まらなくなったりする。働くことに支障はないから気にしないようにしている。気にする余裕なんかない。時間的にも、気持ち的にも、お金的にも。自分のことになんか構っていられなかった。



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 二〇二〇年、四月。無事に翔太が和久谷南高校に入学し、ひかりは中学一年生になった。何かやりたいことを見つけなさい、と二人に言い聞かせた結果、翔太は天文部、ひかりはバスケットボール部に入った。ここ最近は何よりも二人の学校での話を聞くことが好きだ。楽しい高校生活、中学生活を送れているかな。それがいつも気になって。そんなわたしを知ってなのか二人は毎日学校での話を聞かせてくれるようになった。
 仕事は、正直しんどいときもある。新聞配達はもう慣れたし、スーパーでも今いるアルバイトの中ではベテランのほうになった。でも、夜間の工事現場での交通誘導、これだけはまだ慣れない。夜中はちょっとヤンチャなドライバーの人も多いので、誘導通りに停まってくれなかったり、停められている間にずっと怒鳴られたりすることも多い。頭を下げて「ご協力ありがとうございました!」と大きな声で言ったらタバコを投げつけられたこともある。人にそういうことをされるのはもちろん慣れない。でも、現場の人たちがみんな優しいから頑張れている。わたしが若い女だからというのもあるだろうけど、わたしのこれまでの話を聞くと「弟くんと妹ちゃんに持っていきな」とお菓子をくれたり「ちょっとでも早く帰ってやんな」とこっそり早めに上がらせてくれたりする。良い人ばかりだ。わたしはこういう人たちに支えられてじゃないと頑張れないのだなあ。そう思うと情けなかった。
 帰宅した深夜。玄関にへたり込みつつ見上げた時計を見つめて時間の計算をする。三時に出勤して朝五時すぎには家に帰ってこられる。今から三十分で翔太とひかりの朝ご飯と明日のお弁当を用意して、お風呂に入って仮眠。翔太が「ご飯は自分で準備するよ」と言ってくれたことがある。ひかりも同じく。けれど、その時間は友達と遊ぶためのものだし勉強や部活に勤しむための時間だ。大丈夫だから気にしないの、と言い聞かせている。
 ぐっと腕に力を入れたら、一瞬目眩がした。くらっとした視界を遮るように目を瞑る。さすがに疲れている。疲れているけど、時間は止まってくれない。振り払うように自分の頬を叩いて、立ち上がった。


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