二〇一三年五月下旬、深夜一時半。もう限界だった。大雨の中、ずぶ濡れで帰ってきた。泣いて泣いて手が付けられないおばあちゃんをどうにかお風呂場に連れて行ってから、抱きしめて「大丈夫、大丈夫だからね」とずっと宥めた。
 認知症と診断された。記憶障害が徐々に進行し、自分がどこにいて今がいつかが分からなくなってきている。おばあちゃんはもうわたしのことをと認識することはなくなっていて、ずっと自分の娘だと思っている。翔太とひかりのことは孫だと認識しているけれど、名前は思い出せなくなった。
 翔太とひかりが寝るまでそばにいたほんの十数分の間に、おばあちゃんは家を出てどこかへ行ってしまっていた。いつも寝る前に薬を飲ませなければいけない。部屋に行ってはじめておばあちゃんがいなくなったことに気付いた。足を悪くしているからそう遠くには行けないはず。大急ぎで玄関に行って靴を履いたとき、おばあちゃんがいつも履いている靴があることに気付いた。もしかして家の中に隠れているのかな。わたしが見つけられなかっただけなのかな。そう思ったけど、玄関の鍵が開いていた。
 土砂降りの雨の中を探し回って一時間半。ようやく見つけたおばあちゃんはとっくに店じまいしている昔なじみの店前で蹲っていた。裸足の足は怪我をしていて、雨に濡れた体はぷるぷると不安げに震えていた。
 そのおばあちゃんの姿を見た瞬間に「ああ、もう無理だ」と思った。唇を噛んでぐっとこぼれ落ちそうなものを堪えて、おばあちゃんを抱えて帰宅。風邪を引かないようにおばあちゃんをお風呂に入れて、体を拭いて服を着せて髪を乾かした。それから布団まで連れていって薬を飲ませる。おばあちゃんは「ごめんねえ」と何度も言った。何度も自分の娘の名前を呼んで。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 六月いっぱいで高校を退学することにした。認知症のおばあちゃんと、まだ小学三年生の弟、保育園に通う妹。わたしがしっかりしなくてはいけない。わたしがどうにかしなくてはいけない。いろいろなことはよく分からないけれど、分からないからと放ったらかしにはできない。わたしがやらなくちゃいけないのだ。
 両親が遺してくれたお金と祖父が遺してくれたお金。学生のわたしからすればかなりの金額が残っていたけれど、それでどれくらい生活できるのか。ただ、おばあちゃんを施設に預けたり訪問介護を頼めるほどの余裕がないことは調べれば分かった。高校中退で雇ってくれるところなんてあるのだろうか。そんな不安が渦巻いたけれど、やるしかないのだ。
 本当はすぐにでも退学しようと思ったけれど、どうしても、離れがたくて。最後の悪あがきをしてしまった。だって、本当は。そう言葉を紡ぎそうになってぐっと堪える。言ったって無駄なのだ。無駄なものは口に出しても無駄なまま。だから、全部飲み込んだ。
 監督とコーチ、そして主将と副将の白布には先に話した。退学するのは来月だけれど、部活をしている余裕はもうなくて。今日を最後に退部することになった。家庭の事情だと説明しただけだったけど、わたしの様子を見てなんとなく察したのかそれ以上の説明は求めてこなかった。それだけで有難い。監督もコーチも何か言いたげな顔をしていたけれど複雑な話だ。そうそう首を突っ込めるものではないだろう。二人とも、ぐっと堪えるように押し黙っていた。それが、ひどく申し訳なかった。結局こうなるのならやっぱり部活に入るべきではなかった。こんなふうに、変な空気にしてしまうのだから。
 笑って「マネージャーではなくなりますが、応援しています。頑張ってください」と言った。監督はじっとわたしを見てから「二年間、ありがとう」と言った。コーチも、主将も、副将の白布も。本当は最後までマネージャーとして応援したかった。一緒に頑張りたかった。そう思ったけど、もちろん、口には出せなかった。
 その日の部活前に監督から部員たちに説明をしてくれた。事情は省いてだけれど、家庭の事情で退部することと来月で高校を辞めること。近くに大会がない時期でよかった。ただのマネージャーとはいえ、少しの動揺でも選手にとっては鬱陶しいものだ。挨拶は簡潔にして、最後に頭を下げて謝る。悔しかった。正直、試合で負けたときよりも、ずっと。
 いつも通りに部活がはじまり、いつも通りにボトルの準備をする。タオルの準備も、タイムの計測も、何もかも。今日が最後。そう思うと体育館中がきらきらと眩しき見えて、なんだか、とても手の届かない遠いところにあったんじゃないかと思ってしまった。


戻る