大急ぎで体育館に戻ると、中からきゃっきゃと楽しそうな笑い声が聞こえてきてびっくりした。恐る恐る中を覗くと、ひかりがなぜだか瀬見さんにしがみついて笑っている。翔太は天童さんに肩車をしてもらっていた。あまりに驚きすぎて固まっていると、ひかりが「あ、お姉ちゃんだー」といつもののんびりした声で言った。慌てて近寄ると瀬見さんが「あんまりに似てないな?」とひかりとわたしの顔を見て言った。

「あ、えっと、弟と妹は、父が再婚してからの子どもなので……」
「あーだからか。弟もあんまり似てないもんな」

 これはどういう状況なんでしょうか。首を傾げていると川西が「天童さんがちょっかいかけてこうなった」と簡潔な説明をくれた。なるほど、分かりやすい。正直とても助かった。
 ふと、翔太がなぜだかじっとを白布を見た。休憩に入るまで試合形式の練習をしていたからビブスをつけている。白布のビブスは四番。父が現役時代に一番長く付けた背番号も同じ四番。翔太はそれを指差して「お父さんだ」と言った。

「お父さん? 賢二郎いつの間に子持ちになったの?」
「なってないです」
「えー。じゃあお父さんってどういう意味?」

 けらけらと笑う天童さんの軽いそれに、心が救われる気がする。軽い気持ちで聞いてくれたほうが助かる。話しやすいし、何よりわたしも気を遣わなくていい。これまで何かの拍子に家族のことを知られたらみんな、悪いことを聞いてしまった、みたいな苦い顔をしていたから。わたしは気軽に家族の話がしたいのに。みんながそんな顔をするからしないようにしていた。

「父親の背番号と同じなんです」
「背番号? スポーツ選手なんだ?」
「バレーボール選手だったんです。高校は白鳥沢でした」

 その瞬間に監督が目を丸くしたのが分かった。じっとわたしを見てしばらく黙っていたけれど、わたしがちょっと照れくさくて笑ってしまったのとほぼ同時に父の名前を口に出した。わたしがそれに「はい」と答えたら、「そうか」と穏やかに微笑んだ。
 父の話を教えてくれた。父に声をかけたのは見たい選手がいた大会に行ったとき、目当ての選手よりも父のことが強烈に印象に残ったからだったという。技術はまだ足りていないところがあったけれど、きっと磨けばどこまでも伸びる。そう確信して白鳥沢に誘ったのだと教えてくれた。その期待通り、父は一年生の頃からエースとしてチームを引っ張り、どこまでもどこまでも、貪欲にボールを追う選手だったそうだ。

「そうか……病気だったのか」
「はい。それを公表したくなくて引退したそうです」

 父は高校を卒業してしばらくは監督と連絡を取っていたが、次第に疎遠になってしまったそうだ。プロチームでの活動が忙しそうで結構なことだ、と監督は思っていたと笑った。だから、病気のことも知らなかったという。監督が懐かしそうにコートを見渡して「誰よりも高くジャンプして、誰よりも力強く腕を振り抜く男だった」と言った。高校生だった頃の父のことは知らない。けれど、目の前に父が白鳥沢のユニフォームを着て立っているように見えた。似合ってる。そうちょっとおかしかった。現役時代も白いユニフォームのチームだったから、何も違和感なく思い描けたのだろう。病室で優しく笑う覇気の薄い父ではなく、バレーのユニフォームを着て溌剌と笑っていた父。ずっとわたしの誇りとして残り続ける。きっと、ずっとだ。
 コーチが車で送って行こうか、と言ってくれたけど丁重にお断りした。ここ最近、わたしは勉強と部活でバタバタしていたから、ゆっくり翔太とひかりと話す時間がなかった。洗い物をしながら、お風呂でひかりを洗いながら、とかそういうときしか話をで来ていない。三人でゆっくりバスで帰りたい気分だった。そう説明したらコーチは「そうか」と優しく笑ってくれた。「暗いから気を付けてな」と監督も言ってくれた。瀬見さんにしがみついて離れないひかりをどうにか引き剥がし、天童さんに翔太を降ろしてもらう。ひかりが「やだ〜」とごねるのを瀬見さんが「また遊ぼうな」と宥めてくれる。なるほど、ひかりはイケメン好きなのか。やけに戦隊物を観るのが好きだとは思っていたけど。ちょっと面白くて笑ってしまった。
 二人が部活の人たちに手を振る。なんだか託児所みたいなことをさせてしまって申し訳ない。深々と頭を下げて、体育館を後にした。



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 帰宅すると、おばあちゃんが玄関に座り込んでいた。なんだか憔悴し切った顔をしていたからびっくりして。思わず駆け寄って「どうしたの」と背中をさする。翔太とひかりも「ばあば!」と元気に駆け寄って顔を覗き込んだり手を握ったりする。けれど、全然反応がない。上の空って感じ。
 変だ。体調が悪いのだろうか。そう不安で顔を覗き込むと、おばあちゃんと目が合った。そのあとすぐにおばあちゃんが名前を呼んだ。わたしの名前ではなく、自分の娘の名前。つまりわたしの二人目の母親の名前だった。寝ぼけているのだろうか。びっくりしつつ笑って「だよ」と言ったら、おばあちゃんは、しくしくと泣いた。


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