十二月二十五日。すでに学校は冬休みに入っていて、学校内は少し静かだ。運動部は今週のどこかが今年最後の練習というところが多い。バレー部も三日後の金曜日で今年の練習を終えることになっている。
 引退したはずの三年生がちらほら。そんな体育館の中を見て笑ってしまう。受験や就活がすでに終わっている先輩が覗きに来ているのだ。練習に混ざっていく人も多いものだから、この部活はバレー馬鹿が多いな、なんておかしくなる。今日クリスマスですよ、先輩。そんなふうに茶化された三年生たちが胸を張って「だからなんだ!」と騒いでいたのを思い出してしまう。来年は彼女できるといいですね。そんなふうにみんながちょっと馬鹿にしていたっけ。
 昨日のクリスマスイブ。まだ幼い翔太とひかりには事前に「サンタさんに手紙書かなきゃダメだよ」と言ってあったので、すでにプレゼントは準備済みだった。手紙はおばあちゃんが回収してくれてこっそり用意もしてくれたから助かったな。翔太には人気アニメのおもちゃ、ひかりはビーズで作るアクセサリーキット。しっかりしていても子どもは子ども。年相応のものを欲しがるところがかわいくて微笑ましかった。わたしは朝早くに家を出てきたからどんな顔をしてそれを開けたのか見ていない。喜んだだろうな、二人とも。帰って話を聞くのが楽しみだ。
 タオルを回収していると、三年生に絡まれた。珍しく牛島さんまでいる。笑いながら話をしていると自然と二年生、一年生も集まってきた。そこに戻ってきた監督とコーチもまだ休憩時間だからなのか近付いてくると、唯一ジャージではなくパーカーで来ている天童さんをこてんぱんにからかい始める。仲が良い。そんなふうに微笑ましく見ていると、「あの〜」と聞き慣れないおじさんの声が聞こえた。
 体育館の側面にある外部扉から顔を覗かせていたのは、校内の警備をしてくれているおじさんだった。コーチが「何か?」と首を傾げると「さんって方はここの部活にいますかね?」と言った。わたしの名前? 心当たりはない。同じ名前の子かもしれないけれど、とりあえず手を挙げてみる。「一応という名前ですけど」と言ってみたら、おじさんはほっとした顔をして「よかった、お姉さんいたよ」と視線を少し下に向けて言った。お姉さん、って。
 固まっていると、外部扉からこっちを怖々覗き込む顔が二つ、ひょっこり出てきた。泣きはらした顔。びっくりして思わず大きな声で「翔太! ひかり!」と叫ぶように言ってしまうと、二人は一瞬でぼろぼろ涙を流して、わーっと泣きながらこっちに駆け寄ってきた。わーっ、はこっちの台詞だ! 土足! 土足は勘弁して! すぐに駆け寄ってしゃがんだ膝の上に二人をどうにか乗せて、とりあえず靴を脱がした。その間も二人はわたしにしがみついてわんわん泣いていた。

「何、どうしたの。おばあちゃんは? 二人だけで来たの?」

 びっくりしすぎてばくばくと心臓がうるさい。なんでこんなところまで? うちから白鳥沢学園まではバスに乗らないと絶対に来られない。翔太は何度かわたしとバスに乗ったことがある。でも、一人で乗ったことはまだない。ひかりに至ってはバスに乗ったことさえなかったはずだ。おばあちゃんは見当たらないし、どういうこと? わんわん泣きながら「おねえちゃん」としか言わない。とりあえずは宥めることが優先のようだ。落ち着くまで二人の背中を撫でた。
 警備の人が「校内を二人で歩いていたから声をかけたら、お姉さんに会いに来たって言うので」と教えてくれる。近くにおばあさんがいなかったか聞いたけど、見ていないという。じゃあやっぱり二人だけで来たのだろうか。でも、なんで? 今日は七時には帰ると言ってあったはず。昨日にそれまでお留守番しててね、と言ったら元気に返事をしてくれたのにな。こんなことは今まで一度もなかったし、何よりおばあちゃんはどうしたのだろう。今日は病院へ行くけど五時までには帰ると言っていたはずなのに。
 徐々に落ち着いてきたらしい。翔太のほうが顔を上げたので、いつもの声色で「どうやって来たの? バス?」と聞いたら小さく頷いた。そっか、翔太、もうバス一人で乗れるんだね。偉いね。そう褒めたら涙を自分の服の袖で拭って、わたしの膝から降りた。そのおかげでひかりを抱っこできる。ありがとうね。お兄ちゃん、偉いね。そう頭を撫でたら、大きな涙がぼろっと頬を伝った。

「おばあちゃんは? まだ帰ってない? お姉ちゃん、七時までお留守番頑張ってねってお願いしたでしょ?」
「うん……」
「ごめんね、お姉ちゃんがもっと早く帰ればよかったんだけど。寂しかったね、ごめんね」

 クリスマスプレゼントでもらったおもちゃで遊んでくれたらあっという間の一日だろう、なんて楽観視したのが良くなかった。おばあちゃん、話し好きだからきっと帰りが遅くなっているのだ。わたしがいろいろ、甘く見すぎたのだ。そのせいで翔太とひかりに寂しい思いをさせて、もしかしたら危険な目に遭わせていたかもしれない。そう思うとゾッとした。

「お姉ちゃん」
「うん?」
「お父さんとお母さん、いつ帰ってくるの?」
「え」
「サンタさんにお願いしたけど、帰ってこなかった」

 一瞬で、全身から血が抜けたかと思うほどの、衝撃だった。まだ泣き止まないひかりを抱っこしたまま、翔太の頭を撫でていた手が止まる。
 おかしい。おばあちゃん、翔太とひかりはそれぞれおもちゃが欲しいって書いてたよってわたしに言ったのに。去年もそうだった。きっと今朝は欲しかったプレゼントを見て、弾ける笑顔を見せたのだろうと、思っていた。
 よくよく思い出せば去年のクリスマス、サンタさんへの手紙を回収するのはおばあちゃんの役割だった。七夕の短冊を見えないくらい高い位置に結ぶのはおじいちゃんの役割だった。誕生日に欲しい物を聞くのも、ご褒美に何が欲しいかを聞くのも、わたしじゃない。おじいちゃんかおばあちゃんのどちらか。わたしは二人から「こんなものをほしがっていたよ」と教えてもらっただけ。直接翔太とひかりから聞いたことはなかった。

「なんでお父さんとお母さん、帰ってこないの?」

 お父さんとお母さんは遠いところにお仕事だからしばらく会えないけど、頑張ろうね。良い子にしてたら早く帰ってくるかもしれないね。翔太とひかりにそう嘘を吐いたのは、わたしだった。翔太とひかりに寂しい気持ちを我慢させて今日まで良い子≠ナいさせたのは、紛れもなく、わたしだった。ひかりが「お父さんとお母さんに会いたい」と泣く。翔太も同じように泣く。父が三年間を過ごした体育館に、二人の泣き声が響いた。今まで両親に会いたいだなんて泣きじゃくることはなかった。二人とも。たまにぐずることはあったけれど、こんなに大泣きするのははじめだった。
 きゅっと唇を噛む。翔太の頭を撫でていた左手で翔太を抱き寄せると、余計に泣きはじめた。儘ならない。うまくお姉ちゃんをやれているつもりだったのに、全然だめだ。父に二人を託されたのに、全然、うまくいかない。そう笑ってしまった。

「お姉ちゃんが良い子じゃないからだね。お姉ちゃんがもっと頑張らなきゃね。ごめんね」

 そう言うしかない。だって、二人はこんなにも良い子で、頑張っている。これ以上頑張ることなんてないのだ。もうこれ以上頑張らなくて良いのだ。すべては嘘を吐いたわたしが悪いのだから。
 このままでは部活に迷惑をかけてしまう。今も完全にバレー部の人たちはびっくりして固まったまま置き去りなのだから。今日はもう帰らせてもらおう。着替えはもういいとして、荷物を取りに更衣室に行かなくてはいけない。ここから結構距離がある。二人を歩かせるのはなんだか可哀想で、とりあえず体育館の隅っこに移動させてどうにか座らせた。
 くるりと振り返って監督とコーチに駆け寄る。なんだか申し訳ない。変なところを見られてしまった。部員たちもさすがにわたしの家庭環境のことが分かってしまっただろう。多くは語らず、へらりと笑うしかできない。「荷物だけ取ってくるので、少しの間あそこにいさせてもらっていいですか」とお願いする。コーチは二つ返事で了承してくれた。頭を下げてから、また翔太とひかりに駆け寄って「お姉ちゃん、五分で戻ってくるからここにいてね。できる?」といつものように聞く。この聞き方もきっと良くないのだ。良くないと分かっても、今はそう聞くしかできない。ひかりは泣いていて返事ができなかったけど、翔太は泣きながら「うん」と言ってくれた。


戻る