とりあえずどうにか結婚の挨拶が終わると、が「あ、わたしちょっと近所の人のところ行くね」と大慌てで立ち上がる。送って行こうかと聞いたら「歩いてすぐだから。ちょっと待ってて、ごめん」と言ってリビングから出て行ってしまった。弱った。翔太くんとひかりちゃんと俺、三人になってしまった。
 同じく気まずかったらしい翔太くんが「あの、俺、ちょっと部屋に……」と言って席を立つ。どうやら人見知りらしい。昔、高校に迷い込んできたときは楽しそうに天童さんに肩車されていた気がするけど。まあ子どものときの性格はあまり当てにならないものだ。「お構いなく」と当たり障りのない返答をすると、会釈してからリビングから出て行った。
 普通に怖い。翔太くんが出て行っても、ひかりちゃんだけは席から動くことはないまま、ただただ俺をじっと見ていた。無表情というわけではないけれど、好意的ではないということが分かる顔をしている。裏表のあるタイプ、というわけではなさそうだが、恐らくひかりちゃんにとってという存在が地雷そのものであることは察する。そうじゃなきゃこんな顔はしないだろう。

「あたしの≠ィ姉ちゃんね」

 唐突に口を開いた。少しびっくりしてしまいながらひかりちゃんに視線を向けると、にこりと愛らしい笑みを向けられた。「あたしの笑った顔が好きだっていつも言ってくれるんだ」と元気な声色で言われる。ひかりちゃんの笑った顔は確かに、明るくて無条件で人の気持ちを晴れさせるんじゃないかと思うくらい愛らしいと思う。愛されて育ってきたのだろうと確信できるほどだ。がどれだけ大切にしてきたのかが分かる、そんな笑顔をしている。その愛らしい笑みのまま両手で頬杖をついて「だからね」と言った。

「お姉ちゃんを泣かしたり、お姉ちゃんに怪我させたりしないでね。白布さん」
「……しないよ。好きで結婚するんだから当たり前だろ」
「本当に? 本当にお姉ちゃんって白布さんのこと好きなの?」

 鋭いところを突いてくる。間髪入れずに「好きだよ」と返しておいたけれど。本当にあなたは姉のことが好きなのか≠ナはなく本当に姉はあなたのことが好きなのか≠ニ聞いてきたところに恐怖を感じる。女性はどうしてそういうところに鋭いのだろうか。思わず視線を逸らしてしまうと、ひかりちゃんが「へえ、そうなんだ」と言った。やけに楽しそうに。

「必ず幸せにします≠チて言ったもんね? あたし、ちゃんと見てるからね。ずっと。妹にはそういう義務があるでしょ?」

 玄関のドアが開いた音がした。ひかりちゃんが「あ、お姉ちゃんだ」と席を立ってリビングのドアを開けに行く。開けて顔を覗かせるとすぐに「ごめん、先に行ったほうがいいかと」と言うの声が聞こえた。どうやら入院中に世話になったようだ。がリビングに入るのとほぼ同時に階段を下りてくる足音も聞こえた。翔太くんだ。三人揃ってリビングに入ってくると改めて「結婚おめでとう」とひかりちゃんが言った。
 そこから家をどうするのかという話になった。翔太くんとひかりちゃんはが家から出て行くと思っているらしい。もその辺りは深く考えていなかったらしく少し固まっている。それが一般的なのだろうけど、翔太くんとひかりちゃんはまだ学生だし、そもそも俺はそれを望んでいない。「俺がここに住まわせてもらうつもりだったけど」と言ったらひかりちゃんが分かりやすく目を丸くして「ここに?!」とどこともなく指を差して言った。
 正直ここに住まわせてもらったほうが利点が多い。俺が務める病院からものすごく遠いわけでもないし、車さえあれば不便はない。はこれまで通りの生活ができるし、翔太くんとひかりちゃんも同じく。これ以上ない利点だ。俺がいたほうがたちにとって便利なこともあるだろう。
 仕事のスケジュール的にすぐ引っ越してくるのは無理だな。少しずつ荷物を運ばせてもらうしかないか。休みの日に一気に移動させればそこまで時間はかからないだろうし、それで十分か。そんなふうに考えているとひかりちゃんが「結婚式するの?」と聞いてきた。

「うーん、特にするつもりないかなあ」
「は? するぞ。できれば三ヶ月後には」
「え?! するの?!」
「当たり前だろ。後で気が変わってやっぱりやる≠チてなったほうが散々だぞ」
「な、ならないと思うけど……なんで?」
「その頃には俺が確実に医局に入ってるから、びっくりするくらいの人数を招待することになるし、費用もとんでもないことになる」
「そ、そうなんだ……?」
「そうなんだよ。まあ、式が終わるまで入局届け出さないつもりだから安心しろ」

 と、いう無理やりの理由をつけたが本心はそういうわけではない。完全に下心だ。少しくらい、良い思いをしても咎められないだろうという。好きな子と結婚するんだからそういう行事は通っておきたい。それだけだ。絶対言わないけど。
 腕時計を見たら結構な時間になっていた。明日は仕事だし、そろそろ今日は帰ったほうが良さそうだ。三人揃って玄関まで見送ってくれた。会釈して車へ向かって歩きつつ小さく息を吐く。上手くいった、と言っていいのだろうけど。しばらくはひかりちゃんとの戦いだな。そんなふうに少し参ってしまった。


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