二〇二〇年、十二月。母校の大学病院に研修医として勤務をはじめてそのうち一年が経つ。窓の外に降りしきる雪を眺めて休憩を取りつつ、ため息がこぼれた。目の前に置かれた若い女性の写真。先輩の知り合いらしい同業者の一人娘だという。料理が得意で頭が良くて気立てのいい子だと説明された。結婚させるなら絶対に同業者じゃないとだめだ、と相談されて俺を勧めたとかなんとか。いや、なんで俺。そう苦笑いをこぼしていると「白布くん彼女いないだろ? この仕事だとなかなか恋愛もできないだろうしさ」と言われた。そんなことを言われても困る。どうにかこうにか断って事なきを得たが、もう、女性と付き合うのは無理だなと改めて思った。



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 仕事終わりに仙台駅に向かった。高校時代のバレー部OBで集まる忘年会のためだ。参加できないかと思ったが先生の気遣いで早めに上がらせてもらえた。まだ研修医だし手厚くしてくれているのだろう。どの病院も人手不足だし、最初から過酷な現実を見せると辞める可能性がある。だからだろうと勝手に予想している。
 久しぶりに太一も参加すると聞いている。あいつ今年こそは卒業できるんだろうな。若干そんなことを心配しつつ集合場所に行くともうすでに結構な人数が集まっていた。その中の一人、瀬見さんが振り返って「お、ドクター!」となんとも最低な呼びかけをしてきた。

「お久しぶりです。まだ研修医なんですけど、バンドマン先輩」
「本業は公務員だからな?!」
「はいはいセッターズ、会ってそうそう喧嘩するなよ」

 大平さんが愉快そうに笑う後ろから「お、久しぶりじゃん」と太一が顔を出した。「久しぶり」と挨拶を交わしてそうそうに太一が「あのゴム穴空け先輩大丈夫だった?」と笑いながら聞いてくるものだから蹴り飛ばしてやる。

「一年前に終わった話を蒸し返すな、胸くそ悪い」
「え、何? ゴム穴空け?」
「既成事実を作ろうと奮闘した白布の元カノです」
「ヤベェじゃん何それ、どういう話?」

 瀬見さんが大笑いしながらバシバシ俺の肩を叩く。痛い。やめろ。それを振り払っていると山形さんが「お前も苦労してんだな……」と苦笑いをこぼした。もうとっくに解決してるんで大丈夫です。そうため息をつきつつ言っておく。警察沙汰にもならず、あの人が卒業したらぱったり付き纏いがなくなった。今は当時の家からも引っ越しているし、もうさすがに何もしてこないだろう。あっちもあっちでもう男作ってるだろうし。
 昔の話は置いておく。今日は一つ上の代は海外にいる天童さんと、オリンピック代表選手として練習中の牛島さん、一つ下の代はプロチームで合宿中の五色が欠席だ。他にもちらほらと仕事の事情で欠席がいるが、概ね大体参加している。

「そういえばは誘ってねえの? バレー部のラインは抜けてたけど、個人的に連絡取れるやついるだろ?」

 びくっと肩が震えた。その名前を自分以外から聞くと思わなくて。瀬見さんの言葉に太一が「あー、誘っていいものか分からなくて」と苦笑いをこぼす。山形さんが「なんでだよ、いいに決まってるだろ」と笑った。だめなら断るしいいなら来てくれるだろ、と付け足して。今更言っても遅い。また次回な、と大平さんが笑った。
 瀬見さんが「そういえば前に居酒屋で会ったよな、」と山形さんたちに言った。三年生が「あーそうそう!」と懐かしそうにするのを黙って聞く。前っていつだよ。そう思いながら。

「確か〜……四年前か? 天童と牛島いたもんな?」
「あーそうだったそうだった! 居酒屋で働いてたよな、
「え、店員としてっスか?」
「そうそう。今年の会場そこにするかって言ったんだけど、もう潰れてたんだよなー」

 太一が「へー、居酒屋店員とか意外」と言った。意外、も、何も。は高校を辞めたあとは事務員として働くと言っていたのに。その会社は辞めてしまったのだろうか。瀬見さんたちが一様に「すっげー痩せててびっくりしたよな」と心配そうに言った。大平さんも山形さんもそれに心配そうに同調して「元気だといいけどな」とどこともなく空を見上げて呟く。
 痩せてたってどれくらいですか。働いてたって何時くらいのことですか。目の下の隈はまだありましたか。ちゃんと笑ってましたか。……そんな聞きたいことも聞けない。未だに忘れられないだけの、ただフラれた同輩。先輩たちはもちろん太一でさえも俺がのことが好きだったと知らない。
 の話はそこで終わって、全員が集まったからと店の中に入ることになる。太一が「就活終わったから褒めて」と言ってきたので適当に「ヨシヨシ、グッボーイグッボーイ」と言っておく。「犬かよ」と大笑いする太一の前を歩きながら、あの風に揺れるきれいな髪を思い出していた。
 体、大事にしろって、言ったのに。何痩せてんだよ。どれくらい痩せてるのか俺には分からないけど。目を瞑っても顔を思い出して、目を開けていても声を思い出す。忘れることは人間最大の長所だろ。忘れられてない俺は人間として欠陥があるのかよ。かき消すように、深呼吸をした。


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