春高一次予選を勝ち抜き、十月下旬に行われた代表決定戦の結果。白鳥沢学園、準決勝敗退。相手は伊達工業高校だった。これまでの公式戦での勝敗は圧倒的に白鳥沢が勝っていたが、フルゲームの末に敗れた。悪いゲーム内容ではなかった。けれど、悔しさが薄れることはない。
 強烈に思った。俺は自分で思っていたよりも、バレーボールが好きだったんだな。もっとバレーボール、やりたかったな。高い天井を見上げてぼんやり思う。死ぬほどつらかった受験を思い出した。どうしても白鳥沢でバレーがやりたかった。どうしてもトスをあげたい選手がいたから。どうしてもやりたいバレーがここでしかできなかったから。憧れの場所だったから。あの死ぬほどつらかった受験も、この三年間が終わった今やっと報われた気がした。その副産物はこの痺れるほど腹が立つ後悔だけど。けれど、この三年間はきっと、俺にとっては一生忘れることのない三年間になる。後悔は山のようにある。それでも、それ以上にここでバレーボールをやったのだという事実が、この上なく嬉しかった。

「白布さ〜」
「……なんだよ」
「三年間ありがとな〜」
「んだよそれ、気持ち悪いんだけど」
「ちょっと〜白布賢二郎が最後まで口悪いんですけど〜」

 けらけらと笑った太一が柔軟を終えて立ち上がる。結局一年から三年まで同室だった。はじめて会ったときは軽薄そうで気が合わないだろうと思っていたのに、三年間経ってみれば一番話しやすいやつだったな。柔軟を終えて立ち上がろうとする俺に手を伸ばしながら「瀬見さんじゃないけど、本当かァいくね〜」と笑った。二年のときに何度も言われた台詞だ。それ言われるとムカつくからやめろ。微妙に似てるし。そう笑いつつ、仕方なく手を取ってやる。

「三年間お疲れ」
「やだ太一泣いちゃう……」
「卒業できてよかったな」
「涙引っ込むわ。それな。本当に」

 俺たち三年生は今日で引退になる。五色がビービー泣いてうるさいのを三年が続々と叩いてやりつつ、コートから離れた。俺は高校でバレーを辞める。卑屈だから言うわけじゃないと主張しておくが、俺には特別な才能があるわけでも優れた身体能力があるわけでもない。白鳥沢学園男子バレーボール部という場所でなければ、特筆するところがあるようなセッターではなかった。絶対的に。
 けれど、白鳥沢学園男子バレーボール部という場所が、俺に少しだけ付加価値をくれたのだ。このチームのカラーに最も見合ったセッターは白布賢二郎である、というこの上なく光栄な付加価値を。それだけで俺のバレーは満ち足りた。本当に、これ以上ないくらいに。
 きっと一生忘れない。はじめて憧れの選手にトスを上げたあの感覚を。はじめてこのチームのセッターとして勝利を掴んだその瞬間を。はじめてトスを呼ばれたあのときの誇らしさを。きっと一生、忘れられない。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「成績は申し分ないですし、模試の結果もとてもよかったですから大丈夫でしょう」

 担任が気楽そうに母親に言う。簡単に言ってくれやがって。良い点を取るためにどれだけ苦労していると思っているんだ。大丈夫でしょう、とか軽々しく言うなよな。内心そう思っていると母親がにこにこと笑いながら少しだけいつもより高い声で「あら、そうですか」と言った。その声にビクッと肩が震える。この声、イラついているときの声だな。母親も俺と同じで担任の言葉に何かを感じているようだ。怖いから聞かないけど。
 母親は最後までにこにこと笑顔を絶やさず三者面談を終えた。教室のドアを閉めてしばらく歩いたのち、俺のほうを見て「賢二郎の担任の先生、やっぱり変な人ね」と言った。俺の母親が言う変な人≠ニいうのには裏の意味がある。基本的に母親が個人的に気に食わない、好きではない人にしか言わない言葉だ。ちなみに三年に進級したときからずっと言い続けている。余程馬が合わないのだろう。悪い人ではないのだが今一歩、こちらに無関心というか。放任主義すぎる感じがどうも母親からすると無責任に見えるらしい。

「もう大学ではバレーしないのね」

 びっくりした。まさか母親がそんなことを言うと思わなかったから。驚きすぎて「まあ、うん」と気の抜けた返事をしてしまう。そんな俺に母親は「それは残念」と小さく笑った。それにどういう意味が含まれているのかはよく分からない。でも、そんなに悪い意味ではないだろうということは分かった。母親は正面を向き直して「お疲れ様」とだけ言って、それ以上何も言わなかった。


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