「ウシワカいない白鳥沢、大したことねーな」

 練習試合が終わって相手校が帰っていく中、そんな言葉が聞こえてしまった。いや、お前ら負けただろ。フルゲームだったけど。二試合してどちらも俺たちの勝ちだった。まあ、確かに、牛島さんたちがいるときだったら一ゲームも取られなかっただろう。でも、勝ちは勝ちだ。練習以上のことができた瞬間も多々あったし、逆もある。とりあえず帰ったらサーブ練だな。そう全員がげんなりしている。
 五色が誰よりも悔しそうにしている。牛島さんがいなくなったチームのエース。どの学校のやつも自然と牛島さんと五色を比べることが多い。元々ずっと牛島さんに対抗意識を持っていたし、本人はずっと牛島さんを越えてみせる、と大口を叩いていた。誰より悔しくてもおかしくはない。
 二年生になった五色は、去年に比べてどこか焦っているように見えた。去年もかなり生き急いでいるというか、早く周りに認められたいという気持ちが強すぎるところがあった。でも、今はそれとは少し違う。自分が自分に納得できていない。そういうふうに見えた。焦ったっていいことはない。そう主将に言われても何となく納得していなくて、どこか悔しそうに俯いている姿をよく見た。
 試合中の五色はいつもよりタイミングが速かったり集中できていなくて高くジャンプできていなかったり、とにかく何もかもがバラバラだった。気持ちは上を向いているのに体は横に動いている、みたいな。一年のときは焦ることはあってもそういうことはあまりなかったのに。

「五色」
「あ、はい!」
「打ちにくかったか?」
「え?! いえ! なんでですか?!」

 声がでかい。思わず眉間にしわを寄せてしまう。五色ってこんな感じだったか? いつもうるさくてやたらやかましいけど、こんな、シンプルに声がでかくてうるさいと思ったことはそんなになかった気がする。なんとなく引っかかる。
 そんなふうに思っていると、珍しく太一が横から「キレキレストレート健在だったじゃん」と五色を褒めた。調子に乗るからやめろって言ってんだろ。内心呆れていると、五色は「あ、はい」と俯きがちに呟くだけだった。去年の五色ならもっとこう、馬鹿みたいにうるさく騒いだだろうに。元気がない。体調が悪い、というわけではなさそうだ。五色はお調子者だが自己管理はしっかりできているし、責任感も強い。試合前に体調を崩したところなんて見たことがない。
 ぎゅっと硬く拳が握られている。それを見てふと思った。もしかしてこいつは今、自信を失っているのではないだろうか。知らず知らずのうちに比べられて、勝手に評価されて、分かりやすく良くない評判を言われて。五色は秀でた選手ではあるが、正直、牛島さんと比べられてしまうと秀でた選手≠ナ止まってしまう位置にいる。それは五色だからではなく、誰であろうと牛島さんと比べればそうなってしまうのだ。それほどまでにあの人は規格外だった。仕方のないことだけど、五色は本気で牛島さんと競おうとしていたし努力も怠らなかった。だからこそ、当然のように自信を失っているのではないだろうか。
 今の白鳥沢には五色を無意識に煽てる瀬見さんもいないし、優しくフォローする大平さんもいない。無自覚に鼓舞する牛島さんもいないし、からかいつつも認めていると分かる言動をする天童さんもいないし、理解者として力強い言葉を贈る山形さんもいない。俺たちの代で唯一何かとよく褒めていたもいない。今の俺たち三年生はどちらかというと調子に乗りがちな五色のブレーキになるやつが多い。アクセルを踏む役割を担う部員がいないのだ。
 これまで五色のことだけを見て五色の調子を見ていた節がある。広く、コートの中で誰がどういう役割をしていて、というざっくりしたことは分かっていたが、それがどういう効果をもたらして、誰にとって必要なのかという深いところまではちゃんと理解できていなかったのかもしれない。一人一人の性格を知っていたつもりだったのに、結局は選手としての能力や誰が見ても分かるようなことしか俺は見ていなかった。今この瞬間、相手に何が必要なのかを思い描けていなかった。そう気付いた。

「五色」
「あ、はい!」
「このチームのエースはお前なんだから、しっかりしろよ。次は頼むぞ」

 太一が小さな声で「意外〜」と呟いたのが聞こえた。ちょっと笑っている声にムカつきつつ無視。セッターの務めだし、それに、五色の無鉄砲だけどとにかく努力は怠らないという姿勢は嫌いじゃない。それだけだ。別に元々嫌っているわけじゃないし。ちょっと鬱陶しいなって思うことが多々あっただけだ。
 五色がぽかん、と口を間抜けに開いたまま固まった。数秒のタイムラグがあってから「あっ、ハイ! 頑張ります!」と騒がしいけれどうるさいとは思わない声色で言った。そうしてりゃいいんだよお前は。そう軽く頭を叩いてやったら、久しぶりに五色が笑った顔を見た気がした。
 賢二郎、物事は広く見るんだぞ=B父親の言葉を思い出した。一箇所だけに集中してしまうとたくさんのものを見落としてしまうから、広くたくさんのものを見ていられるような目を持てと言われた。子どもの頃に言われたそれに ひどく納得して今の俺があるが、広く見ると、深いところがよく見えなくなる。どうしてこいつは今そんなことを言ったのだろうか。どうしてこいつは調子が悪いのだろうか。他人が原因でそうなったことに対しては対処ができたけど、一人で考え込んで落ち込まれると途端にどうしてなのか分からなくなる。広く見て見落とすものも、狭く見て見落とすものも、同じくらい見落としてしまったらもったいない要素だ。極端にどっちかに寄ってしまうと、思わぬところに落とし穴がある。視野をどう持つか、状況に応じて変えなければいけないということを俺は失念していたのだ。
 よく見ろ、馬鹿野郎。監督に言われた言葉の意味がよく分かった。見ているようで見ていなかったんだな、俺は。分かった気でいて分かっていなかったのだ。
 よく見る努力をすれば、のことももう少し違った見方ができたのだろうか。ぽつりと呟くようにそう考えてしまう。は今頃何をしているのだろう。目の下にできた隈は少しでも薄くなっただろうか。いつも曖昧な笑みを浮かべていた日々は少しでも彩り豊かな日々になっているのだろうか。分からない、分からないけれど、そうであってほしいと心から思った。



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 三者面談の日程が決まった。再来週の月曜日から翌週の水曜日までのどこかで希望を保護者に聞くように、と教師が説明していたのを思い出す。寮に入っている生徒の分は自宅に書面で郵送されている。届いたそれをすぐに開けたらしい母親から「再来週の水曜日が都合いいからその日にしておいて」とラインが入っていた。それに返信しようとラインの会話一覧を見たとき、のアイコンが目に入った。個人的にラインを送ったことはない。は普段からあまりスマホを見ないと言っていたし、連絡事項は基本的に口頭で伝えてくるタイプだった。一度だけが間違えて俺のボールペンを持って行ってしまったときに「ごめん」と来たのが最後。そのときのボールペンは今もペンケースに入れてある。我ながら、気持ち悪いが。
 不思議な感覚だ。連絡先も知っているし、今でも声をはっきり思い出せるし、顔も当たり前に覚えている。それなのに、もう、何か特別な理由がなければ会えない。廊下ですれ違うこともなければ体育館でボトルを渡してくれることもない。会いたいという理由だけで会ってもらえるほど、俺はの中に介入できていない。賢二郎くんにだけは=Aそんな存在になれるわけがないまま。
 忘れよう。どうせ手を伸ばしたって届きはしない。もう気軽に会える存在ではなくなったのだ。ずっと想っていたってからしても迷惑な話だろう。鞄に入れてあるペンケースを取り出した。中からが間違えて持って行ったことがあるボールペンを出す。もうインクはとっくになくなっている。替え芯はあるけれど替えずじまいだ。未練がましい。自分のことを鼻で笑ってから、ボールペンをごみ箱に入れた。


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