二〇一三年五月下旬、月曜日。六限目が終わり、理系U類コースに進んでいる俺は月曜日と水曜日は七限目まで授業がある。バレー部には俺を含めて文系U類・理系U類の所謂特進コースに進んでいるやつがいて、月曜日と水曜日は部活に数人遅れることが常となっている。
 文理系T類、所謂進学コースを選択している生徒が帰宅のために廊下を歩いている中、七限目の教師に頼まれて授業準備のために職員室に向かう。その途中、部活に向かう太一と鉢合わせた。「七限目とか頭おかしいだろ……」とげんなりした顔をする。お前が受けるわけじゃないからいいだろ。そう言って軽く肩を叩いてやった。
 職員室が見えてきたくらいのところで、ふと視線の先にがいるのが見えた。職員室から出てきたところらしい。は成績がいいのに特進コースではなく進学コースに進んでいる。成績順でその中でさらにクラスを分けられるのだが、成績優秀者が集まっているクラスにはいるのに、本人の口から大学進学の話を聞いたことはない。進学するつもりはないのだろう。それを無責任に、もったいないと思う自分がいる。
 は俯きがちに踵を返す。昇降口のほうへ向かうようだったから、更衣室に行くのだろう。声くらいかけようかと思った、けど。の俯きがちな横顔が、やけに、暗くやつれているように見えて、声が出せなかった。
 ここ最近、なんとなく元気がなくなったように見えた。部活中も、校内で会うときも、俺が好きじゃない笑顔も多いけど、なんとなく、とりあえず笑っておこうみたいな。考えることをやめているというか。ふと周りに人がいなくなった瞬間にため息にも似た深呼吸をしているところも何度も見た。それがどういう意味なのかを俺は知らない。
 少しずつ顔色が悪くなって、少しずつ痩せていく。そんな気がして、気になって気になって、仕方がなかった。



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「六月で退学することになりました」

 部活開始前、主将と副将である俺は監督とコーチに呼ばれて、滅多に立ち入ることがない関係者控え室に入った。そこにはがもうすでに待っていて。苦笑いというか、申し訳なさそうな、俺が全然好きじゃない笑顔を浮かべていた。
 退学は六月末だが、部活はもう今日で退部するのだという。は終始笑顔で「急な話ですみません」とどこか他人行儀に俺と主将に言った。詳細な事情は話されなかった。は「家庭の事情で」としか言わなかった。
 もうは、明日から体育館にいないのか。うるさい五色をなだめるも、こっそり休憩をしようとする太一を叱るも、同輩たちが馬鹿騒ぎするのを少し離れて楽しそうに見るも、俺に調子はどうか聞いてくれるも。もう、明日からいない。

「マネージャーではなくなりますが、応援しています。頑張ってください」

 笑顔でそう言った。応援しています。頑張ってください。なんて、他人行儀な言葉だろうか。の顔は確かに笑顔だった。けれど、やっぱり、俺が好きな笑顔はどこにもなかった。
 がマネージャーとして体育館にはじめて来た日のことをよく覚えている。誰が見ても分かるくらい表情が綻んでいたから。そんなにバレーが好きなら女子バレー部に入ればいいのに。運動神経があまり良くないタイプなのか、男子バレーは好きなタイプなのか。どちらにせよ、普通に仕事をしてくれればそれでいいけど、とか思ったことも覚えている。
 でも、にとって特別なのはバレーボール≠ニいう競技であることではないのだと悟ったのは結構早かった。は宮城県内の強豪校のことなんて全く知らなかったし、県外も同じく。ルールは知っているみたいだったけど、実際練習がはじまると結構戸惑っていることが多かった。
 なんだ、バレーが好きなわけじゃないのか。そう思いながら少し離れて見ていて、にとっては白鳥沢学園男子バレーボール部≠ェ特別なのだと分かった。体育館に入って顔をほころばせたのも、ユニフォームを見て嬉しそうにしていたのも、部活中ずっとどこか楽しそうに見えたのも。ここが白鳥沢学園男子バレーボール部≠セからなのだ。そう思って、とても、親近感を覚えたことを何よりも覚えている。
 にとっての特別が、もうの手元からはなくなってしまう。それを今どう思っているのだろう。は自分のことをあまり話すタイプじゃない。何をどう思っているかなんて、もっと話さない。嫌だったとか嬉しかったとか、こうしたかったとか。
 思えば俺は何一つのことを知らないままなんだな。ぼんやりそう思う。知りたいと思っても知ろうとはしなかった気がする。そして、もう、知ることはできないのだろう。それを素直に「嫌だ」と思う自分がいた。


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