「顔死んでんだけど」

 一月八日土曜日、午後六時前。個室居酒屋の店前で瀬見さんにそう笑われた。その隣で太一がけらけら笑って「今から戦場に行く兵士じゃん」と言う。くそ、他人事だと思いやがって。いやまあ他人事だけど。
 瀬見さんと太一、の後ろに三人。なんで呼んだ。そう思いつつ「お久しぶりです」と声をかけた。大平さん、山形さん、そして五色。「久しぶりだな」と朗らかに笑った大平さんの様子からして、事情を話したわけではないらしい。山形さんも普通だし五色もいつも通り元気だ。

「あの~、お三方。後出しで申し訳ないんですけども」
「なんだよ?」
「今からこの居酒屋は修羅場になりますので、ご了承お願いします」
「は?」
「修羅場? 何のですか?」
「白布賢二郎冬の大謝罪祭りが開催される予定なんで」
「パン祭りかよ。え、謝罪? 何に?」
「お三方は、まあ尊い犠牲という感じなので最後まで逃げずにお願いします」
「いや、だから何の?」

 不思議そうにする大平さんが「賢二郎、何かしたのか?」と首を傾げた。説明が雑なんだよ太一。というかなんで呼んだんだよ、事情を知らない人を増やすな。そうイライラしていると瀬見さんが「人が多いほうが逃げられにくいっていう川西の案だから」と説明してきた。お気遣いどうも。そうため息をつく。
 瀬見さん曰く牛島さんは海外にいるから行けない、と連絡があったそうだ。それをなぜか謝ってきたけど、正直牛島さんにこんなところを見られたら一生立ち直れない。未だにしっかり俺にとって憧れの選手だ。むしろ予定が合わなくてよかった。そんなふうに思っていると五色が不安そうに「え、俺どうしていればいいんですか?」と太一に聞いていた。

「とりあえず大平さんたちは無視して楽しく飲むも良し、混ざってどちらかの陣営に入るも良しって感じなので」
「陣営って何? なんだ、戦でもはじまんのか?」
「事情は説明してもらえない感じなんだな……」
「まあ、客観的意見もあったほうがいいかと。先入観を持たせないためですね」
「怖いんですけど……」
「ちなみに俺は不本意ながら白布側です。心の底から嫌ですけど」
「白布側と誰側があるんだ?」
「すぐ分かります」

 胃が痛くなってきた。俯いてため息をついていると五色が「だ、大丈夫ですか?」と声をかけてきた。大丈夫じゃねえよ。そう返す元気もない。五色はあわあわしていたが、瀬見さんが「ちょっと今は本当に余裕ないから」と苦笑いでフォローしてくれた。どうもです。内心でそう返しつつ、俯く。クソ、コートからまだ若干甘い匂いがする。どんだけキツいの使ってたんだよ、あの人。クリーニングに出さないと取れないやつかよ。匂いが取れるまで着ないでおこうとクローゼットに入れていたけど、外に出しておけばよかった。
 三日前、さんと病院で会った夜に瀬見さんに電話した。着信拒否な上にトークアプリでブロックされている。もうお手上げだから、手を貸してください。誤解してそれなりにひどいことを言ったことを謝罪してからそう言えば、瀬見さんは「まずは説明からどうぞ」と笑いつつ、話を聞いてくれた。太一に話したのと同じクリスマスの夜の出来事を淡々と説明すると瀬見さんは「白布がそう言うんなら俺は信じる」と言うものだから、ちょっと泣きそうになった。太一でさえ若干疑ってきたというのに、この人、学生のときから変わらないな。ここ最近ずっと人に信用してもらえない日々だったからうっかりだ。もちろん泣いてなどいない。
 瀬見さんにこんこんと注意された。さんが話す時間を与えずに背中を向けたことにもそうだし、ちゃんと事情が分かっていないのにひどい言い草をしたことも。素直に俺が悪いことは分かっているから「すみません」と口にしたら、瀬見さんは電話越しでも分かるくらいびっくりした様子で「お、おう」と言っていた。なんですか。俺が悪いんだから謝るに決まってるじゃないですか。そんなふうに思いつつ。
 でも、どうしても一つだけ分からなかったことを、瀬見さんに言ってみた。さんはどうしてあのとき、俺にすぐ言ってこなかったのか。クリスマスの夜に一緒にいた人は誰、と聞いてこなかったのか。うちに来たときもそんな素振りは見せなかったしクリスマスの話題すら出してこなかった。聞いてくれればよかったのに。思わずそんな言い方をしてしまったので慌てて「いや、俺が悪いのはそうなんですけど」と付け足す。瀬見さんはしばらく黙ってから「え、お前、分かんねえの?」と信じられないと言った様子で聞いてきて。分からないから聞いてるんですよ。そう言ったけど、結局瀬見さんは教えてくれなかった。
 その電話のあと瀬見さんと会って少し話をしたけど、俺の顔色が悪いからもう帰れ、となぜか瀬見さんに謝られた。体調悪いのに呼び出してごめんな、と。変な人だな。そんなふうに思いつつ「すみません」と俺も謝った。瀬見さんは俺に「まあ任せとけ」と頼もしく言ってくれていたが、まさか、こういうことになるとは。太一の入れ知恵が一番あれだけど。
 山形さんが「やばい、俺分かったかも」と苦笑いをこぼした瞬間だった。五色が「あ!」と嬉しそうな声を上げた。それから続けて太一が「選手入場です」と遠い目をして言うと、大平さんが「ああ、なるほどな。まあとりあえず久しぶりだな」と軽く手を振った。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「大丈夫? 疲れてない?」
「久しぶりにはしゃぎすぎたかも。明日足筋肉痛だな~これ」
「運動不足だね~! ま、最後はお酒でも飲んでのんびり話そっか~」

 天童はそう言って電車を降りる。駅前にいいところがあるから、と言って歩き始めたのでわたしもついていきながら、また思い出話。いくら話しても尽きない。天童はにこにこしてわたしの話を聞いてくれていたけど、改札を出て駅からも出るとき、ふと「ちゃん」とわたしを呼び止めた。足を止めて「うん?」と天童の顔を見上げると「あ~、うんと、ごめんね?」と言う。え、何が? そんなふうに首を傾げたら「こっちの話~」と若干しょんぼりした顔で言うものだから気になって。歩きながら「何が?」と聞いてみるのだけど教えてくれない。どうしたんだろう、急に。
 そう思って駅から出て飲み屋さんが立ち並ぶ道を歩いて行く。そうして、少ししたところで天童が突然わたしの手を掴んだ。え、何? 人混みってわけじゃないし、はぐれないよ? 天童はそう言うわたしに「ごめんね~」とまた言って歩いて行く。だから何が?

「あ!」

 耳に突然入ってきた聞き覚えのある元気な声。あれ、今のって。そう道の先に目を向ける。背の高い黒髪がぶんぶん大きく手を振って「天童さん! さん!」と笑っていた。そのあとに「お久しぶりです!」と続けて。五色。こんなところで偶然だね、と天童の顔を見て言うと「ウン……」となぜだか元気がない。え、なんで? 不思議に思ったけど、久しぶりに会った後輩に手を振り返しつつ近付いていくと、気が付いた。
 五色の隣に大平がいる。その隣に山形。そして、その少し後ろに川西と瀬見。明らかに偶然にしては人数が多い。まさか。そう思って天童の顔をまた見上げると、罪悪感たっぷりです、と言い出しそうな表情で「ゴメンネ……」とわたしの手を握る力を強めた。
 急ブレーキ。天童も「ごめんってば!」と言いつつ一旦立ち止まるけど、わたしの手を離さない。天童に手を掴まれたまま駅のほうへ戻ろうとするけど、まあ力で勝てるわけがない。天童も「俺もヤダって言ったもん!」と言いつつわたしを引っ張る。ヤダって言ったとしても結局こうなってるじゃん。そう非難したら「だからごめんってば!」と言ってわたしを引っ張る力を強めた。

ちゃんごめんね」
「……もし事情を知っても、天童はわたしの味方してくれると思った」
「ほら~もう~! 英太くんのせいだからね?! どうしてくれんの?!」
「……瀬見に頼まれたんだ。瀬見も味方してくれると思ったのに」
「英太くんも言われてるよ?! ちゃん怒ってるよ?!」
「マジで?! ごめんって! いや本当! 良かれと思って!」

 ダッシュで瀬見が近寄ってくる。その間も天童と引っ張り引っ張られをしていると、ちらりと見えた。川西の後ろ。隠れるように白布がこっちを見ている。なに。見てるだけで来ようとしないんだ。来ても全力で逃げるけど。天童の手を思いっきり揺さぶって逃げようとするけど力が強い。天童ってこんなに力強かったっけ。高校時代にもそんなイメージなかったんだけど。やいのやいのしていると、駆け寄ってきた瀬見に反対の手を掴まれた。これ、完全に良くない光景だよ、二人とも通行人に誤解されるんじゃないの。そう思ったらなんとなく気が引けて、一旦暴れるのをやめた。
 瀬見は必死な顔で「いやマジで別に白布の味方とかじゃないから!」と言う。どこが。こうやってわたしのことを騙してるんだから味方してるじゃん。俯いたまま早口で言ったら瀬見は「ウッ」と言ってから黙った。天童と瀬見に両腕を掴まれたまま、沈黙。道行く人たちがちょっと不思議そうにわたしたちを見ているのがよく分かる。
 せっかく天童と久しぶりに会えて嬉しかった気持ちが消えた。楽しい土曜日だったのに。なんでこんなことするの。そう俯いたまま鼻をすすったら天童と瀬見の手がそれぞれ震えた。

「いや、あのね、別に話さなくても良いからさ、お店予約だけしてあるから、ね?」
「そうそう、ここ何でもおいしいから。俺の知り合いの店でさ」

 なんとかわたしを宥めたい様子がひしひしと伝わってくる。仕方なく俯いていた顔を上げて、二人をじろりと見る。なぜだかちょっとビクつかれたけど無視。じっと瀬見を半ば睨み付けるみたいな目で見てしまった。

「それなら近付けないで」
「ハイもちろん! 川西! 距離!」
さんすみませんでした! 俺マジで不本意なんで! 仕方なくこうしてるだけなんで!」

 川西が珍しくそう大きな声で言ってから、白布もろとも集団から距離を取った。それを不思議そうに五色が「どうしたんですか?」と言っているらしい。大平がなんとかフォローして、一旦その場がちょっと落ち着いた。

「とりあえず、ネ? ほら、工もいるよちゃん。かわいいかわいい後輩だよ~」
「瀬見」
「あ、ハイ」
「この前のことは感謝してるし、申し訳なかったなって思ってるけど」
「ハイ」
「天童がいなかったら帰ってるからね、わたし」
「天童マジでありがとう」
「俺もあとでめちゃくちゃ文句言ってもいい?」
「どうぞ! 喜んで!」

 ぱっと瀬見が手を離した。天童は掴んだままだったけど、もうそんなに強い力じゃなかった。仕方ない。瀬見にも天童にも迷惑はかけている自覚はある。ここは大人の対応をしておくべきだろう。そんなふうに自分を納得させて、歩き始めた瀬見の後ろを天童とついていく。
 久しぶりに会った三人に声をかけられる。大平と山形は明らかに顔が引きつっていたけど知らんふりしておくことにした。どうせ事情も説明せず瀬見か川西が呼び出したんだろう。完全に被害者だ。ごめんね。そう内心で思いつつ笑って話をした。
 左側に天童、右側に五色、正面に大平と山形。瀬見はこっそり集団を離れて川西に声をかけに行った。こっそりしてないよ。すぐ分かるから。一生懸命近況を話している五色に相槌を打ちつつそう思う。どんなつもりでこんな飲み会をセッティングしたのか知らないけど、とりあえずは楽しまなきゃ損か。そんなふうに割り切ることにした。
 六時からの予約らしく瀬見が先に店に入っていた。続けてわたしたちも入っていこうとすると「あの~」と気まずそうな川西の声。天童が「な~に~?」と返せば「お店には入ってもよろしいでしょうか~……」と川西がわたしを見て言った。その後ろで白布も気まずそうな顔をしている。コート。それ着てきたんだ。ふうん。そんなふうに思いつつ「人数足りなかったら店員さんに迷惑かかるからいいんじゃない」と言えば、川西が「アザース」と無理やり笑いながらついてきた。


top / 19.たおやかに瞬き