朝、目が覚めてスマホを手に取ると、着信やメッセージが合計十七件入っていた。一応確認するとほとんどが白布からのものだったけど、一件は予定を聞いた友達からの「ごめん、その日用事ある!」という涙マーク付きのメッセージ。そして、一件は姉からのメッセージだった。何かと見てみれば「明日のお昼、時間ある?」と来ていた。でも、用件は書かれていない。
 一年前に結婚した姉は仕事を辞めた。関東のほうで生活をしていたのだけど、年末に旦那さんが海外に出張へ行ってしまったので今は実家に帰ってきているという状態だ。旦那さんはとても真面目で誠実な人なのだけど、ちょっとそれが行き過ぎるところが玉に瑕、と姉が笑っていたのを思い出す。良い人に出会えてよかった。昔から何かとわたしの心配をしてくれる姉の幸せが素直に嬉しかったなあ。
 「空いてるよ」とメッセージを送っておく。何の用だろう。ご飯のお誘いだろうか。正月は、まあ、いろいろあって家族とあまり話せなかったし。それに関してはちょっと申し訳なかった。家族だからって甘えてしまったな、と反省した。そんなふうにため息をついていると、姉から返信があった。珍しい。大体休みの日は遅くまで寝ているのにもう起きてるんだ。意外に思いつつメッセージを開いてみると「ちょっと付き合ってほしいんだけど」とだけ来ていた。だから、何に? 首を傾げてしまいつつも別に用事もないし、ご飯に誘った友達からは予定があるからごめんと返信が来ていた。姉とゆっくり話す時間もほしかったし。そう軽い気持ちで「いいよ」と返事をしておいた。
 年末に大掃除をしていなかったので、部屋の中を軽く片付けることにした。洗濯機を回してから水回りを掃除して、掃除機をかけた。この際だからいらないものを一気に捨ててしまおうか、と思って細かいところに手を付けていく。もう読まない雑誌、買ってからだいぶ経った化粧品、着なくなった服。いろんなものを一旦袋に詰めていく中で、手が止まる。クッキー缶。化粧台の上に置いてあるそれに、恐る恐る手を伸ばした。
 白布がくれたかわいい缶。わたしにマフラーを返すとき一緒にくれたものだ。ずっと大事なもの入れとして使っている。中にはわたしの卒業式のときにくれたバレッタと、付き合い始めたときのホワイトデーにくれたバレッタ。他にも白布がくれたアクセサリーが入っている。いらないもの、に、なってしまうのかな。わたしみたいに。そう小さく笑って缶ごと袋に入れ、ようとして、やっぱり手が止まってしまう。なんだか情けない気持ちになりつつ、そっと元の位置に戻してしまった。
 午後二時、休憩に入ったらしい白布からたま連絡が入っていた。もう二時だよ。今がお昼休憩なのだろうか。そんなに忙しいんだね、研修医って。お昼が遅くなることが多いとか、たまに食べ損ねるとか聞いたことはあるけど、こんなふうに実感するのははじめてだった。
 「すっきりするよ!」と着信拒否のやり方を教えてくれた瀬見の妹さんの顔を思い出した。すっきり。今のわたしが求めている状態第一位がそれだ。何をするにも何を考えるにも、絡みついてくる白布の存在が重い。一瞬でも忘れられるならそれもありか。そう思って教えてもらった通りに設定をしてみた。このまま、終わっていくんだろうな。あんなに好きだったのに今は思い出すと気持ちが重くなる。それがどうにも、つらかった。



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 仕事が終わってさんに電話をかけたら通話中だったらしくビジートーンがすぐに聞こえてきた。さんが俺からの電話を取らなくなってはじめてだったから少し驚く。誰と電話しているんだろう。考えても分かるわけがない。仕方なくスマホを一旦机に置いて夕飯を食べた。
 それから十分置きくらいにさんに電話をかけたが、いずれもビジートーンが聞こえるばかりで一向に電話が繋がらない。電源を切っているのかと思ったけど、電源が切れている場合はアナウンスが流れるはずだ。何かがおかしい。不思議に思ってネットで検索をしてみると、考えられる可能性は着信拒否だと大体どの情報サイトにも書かれていた。着信拒否。その言葉に衝撃を受けてしまった。
 さんに、分かりやすく拒否されたことは一度もない。さんが嫌がることをしないように努力している自負はあるけど、それにしてもさんは俺が何をお願いしても何をしようとしても了承してくれていた。拒否されたことなんて一度もない。そんなさんが、着信拒否設定をしてきた。それがあまりにも衝撃的で。
 床にそのまま横たわる。なんか、もう、どうしたらいいのかさっぱり分からない。昔からそれなりに勉強はできるほうだと思っている。教科書を読んでいて大抵のことは理解できたし、参考書を解けばテストで良い点を取ってきたし、白鳥沢に合格したし志望大学に合格したし。大抵のことは勉強をすれば理解できるし、大きなしくじりをすることもなくここまで人生を歩んできた自負がある。だから、どんな教科書にもどんな参考書にも載っていないこの状況を、どうすればいいのかよく分からない。どうすれば誤解を解けるのか。どうすればさんと前みたいに戻れるのか。さんになんと謝れば許してもらえるのか。何一つさっぱり分からない。
 これまで大きな喧嘩をしたことがほとんどない。喧嘩をしてもすぐに仲直りしていたし、そもそも喧嘩自体あまりしたことがない。それはひとえにさんの理解と優しさだとなんとなく分かった。俺は今の状況から分かるように、女性の気持ちがよく分からないし知らない間にいろいろやらかしている可能性が高い。さんも俺と過ごしてきて嫌だと思う瞬間や正直やめてほしいと思ったことが多々あっただろう。でも、それを言われたことはない。知らないうちにさんに甘えていたのだろう。そう思ってまたへこんだ。
 でも、そうだとしても、やっぱり、俺に話してほしかったと思ってしまう。この期に及んで。言ってくれればこんなことにはならなかった。どうして何も言わずに黙っていたんだろうか。それが、未だに分からない。


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