「えー、今日も泊まっていけば良いのに……」

 瀬見の家に泊めてもらった翌日の一月三日月曜日、夜十時すぎ。さすがに二日連続で泊めてもらうのは気が引けたので帰り支度をしていると、妹さんがそう残念そうに言ってくれた。瀬見も「別にいいけど?」と言ってくれたけど、やっぱり申し訳なさが勝って。「また何かあったときはよろしくお願いします」と頭を下げたら、瀬見は「いつでも頼れよ」と言ってくれた。いい彼女できるといいね。そう茶化したら「余計なお世話だわ!」と笑われた。
 妹さんに見送られながら瀬見の車に乗り込んだ。何から何まで申し訳ない。そうもう一度謝ると瀬見はなんでもないふうに笑う。当たり前のこと、みたいな顔をしているけど、かなり面倒見が良いことに気付いていない。高校のときからそうだったけど、その人の良さがたまに怖いくらいだ。
 昨日のファミレスでの出来事がもう遠い昔みたいだ。それにしても、一月二日なんて年明けにあんな修羅場、瀬見と川西が本当に可哀想だったな。今更そう思っていると、無意識に「あ」と声が漏れた。

「どうした? 忘れ物?」
「いや……」
「ん?」
「…………はじめて、二人でご飯行ったの、一月二日だったな、と、思って」

 あのときもうっかり新年の挨拶をし損ねそうになったっけ。今回は完全にし損ねたけど。わたしにマフラーを返すために白布が連絡をくれた。わざわざ最寄り駅じゃない駅で降りて白布からの電話を取ったなあ。どきどきしながら電話を取ったときの心臓の音が思い出せる。それくらい緊張した。そう思い出して、じわりと、瞳が熱くなった。

はもっと怒っていいと思うけどな」
「……かなり怒ってたと思うけど?」
「いや、全然。見ててってすげー、白布のこと好きなんだな、って俺は思った」

 今も、と付け足すと瀬見がハンドルを切る。あと数分でわたしの家に着く。瀬見はなんだか気恥ずかしそうに笑って「全然白布のこと悪く言わない代わり、ずっと自分のことを悪く言ってんじゃん」と言われて、黙ってしまう。ちゃんと怒ってるよ、わたし。そう呟いたけど瀬見は「そうか?」と笑うだけだった。
 家の前に車を停めてくれると「荷物持ってく」と瀬見が車から降りた。送ってもらっただけで助かってるよ、と言うのに瀬見はひょいっと荷物を持って歩いて行ってしまって。申し訳ない。半分荷物を持ちながら瀬見の隣を歩いた。
 部屋の前で荷物を受け取って、重ね重ねありがとう、と伝える。瀬見は「本当にいいって」と笑ってから、小さく息をついてから「大丈夫か?」と言う。大丈夫。そう返したけど瀬見は困ったような顔をしたまま「なんかあったら連絡しろよ」と言ってくれた。
 瀬見にまたお礼を言ってから別れて、部屋に入る。久しぶりに帰ってきた気がする。瀬見に持ってきてもらった荷物を玄関に置いたままふらふらと部屋に入って電気を付けた。白布は明日から仕事始めだ。しばらくは家に来ることはないはず。そんなことを思っていると、スマホが鳴っていることに気付く。白布だ。今日は三十分置きにずっと連絡が来ている。全部無視しているし、メッセージも読んでいないけど。
 もういいのに。放っておいてよ。あのきれいな人といられるんだからわたしのことなんてどうでもいいでしょ。そう思ったら、さっきまで少し軽くなっていた気持ちがずしっと重くなった。思い出したくないのにあの日の光景を思い出して、俯いてしまう。一人になるとこれだ。図々しくても瀬見の家に泊めてもらえばよかった。妹さんとおしゃべりしていた時間は白布のことなんてほとんど思い出さずにいられたのにな。
 暗い気持ちにしかならないから通知を切った。マナーモードからサイレントモードにして、連絡が来ても画面を見ていない限り気付かないようにした。白布のことを考えない時間がほしい。今は一人きりの時間がほしかった。木曜日から仕事始めだ。仕事をしているときは白布のことを考えずに済む。早く休み明けないかな。カレンダーを睨んでそう独り言を呟いた。
 明日はゆっくり休んで、正月休み最終日にショッピングにでも行こう。連絡を取っていない友達を誘ってランチにでも行こうか。予定が空いているか連絡を入れなくちゃ。友達に連絡を取るためにスマホを手に取ったら、画面が光った。着信。白布からだ。知らんふりしてやる。わたしは白布と話すことなんかないし、白布から聞く話もない。そう頭の中で言って友達とのトーク画面を開いた。
 友達にメッセージを送って返信を待ちつつSNSを見る。その合間に白布から着信が何度かあったけど全部無視した。出ないよ、いくらかけてきても。そう喉の奥で言っていると、また着信。頑張るねえ、そんなふうに笑っていると、表示されている名前が白布じゃないことに気が付く。「あ」とちょっと明るい声を出してからすぐに通話ボタンを押した。

ちゃん久しぶり~!』
「天童! 久しぶり! どうしたの?」
『え、元気かな~と思って?』
「なにそれ」

 くすくす笑うと天童は近況を話してからわたしのことも聞いてきた。気まずい話題は避けて、それなりに元気だと伝えると天童は「元気が一番だよ」と声だけで分かるにこにこした様子で言った。

『土曜日に帰国するんだけど、ちゃんその日空いてる?』
「空いてる! 久しぶりにご飯行こうよ」
『そのお誘いのつもり~!』

 けらけら笑った天童が「店とか俺が決めてもいい?」と言うのでお任せすることにした。楽しみができた。そう言ったら「それは何より」と天童が言う。ナイスタイミング。気持ちが暗くなっていたから助かった。
 ざっくりと時間を決めてから天童が「じゃあまた連絡するね」と言った。それに「了解」と返して、電話を切る。楽しみ。天童がパリに行ってから本当になかなか会えていないから、いろんな話を聞かなくては。
 なかなか会えないといえば牛島もそうだけど。牛島もそのうち会えたら良いなあ。有名人になりすぎて予定が空いていないだろうし望みは薄そうだけど。テレビに出ているのを見た後に「観たよ」と連絡をたまに入れると「ありがとう」と必ず返信が来る。高校時代から口数は少ないけど話しかければ必ず会話をしてくれる、案外普通の人だった。すごすぎて忘れがちだけど、普通の友達なのだ。バレー部OBの飲み会にもたまに来ているし、いつかみんな揃うといいな。そんなふうににこにこした。
 スマホの画面がパッと明るくなる。また白布からの着信だ。もう十一時過ぎだ。明日は平日だしいつもならもう寝ている時間なはず。わたしのことなんて放っておけばいいのに。いくら電話してもメッセージを送っても反応しないのだから、諦めれば良いのに。ぽいっとスマホをその辺りに捨ててベッドに寝転ぶ。
 もし電話に出たら白布は何を話すのだろう。あれは違うんです、とか? 本気じゃないんです、とか? それとも言い訳なんてせずに別れ話かな。どっちにしろ、やっぱり出る気はなかった。


top / 14.イーグルアイよ