十二月二十九日。朝に白布から「当直に入るので連絡できなくなります。大丈夫ですか? 何かあったら連絡ください」とメッセージが入っていた。わたしが正月休みに入ったことは知っている。さすがに何も返さないわけにはいかなくて。悩みに悩んで「返信なかなかできなくてごめんね。ちょっと調子が悪いのでゆっくりしてます」と返した。病院で働いている白布に体調のことで嘘をつくのは心苦しかったけど、それ以外に言い訳が思いつかなかった。
 でも、正直調子が悪いのは嘘じゃない、と言っていいと思う。体が重いし立ちくらみがする。今までこんなことなかったのにな。そう思いながら少し痛い頭を押さえる。クリスマス・イヴからずっと働きづめだったから仕方ないことかも。ゆっくり休んだらまた普通に戻るだろう。そんなふうに目を瞑った。目を瞑っても眠れない。ここ最近ずっとそれが気になっている。不眠症とかだったらどうしよう。白布、そういうのすぐ気付いてしまうから、誤魔化すのが大変だなあ。そうため息をついた。
 ベッドに寝ろ込んでぼけっとしていると、スマホが振動する音が聞こえた。白布かな。休憩に入ったのかと思ったけど、お昼に入るには中途半端な時間だしどうやら違う気がして。スマホを手に取ると、瀬見からの着信だった。少し驚きながら出てみると「元気か?」と電話越しでも分かるにこやかな声で言った。

『なんかこの前元気なかったのが気になってさ。もう休み入っただろ? 飯でもどうかと思って』

 いいやつめ。そう小さく笑った。なんだか久しぶりに笑った気がする。「行く」と返事をすると瀬見は何の気なしに「白布の空いてる日とか分かる?」と言う。白布、か。一瞬で気持ちが落ち込んだのが分かる。白布も一緒、だと、なあ。ちょっと言葉に迷っていると、瀬見が「え、まさか」と内緒話をするように言った。

『白布となんかあったのか?』
「あー…………」
『いやもうその返事が肯定だろ。どうした? 喧嘩か?』

 苦笑い。瀬見はいいやつだからどっちの味方にもなろうとして自滅するタイプだ。巻き込むと可哀想だな、と思ったけど。このまま一人でぐるぐる考えても悪い方向にしかいかない。思い切って、話してみよう。そう思って「相談してもいい?」と言った。瀬見は「いいに決まってるだろ。善は急げってことで、明日空いてるか?」と笑ってくれた。
 明日の十二時、瀬見が家まで迎えに来てくれると言った。白布は朝の八時に当直明けだったはず。もしかしたらうちに寄ろうと思っているかもしれない。それが少し心配で悩みに悩んで、調子が悪いと言ったあとなのだけど、友達とご飯に行くとだけ伝えることにした。元々約束していたことにすれば白布は呆れるくらいで怒りはしないだろう。たぶん。
 なんだか、嘘ばかり吐いている。白布に嘘を吐いたことなんて今までなかったのにな。ゆっくり、ゆっくり、着実に白布とわたしの間に見えない壁ができていく。そんな気がしてまた泣きそうになった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「はあ?! 白布が?!」

 十二月三十日、お昼。わたしの家に車で迎えに来てくれた瀬見は、よく行くというカフェ連れてきてくれた。そんなお気に入りらしい店内に瀬見の声が響く。瀬見は飲もうとしたコーヒーを一旦置いて「見間違いとかじゃなくて?」と明らかに眉間にしわを寄せる。そんなわけないだろ、と言いたいのを堪えているのがよく分かった。わたしだってそうだった。そんなわけないって、思ってたよ。そんなふうに苦笑いをこぼしてしまう。
 瀬見はわたしの顔をじっと見てから、一つ息を吐いた。自分の眉間に手を当てて「いや、ごめん」と苦笑いをこぼす。

がそういうこと、理由もなしに言うわけないよな。ごめん。ちゃんと聞く。大きい声出してごめんな」

 そう情けない顔をして言うものだから、なんだか泣きそうになった。瀬見は慌てて「ゆっくり、ゆっくりでいいから」と言って背もたれに少し体を預けた。
 クリスマスの日、ラブホテルから白布と知らない女の人が出てきたことを話すと、瀬見はハッとした顔をした。わたしが瀬見にラブホテルについて聞いたことを思い出したのだろう。あのときのあれか、と合点がいったらしい。その表情のまま瀬見は「え、マジで?」と間抜けな声で言う。そうして少し考えてから「本当に中から出てきたのか?」と首を傾げた。

「出てきた、と思うよ。見たわけじゃないけど」
「ただの知り合いと用事があって待ち合わせただけかもしれないだろ? そこで待ち合わせするなよ、とは思うけど」
「でも」
「うん」
「……腕、組んでた、から」
「…………マジか」

 分かりやすい苦笑いだった。それはそう解釈するわ、と瀬見は声に出さずに顔で言うようにころころと表情を変える。少し考え込むように頭を抱えて、瀬見はいくつか質問をしてきた。言いたくなかったら言わなくていい、と前置きをして。
 まず、白布とここ最近うまくいっていない自覚はあるか。正直あったから頷いた。仲が悪いとか喧嘩をするとかそういうのじゃない。なんとなくすれ違っているような感じがあるだけだし、わたしが勝手に思っているだけかもしれない。そう説明しておく。
 次に、白布の態度に変化はあるか。それはあまり感じないから首を横に振る。白布は今まで通りだし、別に何か隠し事をしていそうな雰囲気もない。部屋のインテリアとか服の雰囲気とか、そういうものも何一つ変わっていない。飲み会に行く回数が増えたとかスマホを見ている時間が増えたとか、浮気の定番らしい変化は何一つなかった。

「ごめん、もう一回だけ聞くけど」
「うん」
「本当に腕組んでた?」
「組んでた。それは確かだった、し」
「あーもう、何聞くのも怖いわ……だったし?」
「賢二郎くんって呼ばれてた」
「…………マジか」

 瀬見は頭を抱えて俯く。そうしてぽつりと「ごめん、俺からしたら、今のところクロ」と言った。クリスマスに女の人と会っている時点でほぼアウトで、ラブホテルの近くを歩いていたことで余計にアウト、腕を組んでいたことでスリーアウト、名前呼びで退場だ、と瀬見は絞り出したような声で言う。そっか、やっぱりそう思うよね。なぜだか笑ってしまった。うっかり一夜の過ちを犯した可能性を瀬見は期待していたらしいけど、白布の様子に変わりがない。その点から瀬見の中では一夜の過ちであるという線を消したらしい。白布は真面目なタイプだからそういうことをしたら動揺するだろうし、わたしに嘘を吐くのも下手そうだと言った。でもね瀬見、一夜の過ちでも、わたし嫌だよ。そう笑ったら「ごめん、そうだよな、ごめんなさい」と手を合わせられた。

「ちなみに……見間違いって可能性は?」
「コート、わたしがあげたやつだった」
「あ~……」
「そのあと家に置いてあるコートに、知らない香水の匂いがついてた」
「あ~~……」
「ポケットにわたしのじゃない口紅が入ってた」
「……プレゼント、とかじゃないのか……?」
「誰かが使った跡があった」
「あ~~~~……」

 店の天井を仰いで瀬見が「アウト」と言った。それから「俺も泣きそう」と呟いて息を吐く。瀬見にとってかわいくないけどかわいい後輩だ。そんな後輩のそういう話なんて聞きたくなかっただろう。分かっていたから前は話さなかったのだ。こんな話してごめんね。そう謝ったら瀬見は「が謝ることないだろ」と言ってくれた。でも、謝る要素はあるよ。わたしがもっと頑張れる彼女だったらよかったのかも。せっかく付き合うきっかけを作るためにみんなで協力してくれたのにごめんね。苦笑いして言ったら瀬見はなんだか本当に泣きそうな顔をした。

「……どうするんだ、これから」
「どうしようかなあってずっと考えてるけど、分かんないまま」
、寝てないだろ。隈ひどいし顔色も悪い。ずっと気になってんだけど」

 瀬見は「とりあえず今はなんか食べろ」とメニューを渡してくれる。飲み物しか頼んでなかったね、そういえば。気持ちが先走ってしまっていたのかも。メニューを見ているわたしを見ながら瀬見は「白布がそれに気付かないわけがないのになあ」と小さな声で言った。

「率直な感想、一回だけ言っていい?」
「どうぞ」
「すげーショック。本当に泣きそう」
「……うん、わたしも」

 笑って言ったら瀬見は「なんで笑うんだよ」と目をそらした。とても気まずそうに。


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