結局、駅の近くにあるファミレスに入ってご飯を食べて、朝を迎えた。ぼけっとしたままお会計を済ませて、ぼけっとしたまま店を出る。昨日見た光景が頭から何一つ消えない。ラブホテルから出てきた、よね、二人。そんな分かりきったことを頭の中で呟いたら、ぽろっ、と涙がこぼれた。だめ、泣いたらだめだ。そうごしごし目をこすって鼻をすする。見間違いだったかもしれない。後ろ姿が似ていただけかもしれない。名前が一緒だっただけかもしれない。だから、泣かない。
 朝九時。駅前の人はまばらだ。ゆっくり歩いていると、昨日のラブホテルが見えてきた。入ったことないけど、中ってどうなってるんだろう。こういうところ好きじゃないって何かの話の流れで聞いたことがある。好きじゃないけど、あの人とだったら入るんだなあ。無意識のうちにそう考えてまた泣きそうになった。

「あれ、じゃん?!」

 びくっと肩が震えた。うつろな目のまま顔を声のほうに向けると、ギターケースを背負った瀬見がぶんぶん手を振っていた。「久しぶりだな!」とこちらに駆け寄ってくる。前に瀬見と会ったのは二ヶ月前。そのときもこの駅前だった。わたしの家の最寄り駅は結構賑やかなところでいろんなお店がある。公務員として働きながら趣味でバンド活動をしている瀬見が贔屓にしている楽器屋さんとレンタルスタジオもこの駅の近くにあるのだ。どうやら今日は朝から趣味を 満喫しているらしい。朝早くから元気なことで。そう笑ったら「は……え、なんか疲れてないか?」と苦笑いをこぼされた。

「というかそれ仕事着だろ? え、出勤中?」
「ううん。帰るとこ」
「帰るとこ?! それはそれで問題だろ?!」

 瀬見はそう心配そうにしつつも笑って「白布も心配してるだろ」とわたしの肩を叩いた。白布。その名前が耳に入った瞬間、堪えていた涙が、ドバッ、と全部出た。ギョッとした様子の瀬見が「え、え?! 何?! 何、ごめん、え、何?!」となぜかわたしを隠すようにして道の端に寄った。瀬見はわたしの顔を覗き込んで「マジで何、ごめん、え、ごめんな?!」と面白いくらい焦り続けている。それがおかしくて余計に泣けてしまって。止まらなくなった涙を袖で拭いたら瀬見が「ごしごしすんな」と言ってハンカチを目に当ててくれた。ハンカチを持ってるバンドマン、って、ちょっとダサくない? そう笑ったら「バンドマンもハンカチくらい持ってるっつーの」と笑ってくれた。
 瀬見は慌てながら謝っては「どうした?」と聞いてくる。優しいね、瀬見。高校のときから優しかったけど。そんなふうに笑ったらちょっと照れていた。ちょっと元気出た。そんなふうに言ったら「俺が聞ける話なら聞くけど」と言ってくれる。嬉しい、けど、話したら絶対気まずい感じになる。瀬見にとって白布はかわいくないけどかわいい後輩だ。そんな話は聞かせたくなかった。
 笑って誤魔化そうとしたけど、こういうときの瀬見は強い。「いや、大丈夫じゃないだろ」とか「泣くほどの何かがあるんだろ?」と言ってなかなか引かなくて。男気があるのも学生のときから変わらず。どうしようかと少し考えて、ちょっと俯いてしまう。本当は話したいし意見を聞きたい。あわよくば、白布なわけないだろって、言ってほしい、けど。やっぱり話す勇気が出なかった。

「瀬見って」
「おう」
「ラブホテル行ったことある?」
「…………え、何、マジで怖いんだけど……何? え、何?」
「あるの? ないの?」
「な、くはない、けど……?」
「何したの?」
「ちょっと待って、え、何? マジでどうした? 何? 何の質問?」

 完全に怖気付いている。ちょっと面白い。瀬見はわたしから目をそらして「え、何って」ととんでもなく恥ずかしそうに呟く。そりゃそうだよね、こんな質問、友達からされて照れないわけがない。ごめんね。そうは思うのだけど、やめるつもりはなかった。はっきりさせたい。わたしはそういう経験があまりないから、わたしが知らない何かがあるのかもしれない。そうかすかに期待しているのだ。

「あの、先に聞いとくけど」
「なに?」
「俺、白布に殴られたりしない? なんか怒られる案件にならないよな?」
「ならない。と、思う」
「うわ~嫌な予感がする……」

 とても気まずそうに笑った。瀬見は背負っているギターケースの位置を少し直して「あーまあ……な?」と笑って誤魔化そうとしている。はっきり言わなくて良いから他には何もないのか、と聞いたら瀬見はきょとんとした。「他に何か、とは」と至極真面目に声に出して考えると、神妙な顔つきで「いや、ラブホにそれ以外で行くことあるか?」と呟いた。やっぱりそうだよね。わたしがそう言うと「マジで何?」と眉間にしわを寄せた。
 瀬見からの質問を全部適当に躱し続けていると、最終的に瀬見が折れてくれた。「分かった、これ以上は聞かない」と困ったように笑って、わたしの肩を軽く叩く。「でもマジでもう無理だなってなったら相談しろよ」と言ってくれた。良い友達だ。天童といい瀬見といい、わたしは友達に恵まれているなあ。そんなふうに噛みしめつつ、瀬見と別れた。
 そうだよね。ラブホテルに女の人と二人で行くなんて、目的は一つしかない。それを確認しただけになってしまって視線が自然と俯いてしまう。
 鞄に入れてあるスマホが震えた。取り出して見てみれば白布からのメッセージ。「どうしました? 家、帰ってますか?」と来ている。朝に着信も来ていたから、もしかするとわたしの家に行ったのかもしれない。心配はしてくれているらしい。でも、それって、何番目なんだろう。そう考えたらきゅうっと胸が苦しくなった。
 正直、白布はもっとかわいくて良い彼女を作れると思う。優秀なことはもちろん、清潔感があって真面目。仲良くなるといろんな優しい一面とか頼もしい一面とかが見えてきて、きっと好きになる子がたくさんいる。わたしみたいな普通の子じゃなくてもっともっとかわいい、あの女性みたいな人が彼女になったって、変じゃないのだ。
 でも、こういうことする人だと思わなかった。好きな人が別にできてもわたしとちゃんとお別れしてからお付き合いする、真面目なタイプだと思っていた。それならわたしだって諦めがつく。しばらく引きずるだろうけど。同時進行するようなひどい人だと思いたくなかった。
 今日一日考えて、白布に直接聞くかどうするか決めよう。まだ決心がつかないから、今日も連絡はしない。休日出勤が長引いたことにすればいい。月曜日は早く上がって白布の家に行こう。そうとだけ決めておいた。


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