二人で反省会をした。その中で白布がハッとした様子で「まさかですけど、髪、伸ばしてたの」と信じられないという顔で言うものだから、ちょっとムカついて。「七瀬はるか好きだったもんね」と言っておく。白布は「いや特にファンというわけでは」と言ったあと、「短いのも、あの、かわいい、です」と言うものだから、絶対また伸ばしてやる、と赤い顔をしたままこっそり思った。
 わたしもわたしでハッとして「インハイのとき、お土産屋さんの前で話したときって」と恐る恐る言ってみる。白布はコーヒーを一口飲んでから「太一がトイレ行ってる間に撒きました」とけろっとした顔で言った。ひどい、あのとき川西が勝手にいなくなったみたいに言ってたくせに。
 しこたま片思い期間の答え合わせをしたあと、白布が「あ」と言った。時計を見るともう結構な時間になっていて今からだと夜行バスしか帰る手段がない。どうやら行きも高速バスで東京まで来たらしい白布は「寝るのはキツい」と呟き、ホテルを探す方向でいろいろ調べ始めたらしい。今日は土曜日。わたしは連休だし、口ぶりからして白布もそうらしくて。「あの」と声をかけると、白布はスマホでホテルを探しながら「はい?」とわたしを見た。

「わたしの家で良ければ泊まる? ホテル代も浮くし」
「………………いいんですか」
「なに、その間。いいよ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて、お願いします」

 白布まだ一応学生なんだし、お金は大事にしなきゃね。そう言ったら白布は若干不服そうに「そうですね」と呟いた。なんで不服そうなの。そう笑うと「別に不服じゃないです」と拗ねてしまった。かわいい。笑ってそう言ったら余計に不服そうになるものだからおかしかった。
 二人でコーヒーショップを出て改札のほうへ歩いて行く。本当に夢みたい。これ、どっきりとかじゃないよね。そう考えながら改札を通ってエスカレーターに乗る。白布はわたしのあとをついてきながら真顔に戻っていた。さっきまでの取り乱した感じとか照れていた感じとか、もうどこにもなくなったみたいだ。それはそれで悔しい。わたしばっかり動揺してるんじゃないかと恥ずかしくて、わたしも知らん顔しておいた。
 並んで電車を待つ。高校時代、白布は寮だったからこんなふうに駅のホームに立つことは大会や練習試合のときくらいだった。白布の隣に立てたことは数回くらい。いつも大体同輩の輪の中にいたし、自分から白布に声をかける勇気もなかなか出なくて。白布もいつも川西たち同輩と一緒にいたから、こんなふうに二人で並んで駅のホームにいることが、とても新鮮に思えた。
 白布が最寄り駅で降りたらコンビニに寄りたい、と言った。ちょうど駅を出てすぐのところにコンビニがある。歯ブラシとか下着とかいるもんね。そう笑いかけたら「そうですね」と言ってじっとわたしを見た。なに? そう照れつつ聞いてみると白布は「いえ」と短く答える。そういえば服、どうしようかな。わたしのものだとサイズが明らかに小さいし、貸せそうなのはもこもこしたパジャマくらいかもしれない。それでも丈が足りないだろうけど。さすがにコンビニに良さそうな服はないだろうし、まあ、そこは我慢してもらおう。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 笑ってしまった。そんなわたしを白布は睨みながら「貸したのさんじゃないですか」と呟く。それはそうなんだけど。どう見てもかわいらしいパステルカラーの女の子のパジャマ。ふわふわもこもこした人気のお店のもので、姉からプレゼントでもらったものだ。わたしが持っている中で一番サイズがゆったりしているからギリギリ白布でも着られるかと思ったのだけど。どう見てもつんつるてん。手首と足首が完全に出ていて丈が足りていない。白布はわたしを睨んだまま床に座る。コンビニで服も買えば良かった、と思っている顔だ。でもコンビニに売っていたのは季節外れのTシャツと短パンだけだったし、今後着る予定もなさそうならわたしの服で我慢したほうがいいかなと思ったのだ。まあ、こうなるなんてちょっと予想外だったけど。ファンシーなもこもこパジャマを着ている白布をまた笑ってしまう。白布は「クソ、服洗濯してもらわなきゃよかった」とぼやいた。ちょこちょこ心の声がもれてるよ、白布。笑いそうになったけど堪えて淹れたばかりのお茶を白布に出す。

「バス移動で疲れてるでしょ。ベッド使って良いからね」
「いや、床で寝ます」
「いいってば。明日もバスで帰るんでしょ? ちゃんと休んだほうが良いよ」
「どこに女性を床に寝させて自分がベッドで寝る男がいると思いますか」
「別に悪いことじゃないと思うけどなあ」

 苦笑い。確かに白布はそういうの、気にしそうではあるかも。言っても聞かないだろうし大人しく引き下がることにした。押し入れに入っている毛布とクッションを出す。掛け布団、もう一つあればよかったのに。毛布一枚では風邪を引いてしまうかもしれない。暖房を入れたまま寝れば大丈夫だとは思うけど。でも床にそのまま寝たら体が痛いだろうし。何か下に敷けるもの、ないかな。
 押し入れを漁っているわたしに白布が「普段から床で寝落ちしたりしてるんでいいですよ」と声をかけてきた。床で寝落ちって。「ちゃんとベッドで寝なきゃだめだよ」と押し入れの奥に手を入れながら言うと、白布は照れくさそうに「はい」と言った。素直。かわいい。内心そう思ったけど、どうやら白布はかわいい≠ニ言われることが不服らしい。機嫌を損ねてしまうといけないので黙っておいた。

「うーん、やっぱりないや。下に敷けるもの」
「いいです。大丈夫ですよ」
「でも寒いし痛いし……あ、白布が大丈夫だったら一緒に寝る?」
「は?」
「あ、嫌なら大丈夫。うーん、でもなあ。どうしようかな」

 押し入れから出したいらないものをしまって、静かに戸を閉める。「寝るにはやっぱり硬くない?」と床を触りながら白布を振り返ると、じっとこちらを見ていることに気が付く。首を傾げながら「白布?」と声をかけてみると白布は「あの」と言いづらそうに口を開いた。

「嫌とかではないんですけど」
「うん? あ、一緒に寝るのが?」
「まあ、はい」
「じゃあそうしようよ。やっぱり床はちょっとわたしも申し訳ないし」
「ただ」
「うん?」
「さすがに、何もしない、自信がないんですけど」

 白布がじっとわたしを見たまま「そこは、どうなんですか」とちょっと赤い顔で言う。何もしない自信がない、と、は。ちょっと考えて顔が熱くなったのを感じる。白布もそれに気が付いたみたいで「無防備すぎませんか」と目をそらす。白布もそういうこと、考えるんだ。ちょっとびっくりした。

「あと今更ですけど」
「あ、はい」
「付き合ってください」
「……あ、う、うん、よろしく、お願いします」
「そういうわけで俺は床で寝ます」

 しん、と部屋が静かになる。白布はちらりと視線をわたしに戻すと「本当に何もしないので。そこは信用してください」と苦笑いをこぼした。考えが浅くて申し訳ない。白布にちょっと照れながら「ご、ごめんね?」と笑ったら「何かするつもりならコンビニで買ってます」と言われた。さっきから机の上にずっとレシートが置かれているのが気になっていたけど、もしかして、あれは買ってませんよ、という無言の主張だったのかもしれない。それに余計に照れると白布が吹き出して「簡単に男を部屋に上げちゃだめですよ」と言って、わたしが渡したクッションを床に置いて軽く叩いた。簡単に、上げたわけでは、ないけど。そうこっそり思っておく。
 もう少しで日付が回る。白布が寝床を整えだしたので、わたしもベッドに上がって電気を消した。もぞもぞと白布が動く音がかすかに聞こえつつわたしもベッドに潜る。「おやすみなさい」と声をかけられたので「おやすみなさい」と返す。ちょっと、緊張する。なんでか分からないけど。

さんって」
「うわ、びっくりした。なに?」
「……本当に俺のこと、好きだったんですね」
「えっ、な、なに、なんで?」
「写真とクッキー缶」
「……うわあ、しまい忘れてた……」
「しまわなくていいじゃないですか。普通に嬉しいですけど」

 くすくす笑われた。机に上に置いてある卒業式のときの写真。みんなで撮った写真だけ、ならよかったのだけど。その隣に白布と二人で撮った写真が置いてあるし、この前白布にもらったクッキー缶もその隣に並べられている。非常に恥ずかしい。壁のほうに顔を向けて、布団に顔を埋める。「忘れてください」と消え入りそうな声で言ったけど、白布は「絶対忘れません」と笑った。
 もぞもぞと白布が動く物音。やっぱり床硬いよね。そう申し訳なさを感じていると、「さん」と言う白布の声がちょっと近くに聞こえた。「うん?」と顔を白布のほうに向けようと寝返りを打ったら、思ったより白布の顔が近くにあった。起き上がってこちらをじっと見ていたらしい。ちょっと、どきっとした。

「何もしないって言ったの、少しだけ撤回していいですか」
「……す、少し、って、どれくらい……?」
「唇にだけ、触るくらいですかね」

 白布が片膝をベッドにかけた。う、わ、どうしよう。わたしの顔の真横くらい白布の手が見える。「嫌ならしませんけど」と言う顔が、照れているのに、わたしが知っている白布のものではなかった。おかしい、かわいい後輩だったはずなのに、急に、男の人になった。それがとんでもなく恥ずかしくて布団に顔を隠してしまった。白布が「ちょっと」と布団を剥がそうとしてくるので「な、何もしないって言った」と絞り出したような声で反論する。白布はそれに「いや、まあ、そうなんですけど」とバツが悪そうに言って、一旦布団を剥がそうとするのをやめてくれた。それでもベッドにかかった片膝はそのままで。わたしの顔のすぐ横についたままの手もどいていかない。じいっと見られている視線を、掛け布団越しにも感じる。
 そのまま体感で五分ほど経ってから、白布が、ぼそりと「嫌ですか」と拗ねたような声で言った。悔しい。そう思わず呟きそうになる。そんなふうに言われたら、顔を出さざるを得ない。目だけ布団から出すと、当然のように白布と目が合った。白布はわたしをじいっと見つめたまま「それじゃ、できないんですけど」と呟く。暗い中でも分かる少し赤い顔。ずるい。そういうところだけかわいい後輩ぶる。また悔しいと呟いてしまいそうになりながら、そうっと顔を出した。
 そのまま数秒、白布と目が合ったまま。こんな顔もするんだ。目をそらしてしまいそうになりながらぼんやり思う。こんな顔、高校時代に一度も見たことがない。いつも涼しい顔をしていることが多かったから、ちょっと物珍しい。そう思ったらほんの少しだけ余裕ができた気がした。
 けれど、瞬きをしたら、ほんの少しだけ距離が縮まって。静かな呼吸が聞こえた瞬間。あ、そうじゃない、と思った。こんな顔を、わたしには見せてくれるんだ。そう気付いた。その一瞬でかわいい後輩だったはずの白布はどこかへ消え去ってしまって、好きな人だけが目の前に残る。ただの先輩だったはずのわたしもいなくなる。ただの恋するわたしだけがここにいて、どうしようもなく、愛しくなった。
 言われる前に目を閉じた。そっと白布の少しだけ冷たい手が頬に触れると、さらりと髪を払ってくれる。その手があんまりにも優しくて、男の人だなあと、ばかみたいにどきどきする。止まらない心臓の鼓動なんて知らんふりして、そっと唇を奪われた。驚くほど温かいそのぬくもりにきゅっと布団を握ってしまう。そうっと唇が離れていくと、どっとまた一段階心臓がうるさくなる。恐る恐る目を開けると、白布が「じゃあ、おやすみなさい」と顔をそらしてベッドに乗せていた片膝を下ろした。そのまま床に寝転んで毛布を被って、背中を向けられてしまう。
 わたしもまともに顔を見る勇気がなくて「おやすみ」と小さな声で返して背中を向けた。目を瞑ってもどきどきとうるさい心臓が白布に聞こえてしまうのではないかと心配でこれっぽっちも眠くなんかない。これ、全部夢だったら、泣くかも。そうこっそり笑ってぎゅっと自分の手を握る。さっきから後ろのほうから聞こえるもぞもぞと毛布がすれる音。クッションの中身が動く音。眠れないのかな。わたしと同じだね。そう、なんだか安心した。


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