被害報告その一、部屋からチョコとウイスキーの匂いが消えない。遊びに来た職場の同僚が「チョコとアルコール依存症?」と心配してくるレベルに。休日はずっと窓を開けて換気をしていたけれど、それでも染みついたチョコとウイスキーの匂いは取れなかった。ご飯を食べているときも寝ているときもチョコの匂い。正直しばらくはチョコを食べたくないくらいの勢いでだ。
 被害報告その二、職場の人から「なんかさん、雰囲気変わった?!」と驚かれる。ここ最近ずっと来る失恋の日に向けて闘争心がふつふつと湧き上がっているせいだ。絶対驚かせてやる。絶対に勘違いをしていると気付かせてやる。そんな熱意が仕事にも影響し、上司に褒められた。これは被害というより成果かもしれないけど。
 そんなこんなで、分かりやすいピンク色の箱に入れられた大量の真っ赤なハートチョコが、クール便で宮城県へ旅立っていった。送る前に完成したものは写真を撮って天童に報告しておいた。長い一ヶ月間だった。
 あとは残った失敗作と形が良くないものをどう片付けるか。職場の人に配ってしまおうか。それでも余ってしまいそうだ。そう悩んでいると、いいことを思いついた。わたしと同じく東京にいる川西に押しつけよう。そうしよう。即決して川西に「時間ある土日教えて。東京駅集合で」とメッセージを送っておく。ちょうどスマホを見ているときだったらしくすぐに既読がつく。川西から「急すぎません? 今週土曜の夕方なら空いてます」と返信があったので「土曜午後六時集合で」と返しておいた。「怖いんですけど。なんですか? 決闘ですか?」と言われてしまう。すぐに「余り物だけどチョコあげる」と送れば「びびらせないでください。ありがとうございます」というメッセージとともにほっと一息ついたウサギのスタンプが送られてきた。
 ちょうど天童から返信があった。「想像よりきれいでひっくり返っちゃった」と言ってもらえた。よし。その調子で白布をひっくり返してやる。そう意気込んで「このまま当たって砕けてくるね」と返したら「ちゃん吹っ切れすぎじゃない?」と今にも笑い声が聞こえてきそうな返信をくれた。
 チョコが入っている箱のふたに、手紙を貼り付けた。どうせ当たるなら全力で当たってやる。そう思って所謂ラブレターというものを書いた。長く片思いをしているから絶対に長くなるって思ったのに、書いてみたら案外短くて、二行くらいで終わってしまった。もう少し長くできないかと、返事はなくて良いから体調には気を付けてね、と添えておいた。それでも短い。苦し紛れに最後にハッピーバレンタイン、と書いておいた。変なラブレター。まあ、いいか。どうせすぐ捨てられちゃうんだし。ほとんどヤケクソだった。なんとでもなれ。さようなら、わたしの片思い。机の上に置いてある、わざわざプリントした卒業式の写真、が、二枚。その隣にはこの前白布がくれたクッキー缶。それを見て笑う。このまま、きれいな思い出にしてしまおう。そんなふうに。
 不器用だけど優しくて、素直でかわいい後輩。人知れず努力をして何もなかったような顔をして結果を出していく人。好きでした。そう自分の気持ちを締めくくった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 五年からはじまる臨床研修の説明会を終え、昼前にアパートに帰ってきた。帰った、とは言ってもやってもやっても新たに出されるレポートと課題が残っているわけだが。試験がないだけマシ、と思っておく。研究室で終わらせていこうかと思ったが、まあ昼前だし家に帰られるなら帰るか、と軽い気持ちで帰ってきた。
 カーテンレールにかけられたままのハンガー。我ながら気持ち悪いと思うが、さんに借りたマフラーをかけたあの日のままになっている。それも今日で外す予定だ。今日はバレンタインデー。同じ研究室の女子どもが「で、好きな人にチョコもらえた?」と意気揚々と聞いてきたので「もらえるわけねえだろ」と答えたら何人かが「かわいそうに」と同情でチョコをくれた。いらねえよ。そのまま突き返すわけにもいかず一応もらっておいたが。
 今頃、チョコを渡して告白したのだろうか。もう手をつないでデートでもしてたりしてな。そう想像して勝手にへこんだ。天童さんに会いにパリまで行きそうな勢いだったし、あり得ない話ではない。さん、相当フラストレーションが溜まっていたようだったし。天童さんになかなか会えなくてイライラしていたのかもしれない。天童さん、そういうことには鈍かったし。全然気付かれてませんよ、とちょっと笑っておく。
 飲み物を出そうと冷蔵庫を開けたときだった。チャイムが鳴る。こんな時間に誰だ? そう思いつつ玄関に近寄っていくと、外から「クール便でーす」とやる気のない配達員の声が聞こえてきた。クール便? 何も頼んだ覚えはない。間違いじゃないだろうか。隣に住んでいる人がよく通販で物を買っているのは知っている。たまに部屋番を間違えられてこっちに持ってこられることがあるのだ。そううんざりしながらドアを開けると、配達員が「お間違いないっすかー」と荷物を見せてきた。驚くことに確かに俺宛ての荷物だった、し、送り主を見て、体が固まった。

「サインお願いしまーす」
「……あ、はい」

 恐る恐る配達員の人のボールペンを握り、サインをした。控えを破ってから俺に箱を渡すと「あざしたー」とやる気のない挨拶をして配達員が去って行く。しばらく立ち尽くしてしまったが、ハッとしてドアを閉めて部屋に戻った。
 送り主はさんだった。手書きの文字。その近くに書かれた品名には「チョコレート」と書かれている。ちょっと、状況が、分からない。じっと箱を見つめて、思わず正座した。これはなんだ。品名はチョコレートになっているけど、なんで俺に送ってきたんだ。そう頭の中を整理していって、ほっと息をつく。なるほど。余りを送ってくれたのだろう。つい最近会ったし、そのときにバレンタインの話をしたから、とかそういう理由で。さんはそういう人だ。バレー部にチョコを配ってくれたときだって、小さいコンビニのチョコを一個配るくらいでみんな満足しただろうに、ちゃんとしたチョコを用意してくれる人だった。俺に住所を聞いてきたのもそういうことだったのだろう。びっくりした。ひっくり返りそうになったくらいに。なんだよ、焦った。そう一人で乾いた笑いをこぼした。
 小さい段ボールを開けると、中に梱包材が入っていた。それをかきわけて探ると、ピンク色の箱が出てきた。赤いリボンと手紙付きだ。余り物を送ってくれたにしては本格的だな。そう笑いつつ箱を取り出す。結構ずっしり重たい。相当な力作を作ったらしい。リボンを軽くほどいて手紙を手に取る。「白布へ」と書かれたそれを開けて中を見てみると、五行ほどの短い文章が書かれている。それを読んだら、思わず「は?」と声がもれた。
 手紙には「わたしが好きだったのは白布でした。びっくりさせてごめんね。返事はなくて良いので、体調には気を付けてください。ハッピーバレンタイン」と書かれていて、一番下にさんの名前が書かれていた。
 いたずらか? 太一か? 天童さんか? 瀬見さんか? 大平さんか? 山形さんか? それとも大穴で五色か牛島さんか? けれど、何度送り状を確認してもさんの名前と東京の住所が書かれているし、字がさんのものだった。どうやった? どういう仕掛けだ? 頭が真っ白になっていると、スマホが鳴った。さんかと急いで画面を見ると太一からのメッセージで。なんだ太一かよ。そう思いつつ開くと「さんに余り物のチョコもらう約束したんだけど、白布もらえた?」とあった。なんだよ余り物のチョコって。なんでお前がさんに直接もらうんだよ、ふざけんな。怒りのまま太一に電話するとすぐに出てくれて「え、何、怒るなって、だってさんがくれるって言うから」と笑われる。そこじゃねえ。

「いつ、どこで、何時?」
『え、なんか怖いんだけど……明日午後六時に東京駅ですけども』
「お前来るな」
『え、もしかして白布来るつもり?』
「絶対来るな。来たら一生殴る」
『一生殴るってどういう状況?』

 そういうことかよ、全部ようやく分かった。バレー部の飲み会の夜、天童さんが突然俺に電話してきたことも、このままじゃ時効になるとかなんとか喚いたことも、太一がしきりに俺を根性なしと言うことも、全部。なんでこんなに俺が馬鹿にされてるんだとムカついていたけど、全部、太一たちは知っていたのかあの日知ったのか。そんなことはどうでもいいけど、とにかく本当に俺が根性なしだったというわけだった。でも、言い訳するが、誰がそんな都合の良いことを思いつける。まさかさんが、俺のことを、そう思っていたなんて、分かるわけないだろ。
 そんな、こと、考えたこともなかった。だから今それが現実に起こると、どうしたらいいか分からなくて。今すぐにでも東京に行きたかった。でも現実的には厳しくて。俺にできるのは明日の新幹線のチケットを手に入れることだけ。いや、六時集合なら高速バスでも行ける。ともかくすぐチケットを手に入れる。
 「じゃあな」と電話を切ろうとしたら太一が「これで根性なし卒業じゃん」と笑った。うるせえ。今度なんか奢れ。そう言ったら「俺が奢られたいくらいなんですけど?」と言われて、電話が切れた。
 まだ開けていなかったピンクの箱を開ける。驚いた。真っ赤なハート型のチョコが大量に入っていた。そのチョコは、さんが最後にくれたバレンタインチョコの、左上にあった赤いハートのチョコそっくりで。あの日食べがたくてギリギリまで取っておいたチョコが目の前にたくさんある、そんな贅沢な光景に思えた。よく見てみると少し色のムラがあったり、形が歪んでいたりするものがある。もしかして、手作りだろうか。恐る恐る一つ手に取って口に運ぶと、少しのアルコールを感じる。好きな味だった。いや、たぶん、このチョコだからなのだろうけど。
 とりあえずムカついたから同じ研究室の女子ども宛てで研究室のグループトークにチョコの写真を送りつけておいた。かわいそうだのなんだの言ってくれやがって。俺も実際そのつもりだったけど。一人から「え、何?!」と返信があるとピコピコと次々「おめでとう」「やったじゃん」とメッセージが飛んできた。状況を知らない男どもが「何事?」と発言するも女子どもは無視。俺も無視。女子どもに「どうも」とだけ返して、トーク画面を閉じた。


top / 22.いつまでも未完成