夢かもしれない。さっきから何度心の中で呟いたか分からない言葉。目の前でコートを椅子にかけて、少しずれた腕時計の位置を直す白布がいる。柔らかいグレージュのタートルネックの首元を指先で気にしながら座ると、白布は「何食べるんですか」と机の上に広げてあるメニューを覗いた。慌ててわたしもコートを椅子にかけて「どうしようかな」となんでもないふりをする。なんでもないわけがない。白布と二人でご飯とか、本当に夢かも。こっそりそう思って小さく深呼吸をした。
 日替わりのパスタランチやキーマカレー、ロコモコまである幅広いランチメニューの展開に「どうしようかな」と悩むふりをして、ちらりと白布を見てしまう。メニューを見るために下を向いている顔にさらりと前髪がかかっている。それを時折指で払いながらじっとメニューの隅から隅まで見ている白布はこちらに気付く様子がない。今、何考えてるんだろう。いや、今はそりゃあ何食べたいか、か。自分で自分にツッコミを入れてこっそり笑った。
 ちらりと瞳がこちらを向いた。白布は「決まりました?」と顔を上げながら言うと店員さんが置いていってくれた水を一口飲んだ。何にしたのか聞いてみると白布はカレーランチにするという。どうしようかな、と少しだけ考えたけどお店の看板がパスタランチのようだったのでそれにしておいた。セットの飲み物やデザートを決めてから店員さんを呼ぼうと、わたしの視線の先にあるキッチンに顔を向ける。わたしが手を挙げるより先に白布が体をキッチンに体を向けると「すみません」と声をかけた。
 わたしは本当に単純でばかな女なので、てきぱきとわたしの分まで注文をしてくれる白布に、にやけてしまいそうになる顔を動かさないようにすることに必死だ。店員さんが特にこちらに聞くことがないまま注文が終わると、メニューを回収してキッチンへ戻っていく。白布はもう一口水を飲みながら不思議そうな顔をして「なんですか」と言った。

「え?! 何が?」
「いえ、物珍しそうに見ていたので」
「そ、そうかな?」

 不思議そうではあったけれどそれ以上は言及されず、白布は別の話を振ってくれた。焦った。にやけを堪えるのに必死で変な顔をしていたかもしれない。気を付けよう。そう自分に言い聞かせてわたしも水を一口飲んだ。
 白布と話をしている間、白布のスマホが時折鳴っている音がすることに気が付いた。マナーモードの震える音だし短いから通知が来ているのかもしれない。「見なくて良いの?」と鞄に入れてあるであろうスマホのことに触れてみると、白布は「ああ、どうせどうでもいいグループトークなんでいいです」とだけ言った。

さんのスマホもさっきから光ってますよ」
「あ、本当だ」

 机の隅に置いたスマホの通知ランプが点灯している。画面を付けて通知を見てみたけど、姉からの「どう?」という短いメッセージが入っていた。心配してくれてる。それをちょっと笑ってから画面を消す。後で返すね、と心の中で返事をして。わたしがスマホを見ている間に白布も一応ちらりとスマホを見たらしい。わたしと同じく特に返すそぶりは見せずそのまま鞄にスマホをしまっていた。
 少しだけでも、頑張りたい。こっそり拳をぎゅっと握る。せめてただの先輩から仲の良い先輩くらいに昇格したい。気軽に連絡を取り合っても不思議じゃないくらいの。夏頃、こっちに戻ってきたあとも、バレー部の飲み会以外でたまに会ってくれるくらいの。それくらいでいいからどうにかしたい。けれど、残念ながらわたしには良い方法がとんと思い浮かばない。今日の約束を取り付けられたようなきっかけがあればいいのに。そういろいろ考えてみるけれど、わたしと白布の接点は驚くほど少なくて、どうしようもない。

「去年、というか一昨年か。そのときの飲み会は白布も参加したんでしょ?」
「そうですね。牛島さんもいたので、いなかったの本当にさんだけでしたよ」
「だよね〜。行きたかったけど就活で忙しかったんだよなあ。何か面白いことあった?」
「特に相変わらずって感じでしたけど、俺はたこ焼きばっかり食べさせられてうんざりしてました」
「なんでたこ焼き?」
「海の幸理論らしいです」

 思い出してげんなりした白布曰く、天童からしらすが好きだったらたこも好きでしょ、という海の幸理論を振りかざされたそうだ。それはうんざりする。変わらない天童に笑っていると、白布がじっとわたしを見ていることに気が付く。どことはなく自分の顔を思わず触りつつ「え、何かついてる?」と聞いてみると、白布は少し考えてからなんだか緊張した様子で口を開く。

さんって」
「うん?」
「……高校のとき、好きな人いるって言ってたじゃないですか」
「うっ、うん、言ってました、けど……え、何……?」
「それって」

 ガッシャーン、とガラスが割れる音が店内に響く。男性店員の「失礼しました!」の声が聞こえてから近くの席の子たちが「びっくりしたね」とこそこそ話す声が聞こえてきた。白布も思わず音がしたほうに顔を向けてから「びっくりした」と独り言を呟いていた。
 それどころじゃないのはわたしだけだ。どきどきと心臓がうるさい。嘘でしょ、天童、何か余計なこと言った? 白布のことが好きだとバレてしまうような情報をうっかり喋っちゃったの? そうだとしたらこの後、今は海外にいるらしいけどどうにかして天童をぶん殴らないと気が済まない。どうしよう、なんて答えよう。
 心の準備ができないままに、白布の顔がこちらを向き直す。そうして、一つ間を開けてから口を開いた。

「天童さんのことですよね」
「…………へ?」
「あの人、もう海外に行ってますしこれからどうするんですか」
「え?」
「なんですか」
「え? ごめん、なんて?」
さんの好きな人って天童さんですよねって話ですけど」

 白布は机の上で腕を組んでじっとわたしを見る。「仲良いじゃないですか。告白したら良い返事もらえると思いますけど」と言う。天童? なんで? 完全にフリーズしていた頭をどうにか動かす。なんで天童?! なんでそうなる?! 慌てて机に手をガンッとぶつけつつ、「違うから!」と少し大きな声が出た。タイミング悪く料理を運んできてくれた店員さんがきょとん、とした顔で固まってしまっている。そのことに気付くと余計に慌ててしまって「あ、違わないです! パスタがわたしです!」と完全にテンパった変な人になってしまった。店員さんは困惑しつつもカレーランチを白布に、パスタランチをわたしに置いて去って行く。
 一連の流れを、白布が笑いを堪えながら見ていたことは知っている。白布は店員さんが完全に見えなくなってから「違うのか違わないのかどっちですか」とからかってきた。誰のせいだと!

「て、天童じゃないってば! 本当に!」
さんってそんなふうに動揺することもあるんですね」
「本当だよ? 本当に違うからね?!」

 白布は笑いを堪えながら「はいはい、分かりました」ととんでもなく適当な返事をして、スプーンを手に取った。絶対信じてない。「違うんだってば、本当に」と否定しながらフォークを手に取る。とりあえず料理が冷めてしまうので 二人とも「いただきます」と言ってから一口。今日の日替わりパスタはいくらとサーモンのクリームパスタだ。ふつうにおいしい、けど、正直それどころじゃない。このままでは本当に天童に片思いしていると勘違いされたままになる。否定すればするほど、照れていると思っているのか「はいはい」みたいな反応しかしない白布にもやもやする。
 白布のことだよ、って言ったら、どんな顔をするんだろう。驚いてから気まずそうな顔をするんだろうな。それは嫌だ。せっかくこんなふうに会えたのに。でも誤解されたままはもっと嫌だし。
 そもそも、わたしは高校時代に結構頑張ってアピールしていたつもりだった。白布がロングヘアの女の子が好きだって言ってたから髪を伸ばしたし、白布のことをかわいいって何度も素直に言ったし、後輩の中では白布と一番話したし、白布が何か困っていそうだなって思ったらすぐに声をかけた。……偉そうに言っておいてなんだけど、髪を伸ばした以外はかわいい後輩にお節介する先輩にしか見えない、か。

「決めた」
「何をですか」
「バレンタインデーに告白する」
「……健闘を祈ります」
「白布」
「なんですか」
「住所教えて」
「……はい?」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 ランチを食べた後は適当にその辺をぶらついてからさんと別れた。もちろんあの日のタクシー代のお礼を含めているから、さんが財布を出そうとしたのを無理やり阻止した。さんは終始「飲み物分だけでいいってば」と言っていたけど、あの日のさんの真似をするように遮って会計を済ませた。ちょっと不満そうにしていたけど、「ごちそうさまです」と言ったさんの顔がかわいくて、ちょっと、うまく言葉が出せなかった。
 別れ際に渡したマフラーと、クッキー缶。さんはそれを覗き込んで「かわいい、ありがとう」とはにかんでくれた。よかった。女子どもの意見を参考にして正解だったらしい。そう、小さく笑った。
 バレンタインデーに告白する、と決めたらしいさんは終始なんだか吹っ切れたような顔をしていて、「当たって砕ける」と笑った。砕ける前提ですか。大丈夫だと思いますけど。さん、昔からずっと、かわいいし。そう言いたかったけど悔しかったからやめておいた。よく分からないが住所を聞かれたのでメッセージアプリで送っておいたが、何に使うつもりだろうか。年賀状はもう送る時期が過ぎているし、暑中見舞いか何かで結果報告でもくれるのだろうか。どちらにせよ、なんだっていい。その瞬間に俺の根性なしの片思いが終わるだけ。ただそれだけだから、さんにとってはどうでもいいことだ。


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