一月二日、朝九時。まだ眠っていた姉を叩き起こすと不機嫌そうに「なに?」と睨まれた。そんな姉を引っ張って自分の部屋に行き、持ってきた服を広げながら「ねえどれが一番かわいい?」と聞いてみる。姉はじっとわたしが持ってきた服を見下ろして「男か」と呟く。恥ずかしかったけど頷いて肯定すると、姉は「こんなんだめに決まってんでしょ!」とわたしの服を蹴散らした。ひどい。めちゃくちゃ気合い入れて選んだのに!
 姉はわたしの服を「地味」、「可愛げがない」、「女っ気がない」とダメ出ししていく。極めつけには「あんた地味とシンプル履き違えてない?」と言った。ごもっとも。ぐうの音も出ない。

「誰に会うの? 彼氏? 好きな男?」
「す、好きな人です……」

 いろいろ根掘り葉掘り聞かれて姉が弾き出した答えは、全却下。すぐさま姉はわたしを連れて自分の部屋に戻るとクローゼットを開けた。背丈がほぼ一緒なので服の貸し借りはよくあることだ。姉はわたしと違っていろんな色の服を着るし、柄物もたくさん持っている。学生時代はアパレルショップでアルバイト、今は化粧品のショップ店員をしている姉はおしゃれに昔から敏感だ。わたしもよく洋服を選んでもらっていたっけ。わたしが東京に行ってからはなかなかそれもできなくなったけど。
 姉は相手がどんな人なのかをやたら聞いてきた。高校時代のバレー部の後輩だったこと、今は医学部に通っていることを伝える。学生時代に彼女がいた感じがあったか聞かれたので、そもそも女子に興味がなさそうだったと答えた。すると姉は「絶対童貞だよその子。すぐオトせるわ」と言い放った。なんてこと言うの! わたしがそう言うと姉は「ワンピース一択でしょ。相手の子、チャラいタイプ? 大人しいタイプ?」と追加の質問。ものすごく協力的で助かるけど、とんでもないことを真顔で言い放つからこっちがハラハラしてしまう。昔からこういう人だから心強いところはもちろんあるのだけど。
 わたしが持っている中で使えそうなアイテムも含めて、どんどんコーディネートが決まっていく。相談してよかった、けど、普段あまり着ないかわいい感じの色合いに怖気付く。ふんわりした女子って感じ。似合うだろうか。不安に思っていると姉が「着替えろ」と言った。あわあわしながら姉の服と自分の服を着た。姉は全方向をくまなくぐるぐる回って確認すると「我ながら完璧だわ」と言った。
 そこから怒濤のメイク。姉プロデュースでどんどん出来上がっていく自分の顔にちょっと驚く。姉が「化粧だけでこんだけ変われるの、女って。すごいでしょ」と得意げに笑う。わたしの唇にグロスを塗りながら「あんたはさ、自分に自信なさ過ぎだからだめなの」と言ってわたしのほっぺを両手で挟んだ。

「どうせ自分はただの先輩だから叶うわけない≠ニか思ってんでしょ」
「う」
「でもさ、ただの先輩と二人っきりで年明け早々に会わないでしょ、ただの後輩くんがさ〜」

 髪の毛もセットしてくれるという姉が、「なんか付けたいものある? ダサかったら問答無用で却下だけど」と言った。いつもポーチに入れている、卒業式の日にもらったバレッタを出してみる。姉はそれを見て「自分で選んだの?」と意外そうな顔をした。わたしがこれを付け始めたころには姉は実家にもういなくて、このバレッタのことは知らないのだ。卒業式にもらった卒業祝いで、その好きな人が選んでくれたものだと言ってみる。姉はバレッタをじいっと見つめると「その子ってお姉ちゃんか妹いる?」と聞いてきた。なんでだろう。不思議に思いつつ「男四人兄弟だよ」と答えたら、「ふ〜ん?」と少し笑った。え、何その反応。

「分かってんじゃん、その子」
「……何を?」
「あんたはもっと自惚れていいって話」

 バシンと背中を叩かれた。痛いんだけど! そう振り返って姉を睨むと得意げに笑われた。「かわいいじゃん。あたしの妹だし当たり前だけど」と言われたら、ちょっと、自信が持てた。
 家を出る時間になるまで姉に尋問を受け、写真まで見せる羽目になった。いろいろアドバイスも受けながら、そうこうしているうちに家を出る時間になる。「ありがとう」と照れつつ言うと「しっかりオトしてこい」と頼もしすぎるエールをくれた。結局玄関に見送りに来た姉に気が付いた母まで出てきて、姉が茶化して「デートだって」と言ったものだから玄関先でめちゃくちゃに騒がれた。「いってらっしゃ〜い」と語尾にハートマーク付きで見送られると、すでに恥ずかしさは限界で。でも、ちょっと、勇気出た。そう前を向いてしっかり歩けた自分がいた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 駅構内を行き交う人を眺めながら壁にもたれ掛かってスマホをいじる。片手にはさんが貸してくれたマフラーを入れた紙袋。中には一緒にクッキーが入った缶が一つ入っている。同輩の女子たちの意見を全面的に信用して、売り場で一番大々的に宣伝されていて女性客が多く足を止めていたものを買った。
 約束の時間まであと二十分ある。早く着きすぎた。どこかで時間を潰そうかとも思ったが、何かトラブルがあって遅れたら元も子もない。待つのは別に苦手ではないし律儀なさんが早く来る可能性もある。ここで待っているのが一番ベターだと判断した。
 スマホの画面には研究室のメンバーとのトーク画面。大学がはじまってからの予定の確認や、それぞれの課題の進捗状況を報告し合っている。今はどうでもいい話をしているのを眺めているだけで特に会話に参加はしていない。見て暇を潰しているだけだ。

「白布」

 思わずビクッと肩が震えた。驚いて顔を上げると、いつの間にか目の前にさんがいる。時計を見るとまだ待ち合わせの十五分前だ。さんは照れくさそうに笑って「早く来ちゃったかなって思ってたんだけど」と言う。そんなさんの言葉にぼんやりした言葉しか返せない。
 うわ。言葉が出ない。まずい。目の前で「どこ行く?」とはにかむさんに「あ、はい」と間抜けに答えるしかできなくて。ちゃんとどこに行くかを調べてきたのに一瞬で飛んだ。慌ててスマホで調べたカフェの履歴を探して「こことか、どうですか」とさんに見せると「そこにしよっか」と言ってくれたのでほっとした。駅の外にあるカフェなのでさんと並んで歩いて行こうとしたら、さんが俺の手元を見て「マフラー、ごめんね。ありがとう」と手を伸ばしてきた。ごめんねもありがとうも俺の台詞です。それをそのまま声に出すと笑われてしまう。「帰り際に渡します」と言ったらさんは「いいよ、邪魔でしょ」とまだ手を伸ばしてくる。「いいです。持ってますから」と手でガードすると、さんはおかしそうに笑った。
 なんか、ふわふわしている。髪の毛とか顔とか、服とか。それに加えてさんから良い匂いがする気がして、まともに直視できなかった。この前飲み屋の前で会ったときと全然印象が違う。あのときもふつうにかわいかったのに。今日はなんか、余計に。

「あ、今更だけど試験合格おめでとう」
「ありがとうございます」
「五年生になったら臨床実習はじまるんでしょ? また忙しくなるだろうけど無理しないようにね」

 駅の外に出ると冷たい風が吹き付ける。眩しい日の光を見て「あ」と思わず声が出た。さんが足を止めて「どうしたの?」と俺の顔を見上げる。すっかり忘れていた。咳払いをしてから「あけましておめでとうございます」と言ったら、さんも「あ」と言って苦笑いをもらした。

「あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」
「宜しくお願いします。すっかり忘れてましたね」
「ね。うっかりしてた」

 年始の挨拶を忘れるほど動揺していた自分がちょっと恥ずかしくなる。まだテンパっている自分を落ち着けるようにゆっくり呼吸をしておく。この程度で治まるものではないけど、ほんの少しだけ落ち着いた気にはなる。ようやく高校のときみたいにさんと話せるようになった。そう思い込むことにした。
 歩いて五分ほどで目的のカフェについた。ランチメニューが人気だとかなんだとか書かれていたので、お昼時に行くつもりだったしちょうど良いと思ったのだ。さんが行きたいところがあればそこでもいいと思っていたけど、東京に引っ越してそれなりに経つからこの辺りの新しい店は知らないかと予想していた。自分で店を選ぶのは少し自信はなかったが、店内の様子を覗くと女性客が多い印象だ。大学の同輩風に言えば「ここはないわ〜」と思われる要素はなさそうで安心した。さんも外に置いてあるメニューを見て「おいしそう」と言った。そのあとに茶化すように「しらすはなさそうだけどね」と笑う。食べませんよ。そんななんでもない会話が楽しくて、顔が緩みっぱなしになっているように思えて、ちょっと顔を背けてしまった。


top / 19.たしかにある心臓