――一年後

 最寄り駅から出て、飲み屋街を歩いて行く。わくわくしながらきょろきょろ辺りを見渡すと、見覚えのある集団を発見。集団の一番外側でスマホを見ていた人に声をかけることにした。

「川西〜!」
「あ、さん、お久しぶりです」
「久しぶり。留年するんだって?」
「やめて、出会い頭に現実を思い出させないでください……」
! 久しぶりだな!」
「あ、バンドマンだ。久しぶり」
「その呼び方やめろ」

 他のみんなとも挨拶をしてすぐに談笑がはじまる。その輪にいるとふと、少しわたしたちから外れたところで天童が誰かと電話しているのが見えた。何かトラブルでもあったのだろうか。バレー部のグループトークで牛島と白布だけ不参加なことは知っている。他にも誰か来られなくなってしまったのだろうか。そう不思議に思っているとわたしの視線に割って入るように山形が「改めてだけど地元での就職おめでとうな」と親指を立ててくれた。真似して親指を立てつつ「ありがとう」と笑い返す。
 一年前に行われたバレー部OB忘年会のときは就活中で参加できなかった。あのときは本当に悔しくて、ゼミの集まりでは「顔どうしたし」と友達に笑われたし、面接は気合いが入りすぎてちょっと空回った。まあ、嬉しいことにあの日面接を受けた会社に内定をもらえて無事に就職活動が終了したのだけど。今は東京の本社で研修中で、来年の夏前に宮城にある支社に異動する予定になっている。東京での生活ももう少し。早く地元に帰りたいな、なんて思いながら毎日頑張っている。
 お互いの近況を報告していると天童が輪に入ってきた。「ちゃんオヒサ〜」とちょっと元気のない声を出すものだから気になって。「何かあった?」と首を傾げる。天童は唇を指で軽くかきながら「ほんっと、ツイてないよね〜」と呟く。何が? よく分からないまま天童の言葉を待っていると、天童はパッと笑顔になった。

「賢二郎、本当に来られないってサ」
「え、あいつ医学部だしまだ就活じゃないだろ? というか医学部って就活すんのか……?」
「明後日めちゃくちゃ大事な試験があるんだって〜。今も大学で死に物狂いで勉強してるっぽい」
「うへ〜……医学部って大変なんだな……」

 山形が苦笑いをこぼす。わたしも苦笑いをこぼして「会いたかったな、白布」と言うと、ぴしっと空気が固まったのを感じた。え、何? そう誰ともなく視線を向けると、嘘みたいに全員がいつも通りに戻って「だよな〜」と言った。今の何? 一瞬空気が変だったけど?
 白布はわたしが卒業してからは一度だけ会ったっきりだ。白布たちの代が三年生のときの試合を見に行ったのが最後。そのあとにバレー部OBの飲み会や食事がいくつかあったけど、わたしが不参加だったり白布が不参加だったりして一度も会えていない。

「そういえばちゃん、髪切っちゃったんだね」
「ああ、うん。イメチェンしてみた」
「長いのも短いのも似合うね〜!」
「褒めても何も出ないよ」
「ちぇ〜。あ、そのバレッタ。後輩たちからの¢イ業祝いだ?」
「あ、そうそう。気に入ってるんだ。かわいいでしょ」

 髪が短くなってもバレッタなら付けられる。もらったその日からお気に入りになっているので、今も出かけるときは大体付けている。白布と一緒に渡しに来てくれた川西に「ありがとね」と言うと、なんだか歯切れの悪い返事があった。川西は少し悩むそぶりをしてから「それ」とバレッタを指差す。

「えーっと、白布が、選んだんですよ」
「あ、やっぱりそうなんだ?」
「やっぱり?」
「渡しに来てくれたとき、白布のポケットに入ってたから。白布がわたし担当だったんだね」
「そ、そうなんですよー。白布がさん担当だったんですよー」
「なんで棒読み?」

 なんとなく違和感を覚えつつ、全員集まったし時間もちょうど良くなったところで店を予約してくれた大平を先頭に店に入っていく。居酒屋の二階の大部屋一室を貸し切っているらしく、靴を一階で脱いで続々と階段を上がっていく。部屋に入った順で席についていくと、わたしの右隣は天童、左隣は瀬見、正面は川西という配置になった。幹事の大平はわたしたちの席の誕生日席、一番動きやすいところに自分から座ると店員さんと何かを話している。料理はコースにプラスして注文できるシステムになっているらしい。ドリンクをどうするかを話しているようだ。大平が「全員一杯目ビールで大丈夫か?」と聞くと、全員がオーケーと返す。大平はその答えを聞いてからわたしを見ると「もそれで大丈夫か?」と聞いてくれた。優しい。ちょっとくすぐったく思いつつ「大丈夫だよ」と返すと、店員さんに注文を入れていた。
 飲み物が来る間、近況報告は尽きない。みんな元気そうでほっとした。何も変わっていないのにちょっと大人になっている。懐かしい。みんなといるといつでも高校生だったころに戻ってしまう。

は来年こっちに戻ってくるんだろ?」
「一応ね。夏頃の予定だよ」
「お、じゃあこれからは飲み会参加できるじゃん!」

 素直にそう喜んで言ってくれることが嬉しい。わたしも笑って「そう。嬉しい〜」と返す。川西は「俺のことも誘ってくださいね……」と薄暗い顔で言う。それに大平が笑って「誘うに決まってるだろ」と川西の背中を軽く叩いていた。
 店員さんが数人がかりでビールを持ってきてくれる。それをそれぞれの机で受け取りつつ続々とビールジョッキがみんなに回る。そうして最後に大平が受け取って、店員さんたちが出て行ってから軽く乾杯の挨拶。近くの人たちはもちろん、少し移動して他の人たちとも乾杯して、ようやく口を付けた。
 料理も次々運ばれつつ、がやがやと騒がしい飲み会がスタート。わたしは天童の海外での話や最近会ったという牛島の話を聞く。そのあとは瀬見の仕事とバンドの話。川西の大学の話。大平の奥さんの話。五色のバレーチームの話。やっぱり話は尽きなくて。あっという間に一杯目のビールはなくなるし料理もなくなっていく。楽しい時間を食べてしまっているのかと思うほどどの料理もおいしく感じた。

「もうちゃん、去年めちゃくちゃ誘ったのに来なかったから〜」
「ごめんって。でも約束通り今年はちゃんと来たでしょ?」
「そうなんだけどさ〜」
「でも本当に残念。牛島と白布もいるかなって思ってたから」
「そうだね〜。若利くんは海外いるらしいから仕方ないけど、賢二郎ね〜」
「白布、共用試験があるからなんじゃないの? 医学部四年って共用試験あるよね?」
「なにそれ?」
「大事な試験なんでしょ? 合格しないと留年しちゃうこともあるんだよね?」
「え、そうなの?!」
「そうそう落ちないとは言うらしいけど、白布は真面目だし徹底的に勉強してそうだなあ」

 天童が「なら仕方ないか〜」と頬杖をついた。天童、そんなに白布に会いたかったんだな。そう少し笑っているとやけに視線を感じる。ふと辺りを見渡すと、わたしの周りに座っている人たちがじっとわたしを見ている。え、何? その中の人の山形に問いかけてみるけれど「え、何が?」とはぐらかされる。いやいや、見てたでしょ。気になるんだけど。何度かそう聞いたけど誰も教えてくれなかった。
 二杯目の飲み物を店員さんに頼みつつ、ふと瀬見が「なんで髪切ったんだ?」と聞いてきた。イメチェンって言ったじゃん。そう笑いながら返したら「いや、だからなんでイメチェンしようと思ったんだよ」と聞いてくるものだから、ちょっと考えてしまった。なんで、か。

「失恋?」
「あはは、男の人って大体言うよね」
ちゃんさ、高校のとき好きな人いるって言ってたじゃん」
「よく覚えてるね……できることなら触れてほしくないんだけど……?」
「結局誰だったの〜? なんで卒業式で告白しなかったの〜?」
「めちゃくちゃ触れてくるじゃん……」

 高校のときに好きだった人。思い出して少し笑ってしまう。そうそう、誰にも言うつもりなんてなかったのに不慮の事故でバレてしまったんだった。誰なのかは口が裂けても言わなかったけど。告白をするつもりも微塵にもなかった。その理由は高校のときにも言ったはずなのに。フラれたくないから。たったそれだけの理由だ。今もそれは変わらない。
 髪の長い女の子が好きだと噂で聞いた。だから、子どものころからあまり伸ばしたことがない髪を頑張って伸ばしたし、髪の毛のケアにそこそこお金を使い手間をかけた。その人の瞳にわたしの髪はどう見えていたのだろう。わたしの努力は少しでも報われていたのだろうか。ただの一度でもきれいな髪だと思ってくれたことがあっただろうか。もう答えは分からないけれど、あの瞳に一瞬でもそんなふうに映っていたならば、わたしの恋はそれだけで満ち足りるだろうな。そんなふうに思う。
 もう、実ることがないものを持ち続けるのも、なんだか恥ずかしくて。だってわたしのことをあの人はそんなふうに見ない。そう分かっているのにずっと続ける片思いなんて。今日のこの飲み会に参加することを決めたその日、わたしはいつもトリートメントをお願いしている美容室で髪を切った。担当してくれている人から「え、切っちゃうんですか?!」ととても驚かれたし、「もったいないですよ、きれいなのに」と言ってもらった。嬉しかった。きっと、あの人に言われたならば切らなかっただろう。でも、あの人のために伸ばしていた髪だから、もういらないんだ。それがちょっと寂しかった。

「ねーねー、もう時効でしょ? 誰だったのか教えてよ〜」

 時効。天童のその言葉に笑ってしまう。確かにね。もう叶うことも願うこともないのなら、たしかに時効だ。すっかり枯れてしまった。通りすがりの見知らぬ人たちに踏んづけられてぐしゃぐしゃになっている。それくらい、ひっそり枯れていった恋だった。
 からん、と氷がグラスの中でぶつかる音がやけに耳につく。天童がわたしの背中をつんつんと突いて「誰? 誰なの?」と楽しげに言う。いつもなら止めるだろう大平や山形が一切止めに入らないので、他の人も興味があるのだろう。人の恋心を酒の肴にしようって魂胆か。苦笑いをこぼしつつ、一口飲み物を飲んだ。
 憧れを乗せたボールは、あの人が思い描いた軌道を描けただろうか。冷たかった手はもう冷たくないだろうか。素直じゃなくてかわいくないなんて言われていないだろうか。最後に見た顔を思い出したら、小さく笑ってしまった。それを飲み物を飲むふりをして隠す。ごくり、とゆっくり飲み込んでから「笑わないでよ」と言いながら天童に顔を向けた。天童は嬉々として「え、やっと教えてくれるの? 笑うわけないじゃ〜ん!」とわたしの背中を突くのをやめる。絶対からかうよ。そう確信しつつ頬にかかった横髪を耳にかける。ちょっと恥ずかしい。照れてしまいそうになるのを隠すように、笑っておいた。

「白布」


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