――四年後

「え〜ごめんってば〜……わたしも行きたいのは山々なんだよ、本当なんだってば」

 駅ナカにあるカフェで諸々の必要書類などの確認をしながら電話。電話の相手は天童だ。高校卒業後、なんとびっくり製菓の道に進んだ天童は一人前のショコラティエになるべく修行をしている。そんな天童は結構多忙でここ最近あまり連絡も取れていない状態だった。他の同輩たちもみんなそれぞれ大学だったり仕事だったりバレーだったり、いろんなものに追われてなかなか会えないまま四年が経っている。わたしは絶賛就職活動に追われているところだ。
 十二月。もう周りの友達はほとんど就職を決めており、わたしだけ取り残されている感じが心に痛い。友達は遊びに行ったり地元に帰ったりしているのにわたしだけまだスーツを着て面接に行く日々。地元で就職したくて東京と宮城を行ったり来たりしている。卒業論文の提出も迫っているし、結構忙しい。毎日ため息が止まらない。
 そんな中、なんと奇跡的にタイミングがあったらしく、白鳥沢学園OBで忘年会を開催することにしたのだとか。もちろんこれまでもそういうことはやってきたけど、なんといっても今回は牛島と天童が参加できることになったというのだ。過去最多の参加人数だという。それにも関わらず、わたしはその予定されている日だけちょうど都合が悪いのだ。面接があるだけ、くらいならもちろん参加した。けど、その日は面接でせっかく宮城に行くのに、終わったら大学のゼミの発表でとんぼ返りしなければいけない。物理的に忘年会には参加できないというわけだった。

「ごめんって。本当に。来年! 来年絶対行くから! 絶対!」

 ぶすくれた天童にもう一度謝り、来年は行くと約束した。破ったら牛島の殺人スパイクを受ける罰を受けさせられるらしい。絶対行く。そう心に誓って、電話を切った。
 せっかく今から地元に帰るのに。憂鬱だ。こんな過密スケジュールにしてしまった自分を恨むしかない。ゼミの発表会もどうせほとんどが飲み会のためのものだ。大学の友達も大事にしたい、けど、もうかなり会えていない高校時代の友達に会いたいと思ってしまう自分がいる。ため息。でもうだうだ言ってても仕方ない。人生すべてが自分の思い通りにはいかないものだ。今回は我慢するしかない。そう、項垂れた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




ちゃん本当に来られないってさ〜! ショック〜!」
「マジか。就活難航してるみたいには聞いてたけど」
「サクッと終わらせてそうなのにな」

 午後六時。店に着くなりそう喚きだした天童さんを瀬見さんがなだめる。大平さんも「就職と卒業かかってるんだから仕方ないな」とフォローを入れ、天童さんはようやく諦めがついたらしかった。「来年は引きずってでも連れてくるよん」と言うと山形さんに「引きずるな」とツッコまれていた。
 先輩たちが座ったのを確認してから席に着こうとすると、「あ、賢二郎と太一こっち」と天童さんの隣を指差される。嫌ですけど。そう顔に出ていたらしいが「工〜連れてきて〜」と天童さんに言われた五色に背中を押されて無理やり着席させられた。どんな拷問だ。同じ席に牛島さんがいるのは嬉しいけど。

「料理適当に各テーブルで追加しちゃっていいよ〜食べ放題だからね〜!」
「誕生日来てない十九歳専用テーブルには死んでもアルコール入れんなよ。マジで」
「ジャパンと未来のジャパンいるからその辺り確実にな」
「はいかんぱ〜い!」

 うるさい。一言で表すならそんな感じだ。やけにテンションの高い先輩たちや後輩たちをどこか遠目に見つつ隣の太一と軽く乾杯しておく。それを見ていた山形さんが「お前ら変わんねーな」と笑った。
 続々と先輩たちが適当に頼んだ料理が運ばれてくる。どこを見てもこってり系のものばかり。胃袋が高校生のままかよ。そう思ったけど結構な人数がバレーを続けているし、体が大きい人ばかりだ。まあこうなるのは必然なのかもしれない。そうげんなりしている俺の前には大量のたこ焼きが置かれた。

「なんでたこ焼き?」
「知らねえよ。俺が頼んだみたいに言うな」
「賢二郎しらす好きじゃん。たこも好きかなって」
「どんな理論ですか」
「海の幸理論」
「天童さんもう酔ってます?」

 謎理論は理解できなかったが、目の前に置かれたんじゃ仕方ない。とりあえずたこ焼きを食べる。太一も横から食べつつお互いの近況を話した。
 その話を横で聞いていた天童さんがじいっとやけに俺を見ていることに気が付く。理由は聞きたくない。ろくでもないことに決まっている。ただ一度気付いてしまった視線はねっとり絡みついてくるように感じてしまって居心地が悪い。仕方なく天童さんのほうに顔を向けて「何か」とだけ聞いてみる。天童さんはたこ焼きをつまみながら「え、聞いてもいい?」と珍しく許可を取ってきた。

「何かによりますけど」
「じゃーもう時効だろうから聞いちゃうね〜!」
「なんですか」
「賢二郎ってちゃんのこと好きだったでしょ?」
「ブハッ」
「なんで太一が吐くの? ズボンびしゃびしゃだけど大丈夫?」

 けらけら笑う天童さんの隣で大平さんが目を丸くしている。反対側に座っている瀬見さんも同じような顔をしているし、山形さんも五色も、あの牛島さんでさえ似たような顔をしていた。
 天童さんはそんな周りの状況などお構いなしにべらべらと話した。テーピングが道具入れにあることを知っているのにわざわざさんにあるかよく聞いていたこと。練習終わりに一年生が落ちているのを見つけた髪飾りをさんのものだと即答したこと。それをわざわざ受け取って自分でさんを追いかけて渡しに行ったこと。インターハイのときに俺と太一の部屋で寝てしまったさんを起こさなかったこと。インターハイの試合前にさんに手を温めてもらっていたこと。インターハイの帰りにお土産屋さんの前でさんに進路のことを聞いたこと。春高予選の帰りにさんの隣に座ったこと。そのときにさんにお礼を言ったこと。卒業式でさんと写真を撮ったこと。極めつけは。

ちゃんにバレッタあげたでしょ」
「……なんで知ってるんですか」
「前にちゃんが友達とデデニー行ったときの写真見せてもらってさ。バレッタかわいいね〜って言ったらバレー部の後輩たちから卒業祝いでもらったやつだよ≠チて言うからさ〜?」
「卒業祝い? 花束と色紙だろ?」
「そう思うじゃ〜ん?! 俺もそのときに、卒業祝いもらってないんだけど? 俺だけハブなの? ってめちゃくちゃ焦ったけど、とりあえず話し合わせといたんだよねん」
「あ、だからお前俺に卒業祝いもらった?≠チて聞いてきたのか、あのとき」
「そ〜。だってハブにされてたら泣いちゃうもん、俺」

 ようやくむせ返りが治まったらしい太一が「もっと言ってやってください」と口元をおしぼりで拭きながら言う。うるさい。黙れ。そう膝を小突いておく。
 同じ席に座っている人たちからの視線が痛い。嫌な空気。今にもからかってやろうという気概を感じる。じいっと見てくる天童さんの視線から逃げるようにビールを手に取る。一杯目はビールなんて決めたやつは誰だ。というか頼んでないのに勝手に頼まれていたし、何も疑問に思わず受け取っていたし。くそ、なんか腹立ってきたな。

「天童さん」
「お、話す気になった?!」
「一つ訂正しますけど」
「うんうん!」
「まだ時効じゃないです」

 再びの沈黙。話を振ってきたのはそっちなんだから盛り上げる努力をしろよ。内心そう思いつつぐいっとアルコールを入れる。そうでもしなきゃやってられるか、こんな飲み会。去年も一昨年も、無理やり課題やらなんやらを終わらせて、一つ上の牛島さんたちの代が幹事をする飲み会にはできるだけ参加していたのに。もちろん同輩たちや後輩、先輩たちに久しぶりに会うことを楽しみに思う気持ちもある。けれど、正直、一番期待していたことは、なかなか起こらなくて。

「なんで引きずってでも連れてこなかったんですか、天童さん」
「……ねえ太一、賢二郎ってもしかして泥酔してる?」
「いや、素面です。というか白布が酔ってるとこ見たことないっスよ」
「白布だけにな」
「山形ちょっと黙ってような」
「ちなみにこれは普通に天童さんにキレてますね」
「え、ごめんね?」

 瀬見さんが「ちょ、ちょっと待て、え、マジで?」と俺の顔を指差す。人に向かって指を差すな。思わず舌打ちがもれると瀬見さんが「うお、久しぶりのやつ」と苦笑いをこぼした。マジもクソも。ここまでの話の流れで察しろ。
 恐る恐る五色が「え、でも」と会話に入ってくる。五色は昔からすぐ喚いてうるさいくせにこういうところは度胸がある。割とそういうところは嫌いじゃない。たまに鬱陶しいけど。「なんだよ」と視線を向けると「睨まないでくださいよ!」と半泣きで顔を隠した。睨んでない。元からこういう顔だ。

「その……白布さん、さんのこと好きだったのに」
「過去形にすんな」
「あ、ハイ、すみません。さんのこと好きなのに、なんで告白しなかったんですか?」
「もっと言え五色ー。こいつは卒業式の日にも卒業おめでとうございます。また試合見に来てください≠ニしか言えなかった根性なしだぞー」
「いい度胸してるな、太一。あとで覚えてろよ」
「誰でも良いので骨だけでも拾ってください、マジで」

 太一の背中をバシンと叩いてやってからジョッキをテーブルに置く。天童さんが自分の近くに俺たちを座らせたのはこのためだったのか。やっぱり座るんじゃなかった。後悔してももう遅いわけだが。天童さんは「で、なんで告んなかったの?」といつの間にか頼んだらしい焼きそばを食べつつ言う。片手間かよ。ちょっとムカつく。自分を静めるようにため息をついてしまう。
 太一が背中をさすりつつ「それ俺も不思議なんだけど」と肘で脇腹を突いてくる。五色や瀬見さんたちは仕方ないとして、天童さんと太一は俺がさんのことが好きだと気付いておきながらその理由が分からない意味が分からない。だって、あの人。

さん、好きな人いるって言ってたじゃないですか」
「あー、言ってたネ。結局誰か分からずじまいのやつ」
「見事に玉砕してたやつもいたしな」
「陸上部の子な〜。いたな、そういえば」

 懐かしそうに言う瀬見さんがハッとした顔をして、また俺に目を向けた。それと同時に大平さんも俺を見るし、山形さんも天童さんも、五色も。なんだその意外そうな顔は。居心地が悪い。そう目をそらすと牛島さんがポカンとこちらを見ているのと目が合った。牛島さんまでそんな顔をするほど、意外だったのだろうか。
 後ろのテーブルで誰かが飲み物をこぼした音がする。騒がしい。ギャアギャアとうるさい店内で、俺のいるテーブルだけが静まりかえっている。この人たち楽しく飲みに来たんじゃないのかよ。俺の話なんていいから好きに話してろよ。俺の前に置かれたたこ焼きが続々と減っていく。別のものが食べたい。でも、他のものを取る気力がないしここから抜け出せる気もしない。諦めてずっとたこ焼きを食べ続けるしかなかった。

「フラれたくないっていうタイプじゃないでしょ賢二郎?!」
「白布はもっとこう、しゃらくせえつべこべ言わず俺についてこいってタイプだろ?!」
「俺のことなんだと思ってるんですか」

 普通の人間なら誰だってそう思うのが普通だ。試験があれば良い点を取りたいし、試合があれば勝ちたい。何かに挑戦したら成功したいし、告白したらオッケーをもらいたい。それが普通だ。だから、フラれると確定している相手に、告白するのは死にに行くのと同じこと。それを怖がるのも人間としてごく当たり前の防衛反応だと思う。そして実際目の前で玉砕したやつを見た。俺もああなるんだな。そう思ったら、まさか、言おうなんて思わなかった。
 でも、悔しくはあった。俺の目の前で玉砕したそいつは、懲りずにもう一度玉砕しに来たのだ。必死な顔で、懸命な声で。それにかすかに頬を赤らめたさんを見たらひどく悔しかった。けれど、どうしても俺は言えなかった。

「砕かれるくらいならこのままでいいです」
「俺なんか泣けてきました……」
「賢二郎が太一のこと泣かせた〜」

 天童さんがスマホをいじる。すると、俺のスマホに通知がいくつか届いた。「なんですか」と天童さんを睨むと、「まあまあ。見てみなって〜」と天童さんがピースを向けてくる。不審に思いつつスマホの通知を見る。画像が送られてきている。なんとなく予想が付きつつタップすると、思った通り。俺が知らないさんの写真が何枚も送られてきていた。

「……さんの好きな人って」
「うん?」
「天童さんですよね、絶対」
「え?」
「え?」
「は?」
「いや、そうとしか思えないですけど」
「ないない! ないない?! え、ないよね?」
「ちょっとドキッとしてんじゃねーよ、天童」
「天童はねーよ。絶対ない」
「英太くん、ちょっと傷付くからやめてくんない?」
「仲良いじゃないですか。こんな写真持ってるくらいには」
「やばい、気を利かせたつもりなのに賢二郎怒ってるじゃん」

 俺のスマホの画面で、友達らしき女の人と楽しそうに笑っているさんの写真。二枚目は何かを指差している写真。その髪にあの日渡した髪飾りがついている。
 色とかデザインとか、女家族が母親しか身近にいないから選ぶまでにかなりの時間を要したことを思い出す。店に入るだけでも多少たじろいだのに。その中から女子、しかも、好きな人が好みそうなものを選ぶなんてことは、男ばかりの中で育った俺にとっては至難の業だった。レジで作業をしている女性店員からの視線を感じ始めたところで、本当に仕方なく、致し方なく、姉がいるという太一に電話をかけた。「女子が好きな色って何色だ」とだけ聞いた俺に太一は「女子を一括りにする時点でお前はもう死んでいる」と淡々と説教してきた。ぐうの音も出ない。その通り過ぎて言い返す言葉もなかった。今でもそのときのことをおちょくられるので、時間を戻せるならなかったことにしたい。
 結局太一にさんのことが好きだとバレるわ、「いつ渡すの?」と毎日毎日ニヤニヤされるわ、散々だった。買いに行ったタイミングが夏休み終盤だったこともあり、卒業式までの半年ほどずっと茶化されたことは今でも根に持っている。
 太一に何を選んだのか聞かれたから、似たようなものをネット画像で見せた。そのときに「なんでそれにしたの?」と聞かれた。そのときは特別理由を太一に答えることはしなかった。答えはしなかったけど、これならもしかしたら付けてくれるかもしれない、と思った。女子が付けるアクセサリーの名称なんて知らなかったけど、ネットで調べたらどうやらバレッタというらしいそれは髪の毛に挟んで固定できるみたいだった。だから、部活中に落とすことはないだろうと思ったのだ。さんが付けていたものは差し込むだけのものだった。いつも忙しそうにしていたし、髪ゴムが緩みそうになっているところも見たことがある。きっと何かの拍子に落ちてしまったのだろう。落ちていたそれをさんに返したその日からさんは髪飾りの類いを何も付けてこなくなった。落ちていたそれを選手が踏んで怪我に繋がるといけないと思ったのだろう。さんはそういう人だ。それがなんとなく、頭に残っていて。
 結局渡すことができたのは卒業式の日。もう前に付けていたアクセサリーを付けて落とす心配をしなくてもいいだろうから、さんは自分で持っているものを使うだろうな、と思っていた。太一の意見を聞きつつ俺が選んだ、好きかどうかも分からない色と花の柄なんかより。自分が選んだ好きな色で好きな柄のもののほうがいいに決まっている。せめて引き出しの奥にしまってくれてあれば十分だ。そう思っていたから、実際さんが付けてくれているのを見ると、どうにか枯れてしまわないように保っていただけの感情が熱を帯びた。
 はじめはただの先輩でしかなかったし、バレー部のマネージャーという立場でしかさんを認識していなかった。白鳥沢に入学して、バレー部の厳しい練習に食らいついて、成績が落ちないように勉強し続けて。正直疲れすぎて何が何だかよく分からなくなった時期があった。何をやってもうまくいっていない気がして、何を考えても思考がまとまらなくて。ひどくイラついていた。そんな毎日を過ごす中でふと、練習中にさんが笑って「大丈夫?」とか「外周いってらっしゃい」とか何でもない言葉をかけてくれて。いつかふとした瞬間に、地面いっぱいに落ちていた花びらが一気に舞い上がるように、恋をした。笑った顔とか、声とか、言葉とか。そういうのが、すごく、きれいな人だなと思った。

「告白しねーの?」
「しません」
さんがまだそいつのこと好きか分かんないじゃん」
「好きだろ。俺がまださんのこと好きなのと同じだろ」

 瀬見さんが大平さんに「の好きなやつ心当たりねーの?」と聞いた。大平さんは三年生のときにさんと同じクラスだった。少し考えてくれたものの苦笑いをこぼして「そんな感じ見せなかったしなあ、」と首を傾げた。仲が良い天童さんや同じクラスの大平さんが分からないのなら誰も分からない。天童さんが何を思ったのか牛島さんにも心当たりを聞いてみるが、思った通り「知らない」という返事だった。
 別に知らないままでいい。それが誰だったとしても、さんがそいつと両思いになったり仲良くあり続けられるのなら、さんにとってはそれが一番良い。そいつがろくでもないクズ男でないことを祈るだけ。そうしてさんがそいつと結ばれたら、俺はひっそりこの想いをまたしまい込むだけだ。それでいい。さんにとって素直でかわいい後輩≠ナあれば、それだけでいい。


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