「好きです、付き合ってください!」

 みんみん、とセミの声がうるさい。体育館のすぐそばにある大きな木にたくさんいるのだろう。去年も一昨年も練習中に耳が痛くなったことを思い出す。夏の風物詩とはいえたまに鬱陶しくなってしまう。そんなうるさいセミの鳴き声と打って変わって、木陰で休憩を取っていた男子バレー部はとても静かだった。
 大平にタオルを渡そうとしていた手がぴくりとも動かなくなる。わたしの目の前で赤い顔を俯かせているジャージ姿の人。誰だろう。たぶん話したことがない人、だと思う。呼び止められたときに「先輩」と言われたから一年生か二年生のどちらか。着ているジャージがたしか陸上部のもの、だと思う。わたしが思い出せる限りではまったく接点がないし、なんだか状況がうまく飲み込めない。首を傾げそうになりつつ、ようやく口が動いた。

「え、っと、誰だっけ……?」
「陸上部二年の伊藤です!」

 息継ぎをせずに一息で言った。伊藤くんというらしい彼はまだ赤い顔を俯かせたままだ。どういう状況だ。伊藤くん、なんて言った? 好きです? 付き合ってください? わたしに言った? バレー部がみんな見ている前で? 変な汗が出てくる。そんなことを言われたのははじめてだし、自分が言われるかもしれないなんて考えたことさえない。漫画とかドラマの世界だけだと思っていた。なんて返せば良いのだろうか。おろおろと視線を泳がせて困惑しつつ、なんとか大平にタオルを渡すことができた。

「もしかして、どっきり? それか罰ゲームとか?」
「ちっちがいます! 本気です!」
「そ、そうなんだ……」

 他人事みたいな反応をしてしまう。我ながら情けない。たじたじしていると、しびれを切らしたらしい伊藤くんが顔を上げた。真っ赤な顔。そりゃそうだ、バレー部みんなに見られているんだから。普段なら茶化してきそうな天童でさえ空気を読んでいるのか喋らない。それが余計に居心地が悪くて。思わず苦笑いをこぼしそうになった瞬間、伊藤くんががしっとわたしの手を掴んでぎゅっと握った。ちょっと怖いくらいの迫力だった。怖気付いてしまいつつ少し後ろに下がってしまう。伊藤くんはそれでも手を離さず、赤い顔のまま「好きです」ともう一度言った。

「えーっと……」
「もしかして彼氏いますか!」
「いない、けど……あー、うーん、その……」
「友達からでもいいのでお願いします!」

 結構グイグイくるタイプだ。ちょっとそれに圧されつつ視線をそらす。どうしよう、理由、みんなに聞かれてる中で言うの嫌なんだけど。でも言わないと引いてくれないだろうし。なんで人気のないところとか、部活終わりとかに声をかけてこなかったんだろう、この人。あと周りの部員たちも気にせず喋っていてくれればいいのに。そう恨めしく思ってしまった。

「す、好きな人がいるから、ごめんなさい」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




ちゃん」
「うるさい」
ちゃ〜ん」
「黙って」
「水臭いよ〜! なんでも協力するよ?!」
「協力するぞ」
「なんでもな」
「うるさい。黙って。ちゃんと練習して」

 試合形式練習の合間休憩中。絶賛からかわれ中のわたしは世界が憎かった。誰にも知られたくなかったし言う機会なんてないと思っていたのに。伊藤くんめ、今度会うことがあれば絶対に許さない。ギリッとボトルを握りしめつつ天童に投げ渡してやる。わたしの周りにわらわら集まってきた三年の話の話題は、やはりアレだった。

「好きな人ってダレ? バレー部? 他の部活のやつ? 三年? 二年? もしかして一年?!」
「う、る、さ、い!」

 スコア表で天童の額を叩いておく。「照れ屋さん」と笑われる。うるさい。これだから言いたくなかったのに、あんなにグイグイ来られると言わざるを得なかった。スマートなかわし方とか断り方とか分からなかったし。そうぶつぶつ心の中で言ってしまう。恋愛経験値の低さが顕著に表れてしまった。そう恥ずかしくなりつつ、断るための嘘だったということにしておけば良かったと今更後悔している。
 山形が近くで休憩している川西と白布に声をかける。「二年って言ってたけど知ってるやつ?」と聞かれて、川西が「俺同じクラスです」と答えた。クラスでは明るいムードメーカーだとかなんとか、伊藤くんに関する印象などを話していく。どの話を聞いてもぴんとこない。やっぱり一度も話したことはなさそうだ。そんな相手のどこを好きになったのだろう。不思議に思ってしまう。

「それにしてもの返し、あれすげー傷付くやつだからな……」
「うっ」
「誰だっけ≠ゥらはじまって続けざまにどっきり? それか罰ゲーム?≠セもんな」
「だ、だって、動揺してたから!」
「あれは伊藤くん可哀想だったね〜!」

 笑う三年を片っ端から叩いておく。頭を押さえつつ山形が「にしてもが恋する乙女だったとは」と言うのでもう一発叩いておいた。

「どんなやつ? の好きなやつって単純に興味あるわ」
ってそういうの興味なさそうだもんな」
「失礼じゃない……?」
「仲良いやつ? 告白しねーの?」

 矢継ぎ早に聞いてくる瀬見の頭ももう一回叩いておく。興味で聞いてくるな。人の恋心を面白トーク扱いしてくれちゃってさ。そう拗ねていると天童がわたしのポニーテールを指でちょんちょんと弾きながら「告白しちゃえば?」と言った。軽いアドバイス。くそ、他人事だもんね。そりゃそう言うよ誰だって。頭を振ってポニーテールで天童の顔面を叩いてやる。

「男なんて大抵告白されたら好きになっちゃうもんだよ〜!」
「そういうタイプの人じゃないから。それに、元から言うつもりないし」
「なんで?」
「フラれたくないから。見てるだけで良いの」
「フラれるの決定なのかよ」
ちゃん、めちゃくちゃ乙女じゃん……かわいいんだけど……」
「それはどうも」

 大平が笑いながら「それくらいにしとけよ」と天童の頭をぽんぽん軽く叩く。助け船を出してくれたのだ。有難い。大平に続いて天童をまた叩いて、ドリンクの追加をするためにその場を離れた。
 真っ赤な顔を思い出す。勇気を出してくれたんだろうな。すごくどきどきしたんだろうな。断られることを想像したり、良い返事がもらえることを想像したり。あの告白までに、どれくらい、頭の中でいろんなことを思い描いたのだろう。不安になったり嬉しい気持ちになったり。それを思うと少し胸が痛かった。
 わたしにはそんな勇気はない。告白をすることを想像したことさえない。答えが分かりきっているからだ。あの人はわたしに興味はない。異性として一切意識されていない。わたしなんか意識のどこにも入り込めない。だから、言うつもりはない。このまま思い出として持って行くつもりだ。それで十分だから。
 練習再開の合図。部員たちが返事をしてそれぞれコートに戻っていく。スコア表とボールペンを握り直して、わたしも走って戻った。


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