「夏休みバンザーイ!」

 天童のかけ声とともに外周がスタートした。それに部員たちが笑いつつそれなりのペースを保って走って行く。普段マネージャーは外周の間は体育館に残っているのだけど、かなり気温が高いこともあり念のため自転車でついていくように監督に頼まれた。最後尾で自転車をこぎつつ、じんわり浮かぶ汗を拭った。
 七月二十一日土曜日。夏休みがスタートと同時に、白鳥沢学園男子バレーボール部は練習三昧の毎日に突入した。朝から晩まで練習メニューで埋め尽くされたスケジュール。それを見て部員一同はげんなりしていたけれど、はじまってみれば楽しそうだ。元気に毎日汗をかいている。けれども、しんどいことに変わりはない。たまに死んだ顔になるし声が出ていないことも大いにある。それでも訪れた夏を楽しもうとしていることがこちらにも伝わってくる。
 燦々と降り注ぐ太陽の光。風を切りながらそれを見上げると、呟くように思った。最後の夏。そう思うだけで余計に空が高く見えるのだから不思議だ。不思議で、ちょっと寂しい。照れ隠しで笑みがこぼれた。
 自転車のかごに給水用の飲み物を入れている。全員分のボトルは入れられなかったので、代わりに紙コップを持ってきている。飲みたい人はわたしのところまで後退してきて飲むというシステムだ。タイムを計っていることもあるので飲みに来る人は少ないかもしれない。けれど、かなり暑くなると言われていたので念には念を、だ。大事な選手が倒れたら大変だからね。そう、部員たちの背中を眺めながら思う。

「若利くんはっや! もう見えないんだけど!」
「あーあ、工のやつ張り合ってついてったな、あれ」
「無茶しなきゃいいけどな」
「あーもう仕方ねえな!」

 山形がペースを上げて、もう姿が見えない牛島と五色を追いかけていった。面倒見の良い先輩だ。そう三年たちと笑っておく。天童が小さくなっていく背中に「隼人くんが倒れないようにね〜ん!」と声をかけると、ひらひらと手を振って返事があった。飲み物取りやすいようにしておかなきゃなあ。そう思いつつ片手で紙コップを取りやすい位置に直しておく。それを横目で見ていた大平も手伝ってくれて、ペットボトルのふたをほんの少しだけゆるめておいてくれた。
 じわじわと部員たちが先頭集団とそれ以外に分かれていく。三年だとスタミナが課題とも言われることがある天童が後方集団に交ざっている。真ん中くらいに大平が交ざり、牛島と五色、山形を除いた先頭集団にその他のレギュラー陣が交ざっている感じだ。たまに川西が真ん中に入りそうになっているくらいで、大体はそんな感じで集団を形成している。
 後方集団を励ましつつ自転車をこぎ、先頭集団をちらりと見る。瀬見や添川がそこにいるのは分かるのだけど、その中にしっかり交ざっている白布がいつ見ても意外だ。白布といえばレギュラー唯一の一般入試組。白鳥沢学園男子バレーボール部で、一般入試組がレギュラーになることはそうあることではない。県内、県外から有力な選手をスカウトしてくるのだから当然だ。順当にいけば今年の正セッターは瀬見のはずだった。セッターとしての実力を買われてスポーツ推薦で白鳥沢に入学しているのだから。けれど、監督が選んだ正セッターは白布だったし、練習試合に何の問題もなく当たり前のように勝てている。何一つ不自然もなく、何一つ違和感もなく。
 他のレギュラーに比べると背が低く見えてしまうし、線も細く見える。白布が一年生で入部してきたときはまさかレギュラーになるなんて思わなかったし、何より、練習がきつくて辞めてしまうだろうなと思っていた。一般入試組の半数以上は練習の厳しさが原因で辞めてしまう。白布は正直スポーツマンって感じじゃなかったし、体力があるようにも見えなかった。一般入試で合格してきたのだから勉強ができるし得意というイメージも手伝って、どちらかというと文化部系に思えたというか。今思うと失礼な限りだ。
 レギュラーに入っただけじゃなく、川西曰くしっかり成績も良いのだとか。たしかに二年スポ薦組のテスト前の勉強の面倒を見ている姿をたまに見る。鬼のような指導らしく、川西もげっそりしていたのを思い出して小さく笑ってしまう。真面目。努力家。そんな言葉がぴったり当てはまる部員だ。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「ったく散々な目に遭った……」
「ドンマイ隼人くん」
「すまない」
「山形さんすみません!!」

 外周から一番に戻ってきたのは、なんと牛島でも五色でも、山形でもなかった。まさかの瀬見。瀬見自身もコーチにタイムを聞きながら「俺が一番?!」とひっくり返りかけたとか。山形曰く、いつもと少し違うコースだったのに牛島がいつも通りのコースを走っていたのだという。牛島、貫禄はあるけどたまに抜けてるところがあるからなあ。そう三年みんなで笑った。なんとか追いついた山形が牛島、その牛島についてコースから外れた五色を引っ張ってなんとかコースに戻したそうだ。
 自転車をもとの位置に戻してから飲み物と紙コップを持って体育館に歩いて行く。途中で女子テニス部の友達に声をかけられて「お疲れ〜」と手を振る。「マネージャー、様になってんじゃん!」と茶化されてちょっと照れてしまう。「まーね!」と笑ってから体育館に駆け足で向かった。一つに結んだ髪が揺れる感覚。前髪が汗で肌に張り付く感覚。なんだかとても、充実している。そう思うと何もかもがきらきらきらめいて見えて仕方ない。
 体育館の中では小休憩中の部員たちが思い思いに過ごしている。五分間の休憩だろう。紙コップを自分の荷物の近くに置いてからネットのほうへ向かう。次はボール出しかな。そう予想をしていると、監督から声がかかった。思った通りボール出しを頼まれる。ウォータージャグやボトルはすでに準備済み、他の備品も定位置に置いてあるしはじまるまでわたしも少し休憩だ。ボールかごの横で小さく伸びをしておく。

さん」
「ん?」
「テーピングの予備、ありますか」
「あるよ。ちょっと待ってね」

 白布は「すみません」と言いつつわたしの後についてくる。救急セットの近くに置いてある道具入れに予備のテーピングが入れてある。この前切らしていたから買い足したばかりだ。白布はいつも自分で用意したテーピングを使っていた気がするけど、うっかり忘れてきたのだろうか。白布でも忘れ物とかするんだなあ。そんな失礼なことを考えつつ、道具入れを開けた。

「白布がいつも使ってるのってこういうやつだったっけ?」
「はい。ありがとうございます」
「大体種類は揃えてるから好きなの使ってね」

 白布が小さく会釈をする。テーピングをわたしから受け取って指に巻きはじめた。今日も遅くまで練習メニューが詰まっている。保護のために試合のときと同様に巻いておくのだろう。
 じいっとテーピングを巻いていくのを観察する。白布はちらりと視線だけわたしに向けると「なんですか」と少し恥ずかしそうに言った。あんまりじろじろ見られても良い気しないよね、そりゃ。苦笑いしつつ「きれいに巻くなあと思って」と返しておく。慣れた手つきで巻かれたテーピング。白布の性格がよく表れている。それがなんとなく面白くて。
 男の人にしては少し白い肌と、細めの指。もちろん女のわたしより骨っぽくて硬そうな印象だ。それでもとてもきれいな指に見えてしまって。この手から放たれるトスというのは、どういうものなのだろう。マネージャーであるわたしには一生分からない。トスを上げる感覚も分からない。こんなに近くにいて、毎日顔を合わせるのに。分からないことが多くて困ってしまう。

「トス上げるってどんな感じなの?」
「……どんな感じ、ですか」
「わたし、バレーやったことないから気になって」

 へらりと笑う。どうしても気になって唐突なことを聞いてしまった。ちょっと恥ずかしい。白布はテーピングを巻きつつ言葉を探してくれている。なんて言うんだろう。それを楽しみにしつつ、丁寧に巻かれていくテーピングを盗み見ておく。

「わくわくする感じですね」

 笑った。白布にしては少し、子どもっぽい横顔。驚いていると「一概に全部がそうじゃないですけど」といつも通りの声色で付け足される。わくわく。白布の口からそんな言葉が出るなんて思わなかった。
 白布の顔がこちらに向いた。じっとわたしの顔を見ると、一瞬だけ部員たちのほうに視線を向ける。誰を見ているんだろう。よく分からないまま、白布の視線が静かに戻ってくる。

「トスを上げたくてここに来たので」

 きれいに巻き終わったテーピング。残りを道具入れに元通り仕舞うと「ありがとうございました」と白布は部員たちのもとへ戻っていった。
 トスを上げたくて。セッターをやりたくて、という意味だろうか。そんなにセッターというポジションが好きなんだな。わざわざ白鳥沢を選んだのは強豪校であり進学校だからかな。よく分からないけど、やりたいことをやるために努力して白鳥沢に入ってきたことは伝わってくる。そう思うと、これまで見て来た白布のトスすべてがとても特別なものに思えてならなかった。


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