夏目前。まさにそう宣言できるほどに雲一つない空。夏の訪れを感じさせる熱を溶かした生ぬるい風。それが肌にぶつかるのは正直心地良いものではない。けれど、季節を感じるその風を嫌いにはなれなかった。
 汗を服の袖で拭う。梅雨が明けたばかりでまだ湿度が高めの空気はどんよりしている。その上でむしむしと暑いのだから困ってしまう。いつもよりなんとなく元気がない体育館から聞こえる声に苦笑いがこぼれる。しんどいよね、でもがんばれがんばれ。もうちょっとで今日の練習もおしまいだから。そう内心呟いた。その瞬間、監督の激しい怒声。部員一同に活を入れた監督が静かに腰を下ろすと、体育館から活気のある声が聞こえてきた。
 白鳥沢学園男子バレーボール部は、夏休みを目前により練習に熱が入りつつある。インターハイ予選で優勝し、本戦出場が決まっているからだ。誰もが熱意とやる気を持って練習に臨んでいる、けれど、みんなただの人間であることに変わりはない。暑さに死んだ顔をしている部員が数人ちらほらといる。これはもう一回くらい監督からの活が入るな。そうまた苦笑いをこぼしていると、ちょうど監督が立ち上がって「声出せコラァ!」と迫力のある声で叫んだ。
 今日の練習一発目に行われた試合形式練習。そのときに使ったビブスを洗って干したものを畳んでいく。これが終わったらウォータージャグとボトルの回収、体育館清掃の手伝い。もう少しで今日の部活も終わる。なんだか、ここ最近は毎日がとても早く過ぎ去っていってしまう。ほんの少しの寂しさを覚えてしまうけれど、寂しく思うにはまだ早い。そう自分で自分に活を入れて、畳んだビブスを抱えて立ち上がった。体育館の中に入り、ビブスをいつも入れているかごにしまって倉庫に戻しておく。その間に部員たちはメニューをすべて終えてストレッチをはじめていた。終わる前に細々した備品を片付けておこう。倉庫のドアを閉めてから部員たちを避けつつ監督の近くに歩いて行く。一応置いてある救急セットやらテーピングが入った道具入れ、スコア表に筆記用具などを集めていつも通り片付けていく。

「ねーねー英太くんと隼人くん、昨日の映画観た?」
「観た! 新巻結美かわいいよな!」
「待て、俺は七瀬はるか派だ」
「え、新巻結美ショートにしてめちゃくちゃかわいいだろ」
「もちろん文句なしにかわいいけど、俺はロングを貫く七瀬はるか派だ」

 なんとも男子高校生らしい会話だ。ちょっと笑いつつ開いていたパチンと救急セットのふたを閉める。練習中に怪我をした部員がいたので消毒液を使ったらしい。まだまだあるから買い足す必要はなさそうだ。
 そう確認している背後で天童が近くにいる部員に手当たり次第「新巻結美と七瀬はるか、どっち派?」と楽しげに聞いている。今をときめく人気女優だ。どちらもきれいだから迷う人が多数。大体半々くらいに票が分かれつつ、天童が「賢二郎は〜?」とおよそ答えてくれなさそうな人にも聞き出した。

「まあ、七瀬はるかですね」
「お、賢二郎珍しく即答じゃん! 七瀬はるかかわいいよね〜」
「ロングヘアのほうが女性らしい感じがするんで」
「賢二郎前からロング派だもんね〜。太一は?」
「新巻結美ですね。ハジニゲの新巻結美です。誰がなんと言おうと新巻結美です」
「そいつ寮でそれしか観てないんで聞かないほうがいいですよ」

 けらけら笑いながら天童が牛島にまで聞き始めるものだから、部員一同は楽しげだ。和やかで何より。五色がとんでもなく照れながら小さな声で「新巻結美派です……」と答えると最高潮に盛り上がる。それをウンウン聞きつつ天童は「ちなみに俺は〜」と言いつつ、こちらを見た。

ちゃん派で〜す!」
「はいはい。ストレッチ終わったら片付けはじめてね」
「軽くない?」

 それに瀬見がけらけら笑って「え、どっち派?」と何気なく聞いてくる。迷う。新巻結美もかわいいし七瀬はるかもきれいだし。ちょっと悩んでから「七瀬はるかかな」と答える。ロングの髪が本当にきれいで、ちょっと前からシャンプーのCMに出てるんだよね。実はそれを使っている。たまにヘアアレンジも真似している。恥ずかしいから言わないけど。
 去年の夏頃から伸ばし始めた髪。今では結構伸びてロングヘアと言っていいほどになっている。小学生のときも中学生のときも、長くても髪は肩につくかどうかくらいまでしか伸ばしたことがない。いつもなら切りたいと言う長さなのに髪を切らないわたしを母親が少し不思議そうにしていたことを思い出した。

ちゃん、髪だいぶ伸びたよね〜!」
「長いと結べるし、楽だなって」
「理由に可愛げがないな……」
「瀬見うるさい」

 ストレッチを終えた牛島が立ち上がる。続けて立ち上がった大平が「ちなみに俺は新巻結美派だな」と笑う。え、意外。絶対七瀬はるか派だと思った。他の部員もそう思ったらしく「マジ?」と驚いていた。
 続々とストレッチを終えて体育館の片付けをはじめていく。もうドリンクを飲む人もいなさそうだったので、ウォータージャグをもう回収しても良さそうだ。二つあるウォータージャグのうち一つを持ち上げる。半分も残っていない。だいぶ軽くなっているそれを両手で持ち上げたまま歩いて行くと、後ろで「こっち持ちます」と声が聞こえた。

「五色、お前ボトルのかご持ってこい」
「あ、はい! 持ちます!」
「ごめんね。ありがとう」
「いえ!」

 白布と五色が後ろをついてきてくれる。もう一つのウォータージャグは白布が持ってくれたようだ。いつもこうしてウォータージャグを片付けに行くときは誰かが気付いて手伝ってくれる。頼りになる部員たちで助かります。内心そう思いつつ、「水道まで持ってくれたらあとは大丈夫だから」と言っておく。
 水道のところまで来ると、ボトルのふたを五色が取り始める。気が利く。ちょっとびっくりしながら「いいよ、体育館の片付けのほう手伝ってきて」と声をかける。けれども、白布も持っていたウォータージャグのふたを開けて中身を捨てるところまでやってくれている。優しい後輩で助かります。お礼を言って、有難く気遣いに甘えることにした。

「五色、この前の練習試合大活躍だったね」
「ありがとうございます! これからも活躍してみせます!」
「頼もしい選手がいてくれて助かるよ」
さん、あんまり調子に乗せないでください。すぐに先走るんで」
「ウッ」

 手厳しい。ちょっと笑ってしまったけれど、白布の良さなので「はい、白布さん」と茶化して返すだけにとどめておいた。五色はそんな様子にちょっと悔しそうだったけど、お調子者なところは自覚があるらしい。「結果で示してみせます」と絞り出したような声で呟いた。
 夏を待ちわびる風が吹く。あまりのくすぐったさに目を細めると、隣で白布が「梅雨明けましたね」と呟いた。まだ重たい感じはするけれど、どこか爽やかに吹く風。白布の前髪がゆるゆると風に揺れる。毛の一本一本がきらきらと光を反射するのが、素直にきれいだと思った。


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