夏がやってくると、余計に賢二郎とは顔を合わせなくなった。 学校が休みだというのもあるけれど、何よりも賢二郎は部活に夢中だった。 夢中、という言い方をすると賢二郎は怒るかもしれないけれど。 おばさんはそんな賢二郎をちょっと心配しているようだった。 なんでも受験勉強と部活、その両方に時間をすべてつぎ込んでいるらしい。 受験生としては立派なことだけど、とおばさんは言った上で「なんだか無理しすぎなんじゃないかってね」と苦笑いをこぼす。 元からあまり友達と遊び歩くようなやつではなかったけれど、おばさんとしてはもっと友達との時間も大事にしてほしいらしい。 あの冷酷男にそんなことできないよ、と内心思いつつも「だよね〜」と返しておいた。

ちゃんと過ごせる時間だって、もう残り少ないのにね」

 「なんだかおばさんの方が寂しくなっちゃうわ」と言うおばさんに、うまく返事が出来なかった。 おばさんと別れたあと、どうしようもなく胸の奥がきりきりと痛んだ。 そっか、もう残り少ないんだ。 夏が終わったらきっとあっという間に時間は通り過ぎていく。 そう、本当に、あっという間に。
 そんなことをぽつぽつ考えて歩いていると、ちょうど部活終わりの賢二郎が向こうから歩いてきた。 一瞬でむかっとした胸の奥をなだめつつ、絶対に声なんかかけてやるもんかと唇を噛む。 一歩、二歩、三歩、四歩、五歩。 どんどん賢二郎との距離が縮まっていくにつれ、むかむかする気持ちが別のものにすり替わる。 もしかしたら、賢二郎から声をかけてくれるかもしれない。 みんなの前ではああ言ったけど、本当はちょっと寂しいと思ってくれているかもしれない。 連絡するからな、と言ってくれるかもしれない。 かもしれない、が頭の中で浮かんでは山をつくる。 早くすれ違いたい。 きっと賢二郎は声をかけてくれる。 だって、ずっといっしょにいた、幼馴染だもん。
 そんな期待など夏の風が連れ去ったかのように、賢二郎の声は聞こえないまますれ違う。 一瞬でカッとなって勢いよく振り返って「ちょっと!」と結局私が声をかけてしまう。 さすがに賢二郎はそれに反応して、とてもゆっくりとした動きで私を振り返った。

「声くらいかけなさいよ!」
「……なんでだよ」
「な、なんで、って」
「用もないのになんで話しかけなきゃなんねえんだよ」

 むかつく、むかつく、むかつく! くそむかつく! 怒りに震えていると賢二郎は呆れたようにため息をついて「用がないならもう行くぞ」と言った。 はい、はいはい、もういいです。 賢二郎になんか一生用はないし、一生話しかけてなんかやるもんか! 吐き捨てるように「引っ越しても賢二郎にだけは連絡なんかしてやらないから!」と言い残して走った。 逃げるように走る私を、賢二郎はきっともう見ていないに違いない。 さっさと家に帰ってお風呂に入って夕飯食べて勉強して寝ろ!
 あそこまで心無いやつが幼馴染だなんて思わなかった。 おばさんはたまに「思春期だから」とフォローを入れるけど、そんなんじゃ治まらない。 あんなやつ、もう知らない! 好きになんかなってない。 あんなやつのこと、私、好きなんかじゃない!
 そう思えば思うほど、瞳の奥が熱くなるのはどうしてなんだろう。 私のことなのに。 自分のことなのに、私は何も分からないまま、ただただ涙が流れた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 走り去っていったの背中はなんだか縮こまっていて、見たこともないくらい頼りなかった。
 昔からお転婆だったは何かと俺を連れ回しては、馬鹿みたいに楽しそうに笑っていた。 俺がどんなに嫌そうにしていても、けらけらと本当に馬鹿みたいだった。 馬鹿みたいにけらけら笑ったり、意味分からんくらいぎゃーぎゃー泣いたり。 昔からうるさくて分かりやすくて、なんというか。 本当、馬鹿みたいなやつなのだ。
 が東京に引っ越すと聞いたときは、それなりに驚きはした。 両親から聞かされたときに思わず「え、なんで?」と返すと、「おじさんの仕事の都合だって」と母は残念そうに呟いた。 「ふーん」と興味なさげに返したけれど、内心は驚きが残ったまま。 からメールが来たのはそのあとだった。 クラスのやつみんなに送ってるんだろ、と思ったが文面がいつも俺とメールをするときのものだった。 俺だけに送っていることに、内心動揺した。 クラスのやつみんなに送っているついでなら返信しなくても他意はない。 けれど、俺だけに送っているとなると、返信しなかったらは怒るだろう。 返信しようにも未だに驚きと動揺があって、何と返せばいいか分からなかった。 のことだからなんと送っても不自然には思わないだろう。 そう思って「元気でな」とだけ送った。 けれど、からの返信はないまま、その日は眠ってしまった。
 どうやら怒らせたらしいということは分かった。 それは分かったけれど、どうしてそんなにもが怒っているのかがいまいち分からなかった。 は馬鹿のくせにたまにややこしく物事をひっかきまわす。 素直に言いたいことだけ言えばこっちだってこんな風にならなかったのに。
 そこまでに文句を言って、はっとしてしまった。 素直に言いたいことだけ言えば、とか、それ、俺もだろ。 勝手にはこう言ってくるだろう、とか、ならこう思っているだろう、とか。 そう考えて俺からは何も言わないままずっと過ごしてきた。 そんなのは俺が考えた推測でしかない。 言われなきゃ本当のことは分からない。 それはだって同じなのに。 本当のは今俺の目の前を走り去って行ったただ一人だというのに。 そんな簡単なことを忘れてしまうほど、俺との距離というのはいつの間にか離れていたらしい。
 「引っ越しても賢二郎にだけは連絡なんかしてやらないから」、が言い残していったそのセリフを頭の中で繰り返す。 昔から喧嘩をして「もう賢二郎のことなんか誘わない!」だの「もう賢二郎とは遊ばない!」だのとはよく言われている。 慣れている部類のセリフだ。 結局はが「なんで誘ってこないの!」「なんで遊んでくれないの!」としびれを切らせて俺を迎えに来ていたっけ。 今回もどうせ、そのパターンだろ。 と、いうのは、俺の推測に過ぎないわけで。

「……なんだよ」

 ぽつりとこぼれ出た声など、には届くわけもなかった。


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