賢二郎のお兄さんはにこにこと笑って「え、ちゃん賢二郎でいいの? すぐキレるし怖いよ?」と、友達と行ったらしい旅行のお土産を机に出しながら言った。この状況で普通にできる辺りがすごい。昔からちょっと変わった人だと思っていたけど、その辺りは変わっていないみたいだ。わたしの隣に座っている賢二郎のドス黒いオーラにも一切怖気付かない。兄弟だしもう慣れているのかな。
 おばちゃんとおじさん、弟くん二人の旅行にお兄さんもついていったものだと賢二郎は思っていたらしい。ドスの効いた低い声で「なんで旅行行ってねえんだよ」とお兄さんに言うと、お兄さんも賢二郎と同じく「誘われなかった」と悲しそうに言った。アルバイトや大学の友達との予定があるだろうと思われたらしい。「誘われたら行ったのに」とおばちゃんとのトーク画面を見せながら言っていた。
 いくつか賢二郎とのことを聞かれた。いつから付き合っているのか、どっちから告白したのか、おばちゃんたちは知っているのか。賢二郎は一切答えるつもりがなさそうだったので、わたしが答えておく。お兄さんはしみじみと「そうか、賢二郎に彼女かあ……」と賢二郎を見て微笑む。余計にドス黒いオーラが賢二郎から出てきたのでわたしが困ってしまった。

「とりあえず母さんたちには俺も黙っとく。言うとき来たら教えて。俺も立ち会いたい」
「二度とうちの敷居を跨ぐなクソ兄貴」
「いや俺も白布家の一員なんだけど……」
「あの、すみませんでした。気まずい気持ちにさせちゃって」
「良い子……賢二郎にはもったいない……」
「うるせえ黙って出て行け二度と来んな」

 賢二郎が立ち上がるとお兄さんの首根っこを掴んでずるずる引きずる。どうやら運動部に入っている賢二郎のほうが力は強いらしい。背はお兄さんのほうが高いけど。「怒るなって、ごめんってば、でも賢二郎も次からは鍵かけろよ」と笑ったまま言うお兄さんをぽいっと廊下に放り投げた。「じゃあな」と賢二郎が吐き捨てるように言うと、お兄さんが「待って! 最後に一つだけ!」とドアノブを掴んだ。

「できちゃった系はフォローが難しいから避妊だけはしっかりな。お兄ちゃんと約束してくれ」
「二度と顔見せんな。今度会ったらマジで殴るから覚えてろよ」

 バンッとお兄さんの手を振り払って賢二郎がドアを閉めた。ガチャッと鍵をかけたあとにドアの向こうでお兄さんが「ちゃんまたね~!」と元気に言って階段を下りていく音が聞こえる。男兄弟の言い合いって言葉が結構強いから見ていてハラハラしてしまう。今のは賢二郎が一方的にお兄さんに言い放っていただけだけど。
 お兄さんの足音が聞こえなくなったところで、賢二郎がドアの前にしゃがんだ。とんでもなく長いため息をついたあと、小さな声で「ごめん」と言った。お兄さんが帰ってくる可能性を見落としたことか、鍵をかけ忘れたことか。どっちだろう。どっちもかな。とりあえず起こってしまった事は仕方がない。「いいよ」と笑って返しておいた。賢二郎は恨めしそうにドアを睨み付けてまたため息をつく。
 よろよろと立ち上がって賢二郎がわたしの隣に座った。家族にそういうところを見られるというのは相当なダメージらしい。まあ、わたしも想像しただけで顔が青くなるけど。賢二郎はベッドにもたれかかりながらまたため息をついて「死にたい」と呟いた。珍しい、あの白布賢二郎が弱音を吐いた! そう物珍しく見てしまうと「なんだよ」と恥ずかしそうにそっぽを向かれてしまった。

「…………次」
「うん?」
「事前に言う」
「……あ、はい」

 照れつつ答えると賢二郎が吹き出した。「なんだよその返事」とくつくつ笑うので、ちょっとムカついて肩を叩いてやる。「痛くねーよ」と余計に笑うものだから力一杯叩いてやった。叩いたあとに、あ、チームの正セッターになんてことを、とちょっと後悔する。ごめんね、という意味を込めて叩いた箇所をさすっておくと余計に笑われた。「それくらいで痛めるかよ」と笑いながら賢二郎の肩をさすっていたわたしの手を掴む。そっぽを向いたままわたしの手をにぎにぎと触って、しばらく笑っていた。





▽ ▲ ▽ ▲ ▽






「あかりちゃん、その髪型かわいいね」
「あ、これ結構簡単ですよ! さんくらいの長さでもできるし、今からおそろいにしましょうよ!」

 体育館に行く前、あかりちゃんがふわっとした編み込みみたいな一つ結びをしていて、思わず言ってしまった。でもわたし不器用だし、似合わないし。そう遠慮したらあかりちゃんは「わたしがやりますし似合います!」と力説してきた。ジャージに着替えてからあかりちゃんがわたしの髪を触って、楽しそうに髪を結んでくれる。ハーフアップにする量くらいの髪だけを三つ編みにして、他の髪の毛と合わせて一つに結んだら三つ編みをわざと崩して動きを出すだけ。そう説明してくれながらあっという間にあかりちゃんと同じ髪型が出来上がった。かわいい。いや、もちろんわたしじゃなくて髪型が。「ありがとう」とスマホで撮ってもらった髪の毛を見ながら言ったら、あかりちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。かわいい。ほっこりする。
 二人で体育館に向かって歩いて行きながら、今日の練習メニューの確認をする。あかりちゃんが「わたし外の仕事がいいです」と言ったからどうしようかと悩んでしまう。右手首を捻挫してからあかりちゃんが力仕事はほとんどやってくれているけど、もうそろそろ大丈夫そうなんだけど。そう、思った、けど。小っ恥ずかしい白布の言葉を思い出して、「分かった」と言ってしまった。他の人は絶対あかりちゃんのほうがいいだろうけど、今日はちょっと、あかりちゃんに甘えさせてもらおう。今日だけ。今日だけだから。そう自分に言い聞かせた。
 体育館に入ると選手一同はストレッチをしているところだった。挨拶をしつつ諸々の準備を始めておく。わたしが道具箱の中身を確認しようと選手たちに背中を向けた瞬間「お、髪の毛お揃い?」と瀬見さんの声がした。ちょっと恥ずかしくなりつつ「あかりちゃんがやってくれました」と言ったら山形さんが「かわいいじゃん」と言ってくれる。照れる。三年生の先輩って大体みんなこういう感じだから未だに慣れない。茶化してくる二年生のほうが扱いは簡単だ。
 ふと、手首のストレッチをしている白布と目が合った。じいっとこっちを見ているので首を傾げてしまう。何? そう目で訴えてみるけど、まあ伝わらない。白布はじいっとこっちを見ているだけで特にそれ以外のリアクションは見せてくれなかった。
 ジャグタンクの準備に向かったらしいあかりちゃんの背中が見えた。先越されちゃったな。今日は外の仕事をほとんどやるつもりなのだろう。やる気に満ち溢れた背中を見ると止めることができなくなってしまう。大人しくビブスを用意しに倉庫へ向かい、ついでに得点板も出しておく。ストレッチが終わった一年生数人が近寄ってきて「持ちます」と言ってくれたので有難くお願いした。
 試合形式練習でそれぞれの弱点を理解する、というところから練習スタートというイレギュラーなメニュー。ビデオカメラでの撮影とスコアもつけるように言われているので準備を進める。そんなわたしの背後から「へーどうなってんのこれ」とのんきな声が聞こえた。

「女子って器用だよな。どうなってんの?」
「川西も器用なほうじゃん、女の子だったらこういうの得意だったと思うよ」
「マジで? 川子絶対かわいいじゃん」

 川子って。ちょっと笑ってしまうと「花城さんにやってもらったの?」とまじまじと髪の毛を観察される。その通り。わたしは不器用だから自分ではできません。そう答えたら「へー。もったいない」と言われた。お、やるか? わたしにはもったいないくらいかわいい髪型ってことか? そう臨戦態勢を取ったら川西は「違う、誤解です、違います」と首をぶんぶん横に振った。

こういうの似合うからもっとやればいいのにって意味」
「それはどうも」
「あ、照れた」
「照れてない」
「どうも、って言うときは照れてるときだろ。白布と一緒だしすぐ分かる」

 それ、前にも言われたなあ。本当に照れつつ「そんなことはありません」と返しておいた。「めちゃくちゃ照れてんじゃん」とからかわれたのでゆるく腹を叩いておいた。
 川西はお腹を少しさすりながらじっとわたしを見る。何、その視線は。そう聞いてみると「ずっと聞きたかったんだけど」とこそこそ耳元で話される。

「ちょっと、川子と女子トークしてほしいんだけど」
「え、まさか川西、あかりちゃんのこと……?!」
「違うから。そうじゃなくて、ずっと気になってたのが確信に変わりつつあるんだけど」
「なんですか川子ちゃん」
「……と白布って、え、付き合ってる?」

 ボールペンが転がり落ちた。思わず固まってしまうと「図星なやつだ」と川西はおかしそうに笑った。え、なんで、どこで? これまで一度も気付かれたことなかったのに。めちゃくちゃ小声で「なんで? どこで?」と思わず聞いてしまう。もう認めたのと同義だけど致し方ない。

「いや、もしかしたらそうかな、くらいには思ってたけど」
「うん」
「さっき白布にの髪型がいつもと違うなって言ったら」
「うん」
「……俺が照れてきた。やっぱキャンセルで」
「そこでキャンセルするの?!」

 謎に照れられてもわたしが困る! 気になるじゃんか! そう川西の胸倉を掴んでぶんぶん揺さぶってしまう。川西は「ごめん、酔う、マジで酔う」とすぐに降参した。気を取り直してこそこそと二人で顔を寄せて小声で話を続ける。

「…………いつもより」
「うん」
「いつもよりかわいいって、白布くんが言ってたわよ。ちゃん」
「……川子ちゃん」
「はい」
「キャンセルしといてほしかった……どんな顔して部活参加してればいい……?」
「言えって言ったのちゃんじゃな~い。あたしのせいじゃないわ~キャピ」

 キャピって。川子ギャルなの? 川子の謎は深まりつつも、恨めしく白布を睨んでしまう。なんなの、なんとなくお互い隠す感じだったのに、急になんでそんなこと、川西に言っちゃうの。ため息をついたら川西が「ラブラブね~」とまだ川子の口調のまま言った。
 急に川西が黙ったから手で少し顔を隠しながら「何?」と顔を見上げる。川西はじいっとわたしを見ると「え~」と、なぜだか照れくさそうに笑った。

「恋する女の子はかわいいなあと思って?」
「……ムカつくんだけど」
「いや、本当本当。俺も彼女ほしいわ」

 けらけら笑って川西がわたしの肩に肘を置いた。やめろ。そう笑いながらいつもみたいに川西を避けようとするけど、いつもみたいに逃げられない。川西って意外と子どもっぽいところあるんだよね。嫌じゃないし面白いから良いけど。二人でそんなふうに遊んでいると「おい」と背後から低い声が聞こえた。その一瞬で川西がわたしの肩から肘を下ろすと「何もしていません」とロボットみたいに言った。

「川子、ちゃんと女子トークしてただけなのに~」
「あ?」
「嘘嘘、冗談です。ごめんなさい」
「白布にそのノリは無茶だよ」
「白子やってくれるかと思ったのに」
「誰が白子だ」

 小さな舌打ちをしつつ、白布がぐいっと川西とわたしの間に入り込んでくる。わざわざ真ん中に入らなくてもいいんじゃないの。そう不思議に思っていると「近い。離れろ」と当たり前のように言った。それに思わず「あ、はい」と言うと白布の隣で川西は若干目を泳がせて「え~めっちゃ怖いんだけど……」とおかしそうに笑う。何なの、急に。もう川西には隠さなくていいかって急に思ったのだろうか。なんで? 白布の言動が急におかしくなったことに戸惑ってしまう。そんなわたしをじろりと横目で見て、白布が口を開いた。


「…………え、な、なに……?」
「なんだよその反応」
「本当に何? なんなの? どうしたの?」

 そそくさと白布の隣から川西の隣に移動する。「は? ふざけんなよ」と睨み付けながら追いかけてくる。いやいや、いやいや。無理だから本当に。急にそんなふうにされたら照れるし普通に無理。だって、わたしも白布も忘れがちなんだけど、告白した側なの、わたしだからね。好きだから告白したんだし当たり前なんだけど、白布のこと、好きなんですよ、わたし。
 またわたしと川西の間に割り込んできた白布を避けて川西の隣へ移動。また割り込まれてはまた移動して。それをずっと繰り返していると、巻き込まれている川西が「あー今めちゃくちゃ動画撮りたいんですけどー」と虚無の顔で言った。
 何でもいいから距離を取りたい。白布に割り込まれないようにするにはどうしようか、と考える。ぐるぐる川西の周りを回り続けながらいいことを思いついた。川西の背中にガシッとしがみついた。「ひえ」と川西の小さな悲鳴と「はあ?!」という素っ頓狂な白布の声が聞こえたけど、とりあえず無視しておく。今は本当に無理。余裕がないです。

「おい、ふざけんな」
「とりあえずあっち行って、クールダウンさせて」
「離れろ太一」
「オレ、ナニモシテマセン」

 なかなか諦めない。もう、本当に何。どうしたいのわたしのことを。半泣きになりつつ川西を盾にしておく。あとで謝れば良いでしょ。そう勝手に自己完結させながら。白布はそこまでしつこい性格じゃないしそのうち諦めるはずだ。そんなふうに予想していると、川西の腰辺りのジャージを掴んでいる両手首をガシッと掴まれた。

「あの、俺関係なくない? 川子すごく可哀想な光景なんだけどこれ」
「川子上下に分離しろ」
「川子死んじゃうじゃん……」

 わたしの手を川西から引き剥がそうとする白布と、川西から離れまいとするわたし。それに巻き込まれる川西。そんな光景が物珍しいのか「え、なにしてんの?」と天童さんの声が近付いてきた。「喧嘩か?」と山形さんの声まで近付いてくるから、本当、さっさと手を離せ、諦めろ。そう余計に川西のジャージをぎゅっと掴んだ。
 さすがに先輩たちが近寄ってくると諦めるしかなくなったらしい。とんでもない音量の舌打ちをこぼしながら手を離した。ほっとしていると「お前、覚えてろよ」と完全にイラついている声が聞こえた。

「わたし、死ぬかもしれない……」
「まず俺が今日の夜寮で死ぬかもしれない……」
「なんだ、ただのじゃれ合いじゃ~ん」

 けらけら笑う天童さんと山形さんに「違うんですよお」と半泣きで言ってみるけど、原因を説明するのが恥ずかしかったからそれ以上は話題を広げないようにした。ぱっと川西から離れると、あかりちゃんがちょうど体育館に帰ってきた。逃げるようにあかりちゃんの元へダッシュして行く。
 本当、意味分かんない! なんなの! 今までどっちかというと白布主導で、隠すというか、わざと知らん顔してたくせに! 自分勝手すぎるよ!
 あかりちゃんが笑顔を向けて「準備終わりました!」と教えてくれた。かわいい。いつも通りほっこりしながら、ジャクタンクがまだ外に一個置いてあるみたいだったから「わたし持ってくるよ」と言う。あかりちゃんは「え、でも」となぜか困惑したように言葉をもらしたけど、遠慮されているのだと思って「いいのいいの」と笑って返す。体育館の入り口の近くに置いてあるそれを両手で持ち上げようとした瞬間に「右手捻挫!」ととんでもなく大きな声が体育館に響いた。びっくりして思わず視線を向ける。川西の隣にいる白布がこっちを睨んでいて、さっきの声が白布だったとようやく気付いた。あ、ああ、そういえばそうだった。コーチにも重たいものはできるだけ持たないように、と言われてはいる。でも、もうほとんど治ってるようなものなんだけど。
 そう思っているとダッシュしてきた一年生が「持ちます」と言ってジャグタンクを持って行ってしまう。なんか、すごく、甘やかされている。いいのかなあ。そう気恥ずかしくなった。


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