外にある運動部共同の倉庫。その中にあかりちゃんと二人で入って、どこに何があるとかどれをよく使うとか、そういうことを教えていた。部員たちは外周に行っているのだけど、監督に別メニューを渡されている一年生の五色やその他数人が体育館に残っている。わたしたちはコーチに声をかけてから体育館を出てきている。
 あかりちゃんは熱心に倉庫を見渡して「あ、これ前に練習で使っていましたよね」と言った。よく覚えてる。関心を持って選手の練習を見ているのがよく分かる発言だった。それに嬉しくなりつつ使い方まで教えていると、足がこつん、と何かに当たる。壁に立てかけてある長いポールだ。同じものが何本か立てかけられている。陸上部かどこかが使うのだろうか。倒してしまうと危ないので足がぶつかったものをゆっくり元の位置に戻しておいた。
 今度は棚に置いてあるもの。バレー部は使わないゼッケンとかバトンとか、そういうものばかりだから教えるところが少ない。これくらいで倉庫の説明はいいかな。そう思っているとあかりちゃんが「これはなんですか?」とわたしの後ろを通って何かを指差す。
 そのとき、さっきわたしが足をぶつけたポールにあかりちゃんの手が当たった。あ、まずい。ポールの両端には高い棚があるから、ポールが横倒しになりきれずにあかりちゃんのほうに倒れてしまう。嫌な音を立てて壁を滑ったポール数本。わたしが思った通り棚にぶつかって、あかりちゃんめがけて倒れてきた。咄嗟にあかりちゃんをどんっと押してしまう。華奢で小さなあかりちゃんはわたしに押された勢いで数歩ずれてから、バランスを崩してその場に転んでしまった。うわ、ごめん、あかりちゃん、転んじゃった。そう申し訳なく思っているとゴツンッと体の至る所に衝撃が走った。

「痛……あっ、あかりちゃんごめんね?! 大丈夫?!」
「あ、は、はい、わたしは何も! わたしよりさんが、」
「わたしはいいの! 体は丈夫だし! それより足、捻ったでしょ?!」

 まずい、一年生マネージャーに怪我させちゃった。そう慌てて体の上に乗っかっているポールを右手で床に落とす。ずき、と右手首がちょっと痛んだけど、今はそれよりあかりちゃんの足の心配だ。ポールの下から抜け出してあかりちゃんに駆け寄る。立ち上がろうとしたあかりちゃんが顔を歪めたのが分かって、余計に焦った。絶対捻ってる。わたしが押したせいだ。何よりまず保健室に、と大急ぎでポールを元に戻してから「おぶるよ!」とあかりちゃんに声をかける。あかりちゃんは「え、大丈夫です、あの、それより」と顔色が悪くなっている。まさか頭打った?! わたしがそう聞くとあかりちゃんは「あ、そうじゃなくて、すみません」と口を噤んだ。相当痛いんだ。急いで保健室に連れて行かなくちゃ。
 どうにかわたしの背中に乗ってくれたあかりちゃんをおんぶしたまま駆け足。どうしよう、足を捻っているなら帰り道だって大変だし、明日からの登下校も、部活も。わたしが焦って押してしまったばかりに。保健室に走りながらあかりちゃんに何度も謝る。病院に行くくらいひどかったらどうしよう。悪い想像ばかり膨らませながら、どうにか保健室に辿りついた。
 保健室の先生にあかりちゃんを任せて、先に体育館に戻ろうとする。それをあかりちゃんが「あの、さんも」と引き止めてきたけど、わたしは本当にへっちゃらだ。昔から体は丈夫なんだよ。そう笑って保健室から出た。コーチに報告しなくちゃ。そう気持ちが焦っていた。廊下は走ると先生に怒られるので早歩き。外に出てからはダッシュ。今の時間だと外周に行っていた選手たちも帰ってきている頃合いだ。タオルもボトルも準備はしてあるけど体育館の入り口に置きっぱなしだ。たぶん一年生たちがやってくれているだろうけど申し訳ないな。そうため息がこぼれ、そうになったけど息が上がりすぎてため息をこぼす余裕がない。あかりちゃん、めちゃくちゃ軽かったけどさすがに人をおぶって走ったからすでに体力がもう尽きかけている。筋トレしようかな。
 情けなく思っていると、体育館の入り口が見えてきた。すぐ近くにいた五色がわたしに気付いて「あ、さん戻ってきました!」と体育館の中に声をかけた。たぶんコーチが心配してくれていたのだろう。申し訳ない。体育館の入り口に近寄って来たコーチが「どうした? あれ、花城は?」と聞いてくる。そのこと、そのことを伝えるためにダッシュしてます。コーチの前で足を止めてぜえぜえ言ってしまう。体育館の中では外周を終えて束の間のクールダウン中の部員たちが不思議そうにこちらを見ていた。

「あのっ、あか、あかりちゃん」
「ど、どうした、そんな慌てて……花城がなんだ?」
「倉庫で、ポール、倒れてきて、それで」
「え、ちょっと待て、大丈夫か?!」

 突然コーチがわたしの顔を覗き込んで青い顔をした。え、何。ちょっと困惑してから、違和感を覚えた。ん、この感覚、もしかして。恐る恐る右手の甲を鼻の下に押し当てる。べちゃ、と嫌な感覚があって、ようやく鉄の臭いを感じた。うわ、結構大量。ぼけっと手についた血を見ているとコーチが五色に「タオル!」と言った。すでにステージ近くに置いてあるタオルのかごに五色が走って行くと、コーチが「どうした? どこかにぶつけたのか?」とポケットからティッシュを出しながら言う。それを受け取って手を拭かせてもらいつつ、ようやく先ほどのあった出来事を話せた。
 ダッシュで戻ってきた五色からタオルを受け取る。白いタオルに血をつけるのか、とちょっと躊躇っていると「いいから使いなさい」とタオルを取り上げたコーチが顔面にタオルを押し当ててきた。はい。すみません。そう言いつつ、あかりちゃんを保健室に連れて行ってからここに来たことを説明する。コーチは監督に声をかけると、「、鼻血止まるまで動くなよ」と言い残して保健室に走って行った。
 大人の言うことは大抵正しい。しかも相手はコーチだ。背くわけにはいかず、タオルで鼻を押さえたまま体育館に入る。「大丈夫ですか?」と心から心配そうな声で言ってくれる五色に笑って「大丈夫大丈夫、ごめんね」と言いつつゆっくり歩く。
 体育館の奥のほうにいる白布、と一瞬目が合った。今日の夜は事情をめちゃくちゃ聞かれるやつだな。そう思いつつ隅っこにいようとしたのだけど、珍しく監督に呼ばれた。部員がみんないるところだから行きたくないんだけどなあ。鼻血出てるとか情けないし。苦笑いをしつつも監督に背くわけに行かない。返事をしてから走ろうとしたら「走るな!」と怒られた。ごもっとも。今のはわたしが悪かったけど、つい条件反射で。「すみません!」と返事をしても「大声を出すな!」と怒られた。監督なりの心配だと分かるからちょっと嬉しかった。
 監督の近くまで来ると、「座れ」と監督の隣に置かれている椅子を叩かれる。気を遣われている。申し訳ない。おずおずと腰を下ろすと何があったのかを詳しく聞かれたあと、「吐き気は」「首や手足に痺れは」「他に痛いところは」と続々と質問される。今のところ、まあ体のあちこちがいたいけど、ポールが当たったときの痛みが続いているだけだろう。そう思って「特には」と答えた。すると、監督はカッと目を見開いてわたしの右手をぎゅっと掴んだ。その瞬間思わず「イッタ!!」と大きな声が出てしまうと、「他に痛いところは!」とめちゃくちゃ怖い顔で再度聞かれる。バレていた。そう恥ずかしくなりつつ「右手と背中が痛いです……」と俯きながら答えた。
 川西が救急箱を持ってきてくれたので、申し訳なく思いつつ湿布を取り出す。選手が使うものなんだけどな。なんでマネージャーのわたしが使ってるんだか。そう思っていると「いや、湿布よりテーピングのが大事じゃない?」と言ってテーピングをわたしに差し出した。そういえば冷やしてから固定したほうがいいとかなんとか。とりあえずすぐに冷やせるものがなかったので、テーピングを優先したほうが良さそうだ。とはいえ、テーピングなんて巻いたことないし。そう思っていると川西が「白布~」と手招きした。呼ばれた白布が川西からテーピングを奪い取ると「できねえのかよ」とわたしになのか川西になのか分からない目線で言った。
 いつも指にテーピングを巻いているとはいえ、手首のテーピングの巻き方までちゃんと知っているらしい。白布がするするとテーピングを巻いていく。川西もそれを見ながら感心しているのかよく分かる。ちらりと横目で見ている監督もだ。意外と器用なんだよなあ。そう思っていると「他、どこ打ったんだよ」と聞かれた。ポールを背中で思い切り受けたから背中、あと首の近くにも当たった気がする。そう思い出しながら答えたのに、白布は無言だった。怒っている。よく分かる静寂だった。
 ふとタオルを顔から離してみる。あ、鼻血止まった。ちょっとほっとした。このまま止まらなかったら病院に連れて行かれるところだったし。わたしの様子を見ていたらしい監督が「止まったか」と聞いてきたので「止まりました。すみません」と照れつつ謝る。監督は「今日は見学しておきなさい」と言って、立ち上がる。どこかへ歩いて行くのをぼけっと見ていると、川西が「花城さん大丈夫?」と苦笑いをこぼした。

「足捻ったみたいで。わたしが押しちゃったから」
「押しちゃった、っていうと?」
「あかりちゃんにポールが倒れてきたからさ、ぞっとして。思わずどんってやっちゃったの」
「え、それでが下敷き?」
「いや、わたしは頑丈だからいいんだけど、あかりちゃんが心配で、」

 バンッ、ととんでもなく激しく突き刺さるような音がした。びっくりして思わず言葉を飲み込んでしまうほどだった。音がしたほうに目を向けると、救急箱のふたを閉めたらしい白布がいた。ものすごく、乱暴に、閉めたね。ギギギ、とゆっくり川西に顔を向けると、同じように川西もギギギ、とゆっくりわたしを見た。目で「ヤバいやつ?」と聞かれた気がしたので小さく頷いておく。これは、ここ最近で一番ヤバいやつだ。怪我したから怒ってるのかな。でもわたし、無敵じゃないから。怪我くらい普通にするよ。そう内心言い訳をしつつ「テーピング、ありがとう」と白布に声をかける。ぬらりと鋭い眼光を向けてきた。目は口ほどにものを言う。まさに白布の目ってそういうものだと思う。流れ弾に当たった川西もビクッと肩を震わせるくらいのド迫力。B級ホラー映画なんて目じゃないほどの恐ろしいものだった。





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お前馬鹿なの?

 いつもの時間に賢二郎から届いたトーク。思った通り。文面だけでブチギレているのがよく分かる。小さくため息をこぼしてから、スマホを手に取った。
 あのあと、あかりちゃんはコーチの車で家に帰ったそうだ。幸いにも捻挫ではなくて足首を棚にぶつけただけだったらしいけど、大事を取って明日は部活を休むそうだ。申し訳ない。コーチがご家族に謝罪したら笑って「元気な子なんで大丈夫ですよ」と言ってくれたそうだ。わたしも一緒に謝りたかったな。連絡先は交換している。あかりちゃんには「ごめんね、ゆっくり休んでね」と送っておいた。あかりちゃんからは「わたしこそすみませんでした。明日宜しくお願いします」と汗マーク付きで返ってきて、ほっとした。辞めたいとか言われたらどうしよう、と思っていたから。
 さっきお風呂に入ったのだけど、背中に痣ができていた。右手首も少しだけ腫れてきていたから、たぶんわたしのほうが捻挫しているらしい。でも明日、あかりちゃんいないし、わたしまでいないと一年生の負担が増えてしまう。やれることだけやるようにすればいいだろう。
 それにしても賢二郎、めちゃくちゃ怖かったしあまり刺激したくないんだけど、なんて返すのが正解なのだろう。ちょっと考えてみたけどいい答えが出てこない。変に取り繕うよりはストレートに言ったほうが失敗しなさそうだ。仕方なく「何に怒ってるの?」と返した。これが一番刺激しない素直な気持ちだろう。もうそう信じるしかない。祈りながらスマホを握りしめていると数秒後に通知。もう一度神様に祈りながらそうっとスマホを見ると、「全部だ馬鹿」と来ていた。分からない。全部ってどの時点からの全部ですか!
 そりゃあ、わたしだって反省している。あのとき、あかりちゃんを力任せに押すんじゃなくて素早く引っ張ればよかったな、とか。おぶって走るより誰かを呼びに行けばよかったな、とか。でも全部を完璧にできるわけがない。あのときのわたしの判断能力と精神状態からすればあれが最善だったと言い聞かせるしかできないのだ。状況の説明とわたしの心境。それをできるだけ簡潔にまとめて賢二郎に送ってみる。これで分かってよ、わたしの今の状態。罪悪感で死にそうなんだから。机に顔を伏せて深くため息をついてしまう。だめだなあ、わたし。へこむ。そんなときにまた通知が来た。

だから、お前馬鹿なの?

 再放送だ。思わず苦笑い。だから分かってるってば。もう馬鹿でいいよ。そう情けなく思いつつ「馬鹿ですよ、ごめんね」と返しておく。何のためにわたしの体はでかいんだ。こういうとき役に立てば多少はコンプレックスでもなくなるのに。

分かってないくせに謝んな

 そのあとすぐに「おやすみ」と会話を打ち切られた。え~、分かってない、とは? 最近の賢二郎がよく分からない。もうかなりの付き合いで扱い方は熟知していたつもりなのに。なんだか情けないばかりの毎日だなあ。ため息を吐きながら「おやすみ」と返信しておいた。


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