「最近体育館いないじゃん。なんで?」

 練習中、サーブ練習を終えて一足早く休憩に入っていた瀬見さんに声をかけられた。手を止めてきょとんとしてしまう。そんなわたしを見た瀨見さんもきょとんとして、なぜだかにこっと笑った。たぶんなんでわたしがそんな顔をしたのか分からなかったから誤魔化したのだろう。瀬見さんって実は面白い人なんだよね。そう笑ってしまった。
 最近体育館にいない。その理由は中の仕事をあかりちゃんに任せているからだ。中の仕事に早く慣れてほしいこと、部員たちと打ち解けられる機会を増やしたいこと、あとなんといっても部員の士気のため。以上が理由だ。それを瀬見さんに説明すると「あー」と返事があった。どうやら合点がいったらしい。

「でも士気が上がるっていうのはどういう意味?」
「かわいい子に声かけられたらテンション上がるじゃないですか。男の人って大体」
「そういうことな。でもならでもいいじゃん」
「いやいや。え、なんですか、瀬見さんお金ほしいんですか?」
「なんでだよ」

 瀬見さんがボトルを床に置きつつ汗をシャツの袖で拭う。汗がついた瀬見さんの髪。きらりと光った汗は他の人と同じもののはずだ。成分とか液体としては。けれど、瀬見さんの汗というだけで爽やかに光るのだから不思議なものだ。そんなことをこっそり思っていると、瀬見さんがこちらを見た。それから「だって俺ら三年からしたらかわいい後輩だって」と爽やかな笑みを向けられた。イケメン。眩しいです。内心そう呟いてから「それはどうもです」と返しておいた。いや、そういう意味のかわいい、じゃないんですけどね。瀬見さんってやっぱりどこかズレている。そこが面白いのだけど。
 そんな瀬見さんの背後にヌッと顔が出てきた。天童さんだ。「そーそーかわいい後輩だよ~ん」とにっこり笑ってくれた。わたしの後ろにしゃがんだ大平さんも笑って「かわいい後輩だな」なんて言うものだから照れてしまう。そういう意味では、ないのですが! そう顔を背けたら「ほらかわいい~」と天童さんにからかわれてしまった。

、あまり気にするなよ」

 大平さんが急にそう言った。意味がよく分からなくてはてなを飛ばしつつ「はい」と思わず返してしまう。大平さんにはそんなことお見通しらしく「意味分かってないだろ」と言い当てられた。先輩方にはいつも敵わない。大抵わたしの嘘を見抜くのは先輩方、あとは白布くらいだ。誤魔化したり逃げたりできないから割と困る。

「二年のやつら、照れて意地悪言ってるだけだと思うぞ」
「……あー! そういうことですか! 全く気にしていないので大丈夫ですよ」

 ようやく発言の意図が分かって笑ってしまった。かわいくないとか男みたいとか、昔からだから今更気にしない。ここ最近気にならなくなった自分の身長も、あかりちゃんと並ぶとかなり目立ってしまうからまたからかわれる種になっているけど。気にしない、と決めてしまえば割と気にならないものだ。ネタとして捉えるようにしている。
 先輩たちは優しいからなんとなく気にしてくれていたらしい。別に一緒になって茶化してくれてもいいのに。そう思ったけれど口にはしなかった。単純に、気遣ってもらえて嬉しかったからだ。多少の乙女心はある。恥ずかしいから言わないけれど。
 少し離れたところで一年生と数人の二年生が固まって休憩を取っている。その輪の中にいるあかりちゃんは、楽しそうに笑っていた。あかりちゃんが笑っていると安心する。マネージャーといっても練習がきつい分マネージャーだってそれなりに頑張らなきゃいけない。入ってみたら思っていた以上にしんどかった、と辞めてしまうかもしれない。雰囲気と練習の流れに慣れてもらうまでは負担がかからないように頑張らなくちゃ。もしあかりちゃんが辞めるなんて言い出したらデレデレの二年どもに何言われるか分かんないし。そう苦笑いをこぼした。もちろんわたしも寂しいんだけど。

「士気が上がるなら何だって良いですよ。何言われてもどんな役回りになっても」
「……ちゃんってかっこいいね?」
「あはは。どうも」

 照れながら天童さんにそう返すと、いつの間にか瀬見さんの隣にいた牛島さんがじっとわたしを見ていた。なんだろう。牛島さん、業務連絡以外でほとんど話さないからまだ緊張しちゃうんだよね。そう思いながら「なんですか?」と素直に声をかけてみた。牛島さんは「ああ、いや」といつも通りの無表情のまま言う。

と白布は似ているな、と思って」
「え、白布ですか?」
「あー、たぶん俺一緒のこと思ったわ。〝どうも〟だろ?」
「ああ」
「何がですか? どういう意味ですか?」
「白布も照れながらお礼言うときは〝ありがとうございます〟じゃなくて〝どうも〟って言うんだよ」

 幼馴染って似るもんなのな、と瀬見さんが笑った。それに大平さんも「確かにそうかもしれないな」と記憶を辿るような素振りを見せながら呟く。天童さんもけらけら笑って「確かに! 本当だ!」と言うものだから、ちょっとびっくりした。全然気が付かなかった。でも、言われてみれば白布が「どうも」と言っているのはよく聞く。クラスメイトとか部活の先輩とか。覚えているものはその通り、照れているときだけだった。知らない間に移ってしまったらしい。普通に恥ずかしくなってしまった。今度から気を付けよう。

「というか若利が気付いたのがびっくりだわ。よく分かったな?」
「……なんとなく記憶に残っていた」

 小さく笑った。それに天童さんが「若利くんが笑った!」と顔を覗き込む。牛島さんは不思議そうに「笑うことくらいある」と返す。それを聞いていた三年生たちが「そりゃそうだよな、笑うことくらいあるよな」とおかしそうに言った。





▽ ▲ ▽ ▲ ▽






牛島さんになんで笑われてたんだよ

 予想通り。白布からいつもと同じくらいに送られてきたトーク。絶対聞いてくると思っていたから予想が当たってちょっと嬉しい。一人でにやけながら参考書を閉じて文章を打ち込む。白布とわたしのお礼の言い方が似ていると言われた、と説明すると、白布からははてなをたくさん飛ばしたキャラクターのスタンプが送られてきた。面白い。今日は機嫌が良さそうだ。そう文章で感じていると、白布が「どういうところが?」と追加でトークを送ってくる。瀬見さんに言われたままを打ち込んで送ると、ものの数秒で「真似すんな」と返ってきた。そんな無茶な。
 いくつかトークを続けて、数分白布からの返信が途絶える。寝落ちしたのか川西が戻ってきたのか。前に一度わたしとやりとりをしているところを覗き込まれそうになって以来、川西の前ではスマホをあまりいじらないようにしているらしい。正直、そんなに必死に隠さなくても、とちょっと拗ねている。まあ、わたしがあかりちゃんみたいにかわいい子だったら、自慢するように見せたのかもしれないけど。……自分で思っておいて、ちょっと、勝手に傷付いた。わたしって本当馬鹿だな。そう反省した。
 大人しく参考書を解き進めていると、スマホが鳴った。トークの通知じゃない。ずっと鳴り止まないそれは着信だ。まさか、と画面を覗き込むと白布からで。びっくりしつつ恐る恐る出てみる。白布は「寮の入り口にいる」と言った。この時間はもう出ていく人も帰ってくる人もいない。誰も来ない、という意味だ。「どうしたの?」と聞いてみると、一瞬間が開いてから「お前さ」と呆れたような声がした。

『最近自分で外の仕事ばっかやってて、花城には教えてないんだろ、まだ』
「あー、まあね。部活に馴染んでほしいし、慣れるまでは楽しくしてほしいというか」
『十分馴染んでんだろ』
「え、なんか怒ってる?」
『怒ってねえよ』

 怒ってんじゃん。おかしいな、機嫌が良いと思ったんだけど。何が琴線に触れたのだろう。そう思ったけど声には出さない。白布、本気で怒ると面倒だからこの辺りで治まってもらわないと困る。もう十年くらいの付き合いだし、一応、彼女としてもそれなりに経った。扱いには慣れている自負はある。

「それにかわいい子からタオルもらうほうがテンション上がるでしょ?」
『はあ?』
「白布だってあかりちゃんのこと、かわいいなって思うことには思うでしょ?」
『別に。普通だろ』
「いやいや、女子にたこ殴りにされるよ?」
『俺は今猛烈にお前を殴りたい』
「なんでよ」
『うるせえ。おやすみ』

 ブツッと電話を切られた。おやすみ、くらい言わせてよ。苦笑いをこぼしながらスマホを耳から離す。普通、って。そんなわけないじゃん。白布の美的センスがちょっと心配になってしまう。
 わたしがそんなふうに思っているとスマホが鳴った。トークの通知だ。なんだろう。見てみると白布から「また白布になってた。次はないと思え」と来ていた。あ、うっかり。反省しつつトーク画面を開いて「ごめんね賢二郎。おやすみ」と返しておいた。
 部活中とか他の人がいるときは、お互いを苗字で呼んでいる。それは中学生のときからやっていることだ。二人で話したりトークアプリでやりとりをするときは名前呼びに戻す、というのが暗黙のルールなのだ。わたしはそういう切り替えがとても苦手で、もう誰かがいるときだろうが二人のときだろうが、いつも「白布」と呼んでしまうようになっている。それがどうにもご不満らしい。よくこうやって文句を言われるのだ。言い返すのなら、白布……賢二郎は暗黙のルールが発動している間、大体わたしのことを「お前」と呼ぶくせに。名前で呼ばれたの、最後はいつだったかな。そう思うとちょっとだけ切ない。まあ、賢二郎も同じことを考えているだろうけど。
 でも、今日は、電話してくれたから良しとする。上から目線で考えながら、また参考書に向かった。


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