月曜日の昼休み、川西くんがわたしのクラスまで来て「お時間よろしいでしょうか」と声をかけてくれた。友達がにやにや笑って「ご指名で〜す」とわたしのお弁当を勝手に片付けて握らせてくる。あ、有難いけど恥ずかしいからやめてほしい。ちょっと縮こまりつつ、急ぎ足で川西くんに近寄った。
 立ち話もなんだから、と二人で歩き始める。さっきまで英語の授業だったという川西くんが「居眠りしちゃって三回も当てられた」とげんなりして言うものだから面白くて笑ってしまう。居眠りしちゃだめだよ。そんなふうに笑いながら言ったら「すみません」と川西くんも笑ってくれた。
 二人で歩き続けて、一階の校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下までやってきた。外廊下になっていて近くに座れる段差があったのでそこにしようということになる。川西くんがそそくさと段差に近寄って、手で払ってくれた。そ、そういうことするタイプなんだ。不意打ちだったので心臓がぎゅっとなりながら一人でこっそり照れてしまった。
 座って「いただきます」をして二人でお昼ご飯を食べ始める。川西くんはパンの袋を開けながら「あの、日曜日なんですけれども」とさっそく気になっていた話題を放り込んできた。

さんって映画好き?」
「たまに行くよ。観たいのあるの?」
「いや、観たいってほどのものはないんだけど。行くなら映画かなって」
「何がやってるのかな、今」

 川西くんが片手でスマホを操作して映画のスケジュールを検索してくれる。それを横から覗き込みつつ、勝手に、なんかデートみたいだな、なんて照れた。何を一人で妄想してしまってるんだろうか。舞い上がっちゃだめだ。そんなふうに気持ちを落ち着ける。川西くんは仲の良い友達だから誘ってくれてるんだろうし、一人で盛り上がったらあとで後悔する。落ち着こう。とりあえず、落ち着こう。そう何度も自分に言い聞かせておく。
 いくつか映画をピックアップしてくれる。女の子たちの間で流行っている恋愛もの、昔から流行っているアクションものの新作、話題になっている大人気のアニメ映画、映画好きの間で話題になっているコメディもの。どれがいいか聞かれた。恋愛ものは緊張するし、アクションものは音とかでビクッとしたら恥ずかしいし、コメディものは大笑いしちゃったら恥ずかしい。話題になっている大人気のアニメ映画を指差した。お姫様が主人公のお話だから川西くん興味ないかな、とちょっと心配だけれど。川西くんの表情を窺っていると、「俺もそれがいいなって思ってた」と笑ってくれた。
 時間をてきぱき決めてくれて、集合場所も決まった。川西くんはスマホをポケットにしまってから食事を再開する。パンを一口頬張ってしっかり噛んでから、ごくりと飲み込む。川西くんはそれから「あのさ」といつもより少しだけ低い声で言った。なんとなく緊張しているように思えてわたしまで「は、はい」と緊張してしまう。わたしのその声を聞いてから、川西くんはパンに向けていた顔をこちらに向けて、わたしを見つめた。

さんのこと、好きなんだけど」

 箸を落とすかと思った。聞き間違いかと思って何も言えずにいると、川西くんが「好きなんだけど」ともう一度なぞるように言った。

「本当は日曜日に言おうと思ったんだけど」
「は、はい」
「できれば、日曜日が初デートにならないかな〜と、欲が出まして……」
「で、デート……」
「うん、いや、ごめん。全然、だめだったら断って」

 ふいっと視線をそらされた。川西くんの横顔。頬が赤くなっていて、なんだか落ち着きがなくて、瞬きの回数が多い。そんな様子が、やっぱり、かわいいなって思った。
 どうしてわたしなんだろう。どこを好きになってくれたんだろう。わたしが川西くんのことを好きになる理由はたくさんあるけれど、川西くんがわたしを好きになる理由は、とんと思いつかなかった。
 川西くんがくれたウサギのキーホルダー。昨日の夜、鞄につけようとしたけど、やっぱりやめた。かわいいものをつけるのが恥ずかしいからじゃなくて、川西くんがくれたものをもし落としたり汚したりしたら嫌だなって思ったから。家の勉強机で留守番のまま。あのキーホルダーをくれたときは、わたしのこと、もう好きだって思ってくれていたのかな。いつからなんだろう。いろいろ思い出してみたけれど、きっかけになりそうなことはなかった。

「あの、いつから……?」
「…………引かない?」
「な、内容に、よる」
「じゃあ黙秘で」
「そんなに、あの、良くないことなの?」

 恐る恐る聞いたその言葉に、川西くんは目を瞑って上を向いたり下を向いたり、挙動不審になりつつ「あの、ですね」と苦しそうに口を開いた。そのあとに「思い出させるのが、あの、心苦しいんですけども」とも言って。
 川西くんとはじめて会ったあの事件の日。川西くんは部活中もずっとわたしの驚いた顔が忘れられなくて、申し訳なさで死にそうだったと言った。見ず知らずの異性に肌を見られてショックだっただろうし、きっと傷付いただろうと。そんな思いをさせてしまったことへの罪悪感が一日ずっとずっしり体中にあって、本当に申し訳なかったと語った。
 部活が終わって、偶然わたしを水道で見つけたとき、声をかけようか本当に迷ったのだという。謝ったところで取り返しは付かないし、嫌なことを思い出させるだけになるかもしれない、と。けれど、それでもどうしても謝りたくて声をかけてしまったと言った。声をかけたらやっぱり驚いていたし、ちょっと距離を取られたし、とぼそぼそ言う。それは、あの、ごめんね。謝ったら川西くんは勢いよくわたしのほうに顔を向けて「いやマジで俺が悪いから、さん謝るところ一つもないから」と必死な顔をした。
 謝ったところで、自分は女子の着替えを覗いたサイテー男として、学園生活に幕を下ろすことになる。川西くんをそう思っていたのだという。わたしと同じだ、と思った。わたしも川西くんはきっとわたしの体のことや下着のことを言いふらすだろうと。同じだったんだ。そう思ったら、ちょっと嬉しかった。

「謝ってもきっと許してもらえないだろうって思ってたけど、さん、俺のこと、信用してくれたように見えて」

 あんまり覚えていないのだけど川西くん曰く、信用してもらえたとほっとした瞬間、わたしが小さく笑ったのだという。笑った、っけ。川西くんはそういうのを言いふらさない人だってほっとしたのは覚えているけれど。あのときはいろいろいっぱいいっぱいだったから、自分がどんな表情をしたかなんて全然覚えていない。

「そのときの、笑った顔が、あの、かわいいなって」

 思いまして、と語尾がどんどん小さくなった。着替えを見られて驚いていた顔、声をかけられて怯えた顔。そんな顔しか知らなかったから、笑った顔が見られて嬉しかった、とも言った。

「話すようになってからも笑った顔がかわいいなってずっと思ってたし、いろんな一面を見て全部かわいいな、好きだな、しか出てこなくて」

 ちょっと自信なさげな声でそう言ってから、小声で「あれ、何の話してたっけ……」と恥ずかしそうに俯いた。生暖かい風が吹く。川西くんのネクタイを少しだけゆらゆら揺らして、わたしの髪もさらりと揺れる。とてもじゃないけど心地よい風ではなかった。けれど、今はそんなことはどうでも良くて、目の前でわたしのために言葉を尽くそうとしてくれている川西くんしか、わたしには見えなかった。

「わたしね、かわいいものが好きだって人に知られるのが、恥ずかしいことだって思ってて」
「……そうなんだ?」
「うん。だから、川西くんに着替えてるところを見られたの、本当に恥ずかしかったんだけど」
「本当にごめんなさい」
「あのときにつけてた下着がね」
「ウッ」
「え、あ、ごめんね?」
「イエ、ドウゾ、続けてください」

 気まずそうに目をそらされた。川西くんはなんだか落ち着かない様子で視線を泳がせつつも、一応わたしのほうを見てくれていた。

「わたしが持ってる中で一番かわいい、お気に入りだったから、本当に恥ずかしかったの」
「そ、そうなんだ……ほ、本当にすみません」
「でも、今は、川西くんでよかったな、って、思うよ」

 かわいいものが好きそうだと感じ取ってくれて、かわいいものが似合うと思ってくれた、川西くんでよかった。もちろん見られないのが一番いいのだけど。川西くんじゃない他の男子だったら、こんなふうに思わなかった。だから、川西くんでよかった。そう笑って言えた。
 川西くんは泳がせていた視線を、しっかりわたしにだけ向けて目を丸くしていた。数秒後には顔が真っ赤になって「いや、あの」と情けない声が聞こえた。それから口元を右手で隠すようにすると、川西くんは本当に小さな声で「なんでそういうこと言う……」と呟いた。

「……あの」
「あ、はい」
「……さん、好きです。付き合ってください」

 赤い顔のままじっと見つめてくれる。わたしもきっと赤い顔をしているだろうけど、気付かないふりをする。じっと川西くんの瞳を見つめていたら、恥ずかしいのはもちろんあったけど、なぜだか笑ってしまった。

「はい、お願いします」

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