体育の授業、男子がバレーをやっているのを友達を見ながら談笑している。隣のクラスと合同だからコートには川西くんの姿がある。余裕の表情で楽しそうにバレーをする姿が、なんだかかわいいなと思う自分がいた。
 川西くんがくれたウサギのキーホルダーは勉強机に飾られている。結局鞄やペンケースにつける勇気はなかった。家に帰ったらそれを見て、寝る前にもそれを見て、朝起きてからもそれを見て。かわいいな、っていつも思う。やっぱりウサギが一番かわいい。かわいいからつけられない。そんな情けない自分にため息がもれた。
 友達がこそっと「川西と付き合ってるって本当?」と聞いてきた。またそんな噂が。苦笑いをこぼしつつ「付き合ってないよ」と説明するけど「え〜教えてよ」と信じていない感じだった。

「でも、もし付き合ってなかったとしても、川西のこと好きでしょ」

 友達がそうわたしの脇腹を小突いて言った。川西くんのことが好き? わたしが? そんなふうに目を丸くしてしまうと「え、だってあんなに楽しそうに話す男子川西だけじゃん」と意外そうに言われた。とっくに自覚しているのかと、と友達が笑った。自覚。わたし、川西くんのことが好きなように見えるのかな。友達として接していたんだけど。そう首を傾げているとバシンと背中を叩かれた。

「だって今もずっと見てるじゃん、川西のこと」

 そう言われて少し固まる。たし、かに? 言われて見ればさっきからずっと、川西くんのことを見ていた。他によく話す男子がいないからというだけ、だと、わたしは思うのだけど。
 好きなのかな、わたし。川西くんのこと。でも友達になったばかりだし、それに、恥ずかしいところを見られた相手でもあるんだけどな。恋なんて最後いつしたか覚えていないからいまいちピンとこなかった。一人で盛り上がる友達の隣でぼんやり川西くんを見る。いろいろあったとはいえ、せっかく友達になれたのに。恋愛が絡んできたら男女間の友情なんてすぐに消えてしまう。川西くんと話すの楽しいから嫌だな。そう思う自分がいた。川西くんからしたら禊ぎのような意味合いで友達になっただけだろうし、その上恋愛感情まで向けられたら鬱陶しいのではないだろうか。
 考えすぎてぐちゃぐちゃになる悪い癖が出ている。ため息をついてしまう。良くない。それに川西くんのことをそんなふうに見てるなんて自覚どこにもないのだ。周りがそう言っているだけ。気にしないでおこう。そう自分に言い聞かせて、小さく深呼吸した。
 その瞬間だった。ぼんやり見ていた川西くんと、バチッと目が合った。静電気が指に走ったみたいな感覚。それに思わず目をそらしそうになるのに、そらせない。川西くんと目が合ったまま、わたしはきっと間抜けな顔をしていただろう。

「あ、川西ものこと見てるじゃん。両思いだったりして」

 友達がそうまたわたしの脇腹をつつきながら言う。その声があまり耳に入ってこなくて、びりびりする指先を居心地悪く擦り合わせるしかできない。
 川西くん、なんでこっち見てるんだろう。目をそらしていいのかな。それとも手を振ったり会釈したりしたほうがいいのかな。迷っていると先に川西くんが手をひらひらと振った。ちょっとはにかんで。その顔に少しどき、と心臓が音を立てた気がして、どうしていいかよく分からなかった。
 男子のバレーはいつの間にか終わっていたらしい。女子のグループがコートを交代で使うらしく、男子たちがぞろぞろとコートから出てくる。そのままどこかで固まって話をする人が多い中、川西くんはわたしをじっと見たまま、こっちに向かって歩き始めた。友達が「邪魔になるから退散しま〜す」と笑って立ち上がってしまう。思わず川西くんから視線を外して「ちょっと!」と友達を呼び止めるけど、もう遅かった。友達は別の輪に入ってからわたしにウインクを飛ばしてくる。良い仕事した、みたいな顔をしないで。そうため息を吐くと、ぬっと影が落ちてきた。

さん何もしないの」
「あ、う、うん、さっきまで卓球してたから休憩してるの」

 川西くんは「あーやってたね、女子たち」と軽く笑いながら、当たり前のようにわたしの隣に腰を下ろした。薄ら額に滲む汗を服の袖で拭いながら「バレーはいいの?」とチーム分けを始めた女子たちを指差して言った。
 あの中に仲の良い子はいない。バレー部の子もいないし、特に混ざろうとは思わなかった。バレー部だからと声をかけてくれた子がいたけどそれを断ってここにいるのだ。普通、自分の部活の競技だったら嬉々として混ざるのかもしれないけど。変かな。バレー部なのにって。

「あの、川西くん」
「はいはい?」
「……バレー好きじゃないのにバレー部にいるのって、変かな」
「えっ、好きじゃないの?」

 川西くんならばかにしない気がして、つい聞いてしまった。今まで誰にも言えなくてなんとなく引っかかっていたこと。川西くんなら、なんて言うかな。純粋にそれが気になった。
 川西くんはわたしに「じゃあなんでバレーはじめたの?」とか「好きじゃないのに練習しんどくないの?」とかいろいろ不思議そうに聞いてくれる。友達に誘われて、その友達と仲が良かったからはじめたこと。好きじゃないけど練習をつらいと思ったことはあまりないことを話す。川西くんはそれをウンウン頷きながら聞いてくれた。
 最後までわたしの話を聞いた川西くんは、少し上のほうを向いて何かを考えてからくるりと視線を戻す。「え、それってさ」とハテナを飛ばしつつ口を開いた。

「普通にバレー自体が好きになってるんじゃないの?」
「え」
「好きっていうか、楽しいから続いてるんでしょ? いや普通に無理じゃん。好きでもないのにあんなしんどい練習続けるとか」

 「お金あげるからバスケ部に入れって言われても断るもん」と川西くんが青い顔をして言った。なんでも友達がバスケ部に入っていて、監督は怖いわ先輩は怖いわ部活のルールは謎だわ、いろんな愚痴を聞いているのだという。でもその友達はバスケが好きだから部活が楽しいと言っているそうで辞める気配はないと言った。

「好きっていろんな形があるじゃん。見てるだけが好きとかやるのが好きとか。その中の些細な違いがあるだけで、さんも基本的にバレーが好きなんだと俺は思ったけど?」

 友達とやるバレー≠ェ好きだった。でも、それが知らない間にバレー≠ェ好きになっていたのかもしれない。言われてみれば、バレーをはじめたばかりのころは友達と話すことは楽しかったけど練習は嫌いだった。腕は痛いしボールは怖いし。うまくできないと怒る監督が怖くてたまらなかった。でも、当時は友達がいたからなんとか練習についていっていたっけ。でも、今は、友達がいないのに練習が嫌だと思わなくなった。できなかったことができるようになることが楽しくて、悩んでいたチームメイトが活躍するのが嬉しくて。自分が試合に出られなくても一緒に練習を頑張ってきたチームメイトたちの活躍を見ることが楽しかった。自分も出たいな、と少しずつ欲が出るようになってきた。それは、わたしが、バレーを好きだから、なのかな。
 とてもハッとさせられた。そっか、わたし、バレー好きなんだ。川西くんを見つめたままぽけっと固まっていると、川西くんが吹き出した。「本当に無自覚なんだ」と笑って、お腹を押さえる。普通に考えたらそうでしょ、と言った声が震えていた。
 なんとなく、罪悪感があったのかもしれない。みんな一生懸命やっているのにわたしは友達がいるからってバレーをはじめたから。一生懸命やっている子をさしおいてリベロで試合に出たりしていたから。わたし、友達がいるから入ったのにって、どこかで思っていたのだろう。そんなわたしが今更バレーが好きだなんて言うのもな、って引け目に感じていたのだろう。今更そう思って、ぽろっと口から出た。川西くんは恐らく意味不明なわたしの発言に「え、なんで?」と首を傾げた。

「好きなものを好きって言うの、普通のことじゃん。さんが気にしすぎだと思うけどな〜」
「……そうかな?」
「逆になんで言っちゃだめなの?」

 川西くんが自分の好きなものを一つずつ教えてくれる。すき焼きが好物なこと、実家のご近所さんが飼っている犬がかわいくて好きなこと、練習終わりに飲む冷たい炭酸が好きなこと、スパイクをブロックしたときの手の平のじんじんした感じが好きなこと。いろいろ挙げていって最後にわたしに「なんか変なのあった?」と聞いてきた。一つもなかった。全部、川西くんが好きなものなんだなあって思うだけだった。

「俺が変じゃないんだからさんも変じゃないでしょ。さんは何が好きなの?」

 好きなもの。そう考えて真っ先に浮かんだのが、勉強机に飾られている川西くんがくれたウサギのキーホルダーだった。かわいくて好き。よく見てはかわいいなあと思ってしまうくらい。わたしはかわいいものが好きだ。昔からずっと。
 中学生のときに男子がばかにしたペンケース。本当は泣いてしまいたいくらい悔しかった。走ってふざけていた男子たちが悪いのに、わたしの趣味が子どもっぽいとか恥ずかしいとか、勝手に自分たちを庇うことばかり言って。頑張ってお小遣いを貯めて買ったかわいいペンケース。その日からかわいいものを好きだと言うことは恥ずかしいのだと思うようになって、好きなのにぐっと堪えるようになった。

「あの、川西くんがくれたウサギのキーホルダー、かわいくて、好きだよ」
「お、やっぱり? 絶対さん好きだと思ったもん」
「ピンクとか赤とか、かわいい色も好き」
「あー似合いそう。暗い色より明るい色のほうがいいじゃん」
「バレーも、落ちそうなボールをギリギリでパンケーキするの、かっこよくて好き」
「あれはリベロのかっこいいとこだよな〜」

 笑ってそう言ってくれる。変じゃないんだ。恥ずかしいことじゃないんだ。好きなものを好きって言ってもいいんだなあ。そう思わせてくれるほど、川西くんはいつも通りの受け答えをしてくれる。かわいいものが好きでも、友達が誘ってくれたからはじめたバレーが好きでも、変じゃない。川西くんが笑って聞いてくれる姿を見たらそう思えた。

「あの」
「うん?」
「川西くんと話すのも楽しくて好きだよ。ありがとう」

 何のお礼か分からないと思うけど言ってみた。ちょっと恥ずかしいけど、川西くんのおかげでちょっと吹っ切れたから。帰ったらクローゼットの奥にしまい込んであるワンピースを出してみようかな、と思えたから。
 川西くんはわたしをじっと見ていたかと思うと、そろ〜っとそっぽを向いてしまった。その様子に少し慌ててしまう。何か気に障ることを言ってしまったのかも。謝りつつ顔を覗き込もうとすると「いや、あの、ちょっと」と小さな声が聞こえた。

「めっちゃ照れてるだけなんで大丈夫です。恥ずかしいからちょっとこっち見ないで」

 よく見てみると耳が赤かった。その反応にわたしまで照れてしまって、「あ、うん」と小さな声で返事をして顔を覗き込むのをやめる。自分の膝を見ながらどきどきしていると、川西くんがぽつりと「俺もさんと話すの楽しくて好きですよ」と照れながら言ってくれた。

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