子どものころからかわいいものが好きで、洋服はピンクや赤が好きだったし、レースやリボンも大好きだった。必然的にそういう服や文房具ばかりを持つようになっていき、近所のおばちゃんに「かわいいねえ」って言われたときは本当に嬉しかった。小学校のクラスメイトも「かわいい」と言ってくれたり、「それ私もほしい」と羨ましがってくれたり。好きなものを身につけるって、いいことがたくさんあるんだなって思っていた。小学生のころは。
 中学に上がって筆箱を買い換えた。母親の手伝いをしたお小遣いを貯めてはじめて自分のお金で買った筆箱だった。全体が薄いピンク色で、小さくかわいいロゴマークが書かれていて、ファスナーのところにリボンが付いている筆箱。一目惚れだった。見つけたその日からずっとほしかったけど、少し前に新しい定規とペンを買ってもらったばかりだったから言えなくて。泣く泣くお店を後にした。でもずっと忘れられなくて、いろいろ考えた結果、お手伝いをしてお小遣いを貯めようと思い至った。母親にはほしいものがあるとは言わなかったけど、察してくれたらしく条件付きでお小遣いをくれると約束してくれた。そうして、貯めたお金で筆箱を買いに行ったときのわくわく感も、筆箱に自分の大好きな文房具を詰め込んだどきどき感も、覚えている。
 はじめてその筆箱を中学校に持って行ったときだった。移動教室のときに友達が「それかわいいね」と言ってくれてとても嬉しかった。お小遣いを貯めて買ったんだ、と話していたらバタバタと前から男子が数人走ってきたのが見えた。危ないね、と友達とこそこそ言いながら端に寄ったときだった。ふざけていたらしい男子の一人が、前を走っていた子に何かを投げたのだ。それが当たったその子がその場で転んだ。そうして、ふざけて投げた何かがゴツンとわたしにぶつかる。思わず目を瞑ったら何か液体のようなものが体に付いたのを感じた。びっくりして目を開けると、男子が投げたものは習字セットだったことが分かった。ぶつかった衝撃でそれが開いてしまい、中に入っていた墨汁のボトルがぶつかったのだ。蓋が緩んでいたのか少しそれがかかってしまった、というわけだった。
 友達が「大丈夫?!」とわたしが落としてしまった荷物を拾ってくれた。すると「あー!」と大きな声を上げて「あんたたちこれどうすんの!」と男子に怒鳴った。恐る恐る見てみると、わたしの筆箱が、墨汁で汚れていて。男子たちは「わざとじゃないし」とふてくされていた。「いいじゃん筆箱くらい」と言う子もいた。友達がそれを怒ってくれたけど、習字セットを投げた男子が「つーか、そんな子どもっぽいやつ持ってて恥ずかしくないのかよ」と言った。わたしにぶつかった男子も「そうじゃん。ちょうどいいし買い換えたら?」と言った。それを、今も、忘れられずにいる。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「あ、ちゃん! お疲れ〜先行ってるね〜」
「お疲れ様。すぐ行くね」

 同じクラスの子に手を振って、入れ替わるように部室に入った。誰もいない部室は静かで、少しだけ寂しい。そのうちまだ着替えが終わっていない部員がそのうち来るだろう。早く着替えてわたしも体育館に行かなくちゃ。そう思いつつ自分のロッカーを開けて鞄を中に入れた。練習着を鞄の上に置いてからリボンを取る。カーディガンを脱いで、シャツのボタンを上から外していく。今日はキャミソールを着てきたから大丈夫。そんなふうに思いながらシャツを脱いで、手が止まった。
 かわいいものを持っているのは恥ずかしい。そう思うようになってから、かわいいものを買わなくなった。文房具もノートも洋服も、全部シンプルなものにした。小学校からの友達はみんなそれに驚いていたけど、最終的には「もうかわいい≠ヘ卒業だよね〜」と言っていた。もしかしてこれまで持っているものや洋服を「かわいい」と言ってくれていたのは気遣いだったのかな。そんなふうに思って、とても恥ずかしかった。
 白色の無地のキャミソール。それで隠すようにつけている下着。今日は水色の花柄にした。肩紐のところもきれいに柄が入っていて、細かいレースが上に重ねてあって、カップのところは少しふわっとしている。モチーフに青色のリボンがついていて、すごくかわいいなってじっと見てしまったっけ。自分のサイズのものがあったからすぐに買った。家に帰ってそれをタンスにしまうときに、いつ付けようかなってすごくわくわくしたなあ。
 かわいいものを持つのは恥ずかしい、と思うようになったけどやっぱりかわいいものが好きなままだ。文房具も服も何もかも、シンプルなものに変えたけれど、どうしてもかわいいものを着たい持ちたいという気持ちが消せなくて。ウンウン悩んで思いついたのが下着だった。下着はかわいいデザインのものが多いし、最悪見られても変じゃないかなって思って。それを思いついてからお小遣いのほとんどは下着に使っている。母親からはこっそり「あんた彼氏でもできた?」と勘違いされたり、よく行く下着屋さんに顔を覚えられたりしてたまに恥ずかしいけど、好きなものを身につけられることが何より嬉しかった。
 誰にも見られず着替えが終わる。ちょうどロッカーを閉めたときに先輩が入ってきたので挨拶。会話を少ししてから「じゃあ、先行きますね」と言ってから部室を出る。部室棟の階段を下りていくと、「あ! !」と中学からの友達に声をかけられた。彼女も今から部活のためグラウンドに向かう途中らしかった。手を振って声をかけつつ近付くと、「お願いがあるんだけど」と手を合わせられた。

「これ、白布くんに返してきてくれない?」
「白布くん? いいけど、なんで?」
「松井って分かる? あいつが白布くんに借りたけど今日用事あるからって私に押しつけてきたの!」

 「ひどくない?」と怒った様子で言った。白布くんは同じクラスだ。バレー部に入っていることもあって何度か話したことがある。それに対して友達は別のクラスだし、白布くんとは一度も話したことがないのだという。「白布くん怖そうだから」となんとも失礼なことを言うので苦笑いをこぼしてしまう。分からなくはないけど。
 幸い部活がはじまるまではまだ時間がある。女バレが使っている体育館に行く途中で男バレの体育館の前を通るし、まあ、いいか。そんなふうに引き受けると友達は「ありがとう〜!」と白布くんのノートをわたしに渡して、パン、と両手を顔の前で合わせる。「よろしく!」と言って走り去っていった。どうやらあちらは部活時間が迫っていたらしい。お疲れ様です。走り去る背中にそんなふうに声をかけておいた。
 白布くんのノートを片手に体育館のほうへ歩いて行く。渡そうにもわたしも白布くんとそこまで仲が良いわけじゃないし、どうしようかな。声をかけるのもちょっと緊張するなあ。そんなふうに思いつつ、すぐに見えてきた体育館を前に深呼吸してしまう。人に声をかけるの苦手なんだけど、大丈夫かな。ちょっとどきどきしながら体育館の入り口から中を覗いてみる。
 男子部の人たちは準備を終えて、各々時間までストレッチをしたり談笑したりしているようだった。まだ部員がみんな揃っていないらしい。体育館を見渡してみたけれど、白布くんの姿はなかった。どうしようかな。他に知り合い、いたかな。そんなふうに体育館を見渡して一人知り合いを見つけてしまった。
 川西くん。体育館の隅で手首をぐるぐる回してあくびを一つこぼしている。どうしよう、知り合い川西くんくらいしかいない。でも、川西くんも本当に知り合いというだけというか、なんというか。そんなふうに少し躊躇っていると、ふと川西くんがこっちを見た。びくっと肩が震えてしまってから体が固まる。川西くんは左手を右手で伸ばしつつ、ふと辺りを見渡した。左を見て右を見て。そうしてからまたわたしに視線が戻ってきた。
 バチッと目が合ったまま数秒が経過し、ついに川西くんが動いた。そそくさとなんとなくぎこちない動きでこっちに歩いてくる。ある程度近付いてきてから「あの、何か」とちょっと視線をそらして言った。

「あ、あの、白布くんって……」
「まだ来てないよ。何かあった?」
「これ、返しておいてって頼まれて」

 おずおずとノートを見せてみる。川西くんは「あー」と納得した様子だった。それからわたしに手を差し出して「俺、渡しとくよ」と言ってくれた。すごく助かる。申し訳なかったけどノートを川西くんに渡して「ありがとう」と伝えた。川西くんは白布くんのノートを受け取ってから「いえいえ」と笑ってくれた。
 笑うとちょっと子どもっぽいんだな、川西くん。背が高いし表情があまり出ないからなのか大人っぽく見えていたけれど。そんなふうに思っていると川西くんが「あのー」と、なんとなくぎこちなく口を開いた。

さんって中学どこだったの?」
「白鳥沢だよ。エスカレーター組なの」
「あ、じゃあ牛島さんは中学からの先輩なんだ?」
「そうだよ」

 川西くんは簡単なプロフィールを聞いてくれたり自分のことを教えてくれたりして話をしてくれた。おしゃべりが上手な人なんだな。わたしはこういうのがあんまり上手くないから感心してしまう。
 聞かれたことに答えたり気になったことをちょっと聞いてみたり。そうしている間に時間が経っていく。ハッとして「ごめん、部活行くね」と川西くんに苦笑いを向けた。「白布くんのノート、お願いします」とも付け加えて。川西くんもハッとした様子で「ごめん、つい」と苦笑いをこぼした。

「あの、蒸し返すようで大変申し訳ないんだけど」
「な、なに?」
「……お、怒ってない? その、なんていうか、本当、自分勝手な確認で申し訳ないんだけど、気になって」

 川西くんはちょっと気まずそうに視線をそらしてそう言った。一瞬何のことを言っているのか分からなかったけど、さすがに意味が分かった。わたしもちょっと気まずい気持ちになりつつ「あ、うん、大丈夫、です」と返しておく。できれば思い出させないでほしかった、けど。ちらりと川西くんの顔を見たら、ちょっと驚いた。心から申し訳なさそうというか、ちょっと顔色が悪くさえも見えたから。

「本当に大丈夫だよ。気にしないで」
「……いや、でも、さ。本当に申し訳なくて。何か償いをしますので……」
「つ、償いって、そんな。大袈裟だよ」

 川西くんって気にしいなのかな。男子ってああいうシチュエーションをラッキーって思うんだと思っていた。まあ、相手がわたしだったから、というのはあるのだろうけれど。それにしても申し訳なさがとても伝わってくるものだからわたしが萎縮してしまう。そう思ってくれるのは、なんというか、気にしてくれてるんだなって有難いけれど。

「何かあったら使ってくれれば何でもしますので、本当」
「い、いいよ、気にしないで。忘れてくれるのが一番有難いよ」

 とは言ってみるけれど、川西くんが納得してくれる気配はない。笑ったらかわいいのに、もったいない。ぼんやりそんなことを思ってしまう。でも、わたしは川西くんの友達でも何でもないし、人を笑わせるなんてハードルが高い。どうにか申し訳なさそうな顔をしないでもらいたいのだけど。
 男子部の人がわたしの横を通過していく。川西くんに「お疲れー」と声をかけて入っていった。男子部もそろそろ練習開始時間なのだろう。そのうち白布くんも来るかもしれない。せっかく川西くんが親切心で引き受けてくれたのに。女子部の練習時間のこともあり、もう一度「それじゃあ」と立ち去ろうとする。けれど、川西くんがまだ納得できなさそうだった。

「あ、あの、じゃあ、友達になってください」
「……え、そんなことでいいの?」
「うん、お願いします」

 じゃあ、と言い残してその場から走った。準備もう終わっちゃってるよ、絶対。そんなことに気を取られながら。

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