川西くん、と、いうらしい。それを知ったのはつい数分前。体育館に向かっているときにお手洗いから出てきた先輩と鉢合わせた。一緒に行こう、と言ってくれたので隣を歩いていたときに男子バレー部が使っている体育館の前を通った。先輩が「男バレ強豪だからさ、大きい体育館使えるんだよね」と羨ましそうに言う。女バレが使っているのはその隣にある少しだけ小さい体育館。わたしはあっちでも十分だと思いますよ、と笑ったら「そうなんだけどさ〜」とやはり羨ましそうに中を覗いていた。
 中を覗いていた先輩が「あれ」と言った。何かと思えばじいっと男バレの様子を窺っている。立ち止まってしまったのでわたしも立ち止まって、こっそり中を覗いてみた。そして見つけてしまった。さっき、見られてしまった人。一年生だったらしい。一列に並んで先輩らしき人から指示を受けているところだった。先輩がわたしと同じ方向を見ながら「川西だ」と言った。かわにし。誰のことかと首を傾げると「中学の後輩なの。白鳥沢来たんだ」と意外そうにしていた。かわにしくん。どの子だろう。そう思っているわたしに気付いた先輩が「ほら、あの一列に並んでる中で一番背が高い子」と言った。それは、まさに、さっき見られてしまった人で。
 きっと女子の部室棟と男子の部室棟を間違えてしまったのだと思う。ちょうど部室にわたし一人になっていて、ちょうど今日はキャミソールを着ていなくて、ちょうどシャツを脱いでいたタイミングで。川西くんも不運だったな、と可哀想に思ってしまう。わたしじゃない子だったらちょっとは嬉しかったかもしれない出来事だったけど。そう、苦笑いをこぼした。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「あの」

 びくっと肩が震えた。部活が終わって部室棟の外にある水飲み場で顔を洗っていたときのことだった。大急ぎでタオルで顔を拭いてからばっと振り返る。そこには、川西くんがいて。タオルを握りしめたままそそくさと少し距離を取ってしまう。恥ずかしい。そう俯く寸前に見えた川西くんの顔は、とても気まずそうだった。

「さっきは、その、すみません。本当にわざとじゃなくて」
「あ、だ、大丈夫、分かってる、ので……」
「すみません」
「い、いえ……」

 深々と頭を下げた。川西くんはそのまま動きを止めてまたぽつりと「本当にごめんなさい」と言う。恥ずかしかった、けど、そんなに必死に謝られるようなことじゃない。どうせわたしだし。そう心の中でぽつりと呟いてから、「大丈夫、です、本当に」と声をかける。川西くんは恐る恐る顔を上げてからじっとわたしを見た。もしかして言いふらされる心配をしているのかな。そう思ったから「誰にも言わないから、大丈夫」と言った。その代わり川西くんも内緒にしてください、と付け足したら不思議そうな顔をする。「え、なんで俺の名前」と言われて、あっ、と恥ずかしい気持ちになってしまった。慌てて女バレに川西くんの中学のときの先輩がいることを説明したら合点がいったようだった。

「えっと、名前聞いても、いいですか」
「あ、です……」
さん」

 確認するように名前を呼ばれる。思わず「あ、はい」と答えたら川西くんはまだ少し申し訳なさそうな顔をしていた。それからまた「本当にごめんなさい」と言って、小さく頭を下げる。
 そんな様子を見ていたら、わたしも下着のこととか体のことを言いふらされるかも、と薄ら思っていた不安が消えてなくなる。川西くんは、そういうの、言いふらさない人だ。なぜだかそう思った。恥ずかしい気持ちは消えないけれどどこかに潜んでいた暗い気持ちは消える。そうしたらようやくちょっとだけ笑うことができた。

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