「あ」

 聞こえてきた声にびくっと肩が震えた。そうっと振り向くと、とても背が高い男の子が呆然と立ち尽くしていて、目が合ってしまう。声の主と思われる男の子は勢いよくドアを閉めてから「ごめんなさい、見てません」と言ってから、ぱたぱたと走り去っていった。
 見られた。そう気付いてかあっと顔が熱くなった。わたし、部室、間違えたかな。そう焦ってしまったけれど、どう見ても他のロッカーは先輩や同輩たちの荷物が入れられている。間違いなくここは女子バレー部の部室で間違いない。じゃあ、今の子は、一体。目が回りそうなほど熱い顔を誤魔化すように一つ息をつく。見られた。男の子に。わたしが持っている中で一番かわいい白い下着を、見られてしまった。同じ部活の人たちにも見られないようにこっそり着替えたり、そもそもキャミソールを脱がずに着替えたりしていたのに。よりによって、男の子に見られた。それが、とんでもなく、恥ずかしかった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 やってしまった。駆け込んだ男子バレー部の部室内。スポーツバッグを下ろせないままに地面に突っ伏してしまう。馬鹿かよ俺。なんで男子の部室棟と女子の部室棟を間違えるんだよ。この前教えてもらったばかりだろ。なんで「バレー部」の表記だけ見てドアを開けたんだよ。「女子」って前についてただろ絶対。しかもノックも声かけもなし。最悪じゃん。そう深くため息をついていると、二年の山形先輩が「え、どうした?」と心配そうに顔を覗き込んできた。

「……間違えました」
「何を?」
「……部室を」
「ああ、テニス部と? 隣だからよく間違えるやついるぞ」
「…………女バレと間違えました」

 間。シン、と静まりかえった男子バレー部部室内で、唯一俺の深いため息だけが響いた。明日から俺は女子の着替えを覗いたサイテーな覗き男として噂を広げられるに違いない。今日に至るまでバレーボールを自分なりに一生懸命やり、人にできる限り迷惑をかけず、それなりに一人の人間として立派にやってきたつもりだった。今年からの高校三年間、それなりに楽しい日々が送れるだろうと思っていた、のに。
 白い肌。華奢な肩。花が咲いたみたいにかわいい下着。それを頭からかき消す努力はむなしく空振りに終わる。申し訳ない。本当に申し訳ない気持ちでいっぱい、なのだけど。健全な男だからそんなにすぐには忘れられなかった。

「……先に言っとくけど女バレの主将、すげー怖いぞ」
「マジすか……」
「あの牛島も怒られてビビるくらい怖い」
「めちゃくちゃ怖いじゃないっスか……」
「で、中に誰がいた? 場合によっては賄賂で和解しろ」

 三年生の先輩も俺の近くにやってきて肩を叩く。「ドンマイ。で、誰? 何色だった?」と他人事丸出しの口ぶりで言った。いやそれをペラペラ喋るほど落ちぶれていないです。そう俯きながら言ったら「つまんねーの」と笑われた。つまんなくないです。少なくとも俺は。
 本当に心から励ましてくれる二年の先輩が代わる代わる誰だったのか、と聞いてきた。何人か許してくれそうな心当たりがいるらしい。誰、と聞かれても、まだバレー部に入って数日しか経っていないのに、女子バレー部の部員を把握しているわけがない。分かるのはバレー部にしては背が低かったことと、色白だったことと、華奢だったことと、下着の色だけだった。迷宮入り。先輩たちは「あいつじゃないことだけを祈れ」とか「あの子だったら土下座すれば黙っててくれるかも」と何人かの情報をくれた。いや、もう。俺の青春が閉ざされていく音がするんですけど。
 いつまでもへこんでいるわけにもいかない。そろそろ着替え始めないと練習時間に間に合わなくなる。力を振り絞って立ち上がり、よろよろと自分のロッカーを開けた。数分前に帰りたい。職員室に用事を済ませに行ったあのときに戻りたい。なんなら女子の部室棟の近くを歩いていたときに戻れればそれでいい。
 どうか、どうかあの子が傷付いていませんように。無茶な話かも知れないけど。女の子の肌を見てしまった罪悪感と、あの子がとても驚いた顔をしていた申し訳なさで押し潰されそうだった。

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