八月二十二日月曜日、五色から連絡があった。大学が夏休みに入っているとはいえ部活は忙しい時期のはずだ。もう大丈夫だから送りに来なくていいのに。そうぼんやり思いつつ、もう日課みたいになっているから「残業だからあと一時間くらいかかる」と返信している自分がいた。もう大丈夫って思っているなら、嘘でも定時で帰ったから大丈夫って言えばいいのに。その嘘を一度もついたことがない自分のことがよく分からない。分からない、あの日からずっと。
 「五色のことが好きなのか」とわたしに聞いてきた牛島に、答えられなかった。白布に会ったときも考えたけど分からなくて。これまでずっと考えているけど分からない。好きだよ、そりゃあ。後輩として。かわいいし、なんでも一生懸命だし、一緒にいて楽しいし。困っていたところを助けてもらったし、現在進行形で優しいし。嫌いなところなんて一つもない、紛うことなく好きな後輩だ。でも、それは牛島たちも同じこと。五色が四年前にわたしに向けてくれた好きと同じじゃないと思う。五色と付き合いたいって思ったこと、一度でもあったかな。そう考えてみるけど高校生のときには思ったことは一度もない。かわいい後輩だなあって猫かわいがりをしていた記憶しかわたしにはなかった。
 深いため息。今日の作業はもう終わったし、そろそろ一時間経った。帰ろうかな。そう鞄を肩にかけて立ち上がり、他の人たちに「お先に失礼します」と声をかけて部署を後にした。
 エレベーターに乗ってスマホを見つつ、どこで待ち合わせるのかを確認する。五色からは「会社出たら教えてください」と来ていたので「了解」とだけ返しておいた。駅についたらじゃなくて会社を出たらなのね、今日は。そう思いつつ一階で下りてすぐ端っこに寄って「会社出るよ」と送った。五色から「分かりました」とだけ返ってきたけど、どこに行けばいいのか分からないんだけどなあ。ちょっと抜けてるな、と笑いつつとりあえず会社を出てみた。

「あ、お疲れ様です!」
「……えっ、何してるの?」
「迎えに来ました」

 いつも会社の近くの駅前で待ち合わせるのに。会社の前で待っていたのはこれがはじめてだった。ちょっとびっくり。五色はなんとなくいつもより機嫌が良さそうに見える。何かいいことでもあったのかな。少し笑いつつ「ありがとう」と言う。いいことがあったならわたしも嬉しい。部活で何かあったのかな。そんなふうに思っていると、五色が「あの」とちょっと照れくさそうに目をそらしながら口を開いた。

「どうしたの?」
「じ、実は今日、誕生日なんですけど」
「えっ! あっ、そっか、八月二十二日! ごめんすっかり忘れてた!」
「いえ、あの、全然それはいいんです! いいんですけど、一つ、お願いがあって」

 高校生のときは覚えてたのにな、と少しへこんでしまう。大体の人の誕生日を把握していたのに年月が経つと忘れてしまうものだ。そういえば今年に入って誰の誕生日もお祝いしなかったっけ。まあみんなそういうのを気にするタイプじゃないみたいで、全員スルーしているけれど。
 五色がじっとわたしの瞳を見る。なんだか緊張しているらしいその表情にわたしまで緊張してしまう。お願いってなんだろうか。五色の言葉を待っている。五色は一つ息を吐いてから「インカレ」と言った。

「インカレ?」
「観に来てください」
「いいけど、インカレって観戦できるんだっけ」
「準決勝からはチケットがいるんですけど……」

 それくらい全然いいけど。呆気に取られつつそう返事をしておく。なんか、思っていたお願いとちょっと違ったな。しかもインカレって十一月からって言ってなかったっけ。誕生日と関係なくなっちゃってる気がするけど。
 とりあえずまたトーナメントが発表されたら連絡をくれるというので頷いておく。よく分からないけど、五色が来てほしいって言うなら行くという以外返事はない。有休もまだ残ってるし、平日でも全然大丈夫だ。楽しみにしておくことにした。
 お誕生日様の五色が決めたお店に入り、二人で晩ご飯を食べた。もう慣れた光景だ。わたしの退社時間に合わせてご飯を食べていたら生活リズム的に宜しくないのでは、と思っていたけど、自分でちゃんと管理しているらしい。ご飯を食べるわたしを見つつ飲み物だけで済ませているときもある。そういうとこ、意外とちゃんとしてるよねえ、五色。高校生のときはなんとなく無鉄砲で、とりあえず突き進んで行っちゃうタイプだったのに。
 もう、高校時代のかわいい五色じゃなくなっちゃったんだな、一般的には。そりゃそっか、二十歳になったんだもんなあ。わたしの中ではかわいい後輩のままだけど。そう思って見てみると、背が高くて明るい好青年にしか見えない。大学で女の子にモテるだろうに、本当に変わっている。そうこの前の飲み会で言ったら天童が「やかましすぎてモテないんじゃない?」と言っていたっけ。それも分かる気がして面白かった。

「五色」
「あ、はい」
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます!」

 変わらぬ眩しい笑顔のままでいてほしいな。こっそりそう思いつつ、なんだかちょっと切なくなった。かわいい後輩でいてほしいんだけどな。そんなふうに。


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