結局、それから本当に五色はわたしのことを家まで送ってくれるようになった。大学の部活が終わると「終わりました」と連絡を必ず入れてくれるし、それに返信しなかったら電話をかけてきた。徹底している。それにちょっと申し訳なさを覚えて最終的にはわたしも「今日は残業」とか「定時で上がったよ」とか、報告をするようになっていた。
 引っ越し先は会社から歩いて行けるところにした。前より部屋が狭くなったし家賃が上がったけど、代わりにオートロック付きになった。会社からマンションまでの間にはコンビニがあったり駅があったりして車通りも人通りも多い。ついでに会社の同僚の男の子が近くに住んでいるから最悪一緒に帰ることもできる。わたしにとっては好条件だった。
 引っ越し作業まで手伝ってくれた五色に、なんだか、どうすればいいのか分からなくなっている。あと一年ですからね。そう言われたあの夜から、その声が耳から離れなくなった。一年後、わたしはまた、五色に告白されるのだろうか。いやそもそも五年経ったら付き合おうと言ったのはわたしだ。一年経ったら五色と恋人になるのかな。そういう約束だったから、そうなるのは当然なのかもしれない。でも、なんだか、ちょっと、なあ。そう思ってしまうわたしは馬鹿なのか悪女なのかよく分からない。

「あ、さん!」

 変わらぬ笑顔で手を振られる。なんで引っ越し終わったのに、わたし、五色と一緒にいるんだろうか。そう思いつつ「お疲れ様」と声をかけた。
 五色の部活がオフの日、こうやって待ち合わせをして晩ご飯を一緒に食べている。休日のときはお昼ご飯のときもある。必ず五色からオフの日がいつか連絡が来るから、断る理由もなくて予定を合わせている。よく分からない関係だな、なんて自分でも思う。
 今日は五色がお店を決めたいというので任せることにした。どこに連れて行かれるのかと思っていると、「あ」と声が聞こえた。今の声、とても聞き覚えがある。わたしがその声のほうを見るより先に五色が「瀬見さん!」と声を上げた。

「久しぶりだな、工。はついこの間ぶりだけど」
「え、この間ってなんですか?」
「大平と山形とあと何人か誘って飲み会したんだよ」
「えー! 誘ってくださいよ!」
「同期会だからだめ〜」

 けらけら笑う瀬見が「今からデートか?」とからかってきた。デートって。ご飯行くだけだし。そう返そうとしたら五色が「デートです!」と赤い顔をして言った。瀬見がぽかんとしてから大笑いして「デートか〜よかったな工!」とか言うものだから、「違うから!」と割って入ってしまう。からかわないでよ、付き合ってないの知ってるくせに! そうクレームを入れておく。

「そんな赤い顔で言われてもな〜」

 笑ったまま「じゃあデート楽しめよ〜」と言って人混みに消えていった。あの私服ダサ男、今日も変なところが破れたTシャツ着て変な爆弾だけ落としていきやがって。今度会ったら絶対ただじゃおかないからな。行き場のない恥ずかしさを五色の背中にぶつけてやった。

「デートじゃないんですか?」
「……わざとやってる?」
「えっ、何がですか?」

 素かよ。思わずくるりと顔を背けてしまう。わたし、五色のそのかわいい顔に弱いんだよね。自分で分かってる。てっきり弱点を握られているのかと思ってしまった。バレるとつけ込まれるかもしれないから気を付けないと。そう咳払いをしてから五色に視線を戻した。……いや、五色はそんなことしないか。わざとじゃないんだもんね、言動すべてか。なんだか脱力してしまった。もしかしなくても振り回す側から振り回される側になっているかもしれない。
 五色がわたしの手首を掴んで「行きましょう」と笑った。なんで手首。普通に手、繋げばいいのに。そう一瞬思った自分を頭の中で叩いておく。いやいや、なんでよ。付き合ってもないのに手なんか繋がないでしょ。本当、どうかしている。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「悪女召喚〜!」
「……天童、殴っていい?」
「キャーちゃんが乱暴する!」

 なんだこの酔っ払い。帰るぞ。けらけら笑う天童を足で退かしながら空いている席につく。突然瀬見から「バレー部同期会〜牛島・天童が帰ってきた〜」の開催連絡があった。変なサブタイトルを付けるな。嬉しいけど。
 金曜日の夜だったからわたしは仕事帰りに遅れて参加。みんなほろ酔いといった感じでにこにこと「何飲む?」と声をかけてくれた。メニューを見つつ、前に天童を含めた三人で会って以来の牛島に「久しぶり」と声をかける。牛島は「久しぶりだな」と軽く言いつつおいしそうにご飯を頬張った。元気そうで何より。そう思いつつ適当に飲み物を選んだ。

ちゃん聞いたよ〜! この前工とデートしてたんだって?」
「おいこら瀬見」
「だってデートだろ。二人で出かけたんならさ」
「ご飯行っただけだってば」
「デートじゃん」
「デートだな」
「うるさい!」

 だから付き合ってないって言ってるのに! そう喚きつつ大平から皿と箸を受け取る。なんでそんなに五色とわたしをくっつけたがるんだかさっぱり分からない。そうぼやいたら山形が「かわいい後輩だからだろ」と笑って言った。なるほどそうでしたね、わたしにとってだけじゃなくてみんなにとってかわいい後輩でしたね! なんか悔しくなった。
 天童と瀬見があんまりにもからかってくるので大平と牛島の間に逃げ込む。大平に「あの二人がいじめてくる」と泣きつくと「俺としても気になるところではあるけどな」と返された。大平までそんなことを言うなんて思わなかった。逃げ場がない。牛島に頼るしかなくて、とりあえず「元気?」と無難に話題を変える作戦に出た。けれど、「元気元気。はいはい話戻して〜」と天童に遮られた。

「ぶっちゃけどうなの? 工と付き合うの?」
「いいって、その話はもういいから」
「じゃあ付き合うか否かは置いといて、工が彼氏っていうのはアリなの? ナシなの?」

 ぐいぐい来るじゃん、天童。久しぶりに会ったのに遠慮なしかよ。クレームを入れても天童に効かないことは重々承知済みだ。ぐっと堪えておく。じいっとまん丸な目で見てくる天童のそれは、高校時代に相手コートを観察する目によく似ている。一挙一動何一つ見逃さないって感じがして、ちょっと怖い。

「……なく、は、ない」
「いやいや、アリかナシだってば。二択だよちゃん〜」
「あーはいはい分かった、分かりましたよ! アリですよ!」
「じゃあ付き合っちゃえばいいのに。ねー?」
「付き合えよ」
「付き合ったらいいだろ」
「付き合わないのか?」
「もううるさいってば……」

 そんな軽い気持ちでかわいい後輩に手を出せって言うのか、お前たちは。そう項垂れたら「だからそう言ってんじゃん」と瀬見に笑われた。もっと後輩をかわいがりなさいよ。五色なんか典型的な何も知らない純粋な子じゃん。わたしなんかが汚しちゃまずいでしょ。そうため息交じりに言ったら山形が「は? 二十代になる男が純粋なわけないだろ」と真顔で言い放った。何を言うか。どこからどう見ても五色は純粋でかわいい後輩でしょうが。そう力説したら「どっちかって言うと純粋なのちゃんだよね〜」と天童に馬鹿にされた。酔っ払いのくせに馬鹿にしやがって。店員さんが持ってきてくれた飲み物を一口飲む。今日はあれか、わたしをからかう会のつもりだな。主催者の瀬見を睨んでおくと「え、なんだよ、怖いんだけど」と顔を隠された。

「なんでそう言い切れるの?」
「素直に心配してくれたりとか、家に来るだけで照れたりとか。 純粋だな〜って感じしない?」
「…………え、何、もう一回言って?」
「いや、だからいろいろあって相談したらね、」
「そのあと!」
「あと? ああ、五色を家に泊めたことがあって、」
「泊めた?!」

 びっくりした。突然の山形の大きな声に思わず言葉が止まる。そんなに驚かなくても。不可抗力だよ。事情は説明すると長くなるから省きつつ、五色を一度家に泊めたことがあると説明した。

「悪女じゃなくて鬼じゃん、ちゃん……」
「え、なんで?」
「好きな子の家に泊まって何もできないとか地獄だよね、英太くん」
「なんで俺に振る?! ま、まあ、ちょっと遠慮したいところではあるけど」
「それは瀬見がすけべなだけじゃないの?」
「なんで俺だけなんだよ?!」

 喚く瀬見は放っておき、大平が「泊めたって、寝るときどうしたんだ?」とからかう感じでもなく純粋な質問として聞いてきた。山形もそれに「ソファで寝かしたとか?」と言ってくる。まさか。かわいい後輩をソファで寝かせるわけないじゃん。心外だ。わたしだってそれなりに先輩としての自覚はあるよ。そう笑いながら「一緒に寝たよ」と言ったら天童がひっくり返った。

「工、カワイソ〜……」
「えっなんで?」
「それ一睡もしてないよ絶対……」

 同情の声があちこちから聞こえてくる。なんか、わたし、まずいことをしたかな。そりゃあわたしだって考えなかったわけじゃない。男女が一緒の布団に寝るなんて恋人じゃなければおかしいとも思う。でも、だって、五色だし。そういうこと考えないだろうなって思って。ごにょごにょそう言ったら「でも何もしない約束させてるじゃん」と痛いところを突かれた。

「大前提として工は立派な男だし、ちゃんのこと好きなんだよ? 家に上がるってだけでいろいろ妄想しちゃうのに一緒に寝るってなったらそりゃあもうね〜?」
「五色はそんな妄想しないから、絶対してないから」
「してるよ。だって家に上がるってなっただけで照れてたんでしょ?」
「……て、照れてたけど!」
「じゃあ絶対妄想したよ。ソウイウコトになるかもって。ね、英太くん」
「もう俺に振るな、俺だけ被害を受けるから」

 「照れてるのが何よりの証拠じゃ〜ん」と天童がサラダを頬張りながら言った。山形がうんうん頷いてからわたしをビシッと指差して「お前は男のなんたるかを分かっていない」と言い切った。そんなことを言われても。これまで彼氏ができたこともないし仕方ないじゃん。たしかに、泊まってもいいんですか、って赤い顔で確認はされたけど。でも、一回そういうのはなしって約束したらもう頭に浮かばないでしょ、多分。五色だし。そのあと照れてたのだって距離が近かったからってだけだよ。

「ちなみにそれ英太くんが相手だったらどうなの?」
「家に泊まるくらいだったらいいよ」
「一緒に寝るのは?」
「え、嫌だよ」
「ひでぇな……」
「でも工はいいんだ?」

 ハッとする。五色以外の人にはこんなこと言わないって思ったけど、本当にその通りだ。仲が良い瀬見だろうが天童だろうが、信頼している大平だろうが山形だろうが、尊敬している牛島だろうが、嫌だな。そう言われてみれば。五色だけだ、本当にいいって思ったの。もし何かされてもいいやって一瞬でも思ったことを思い出した。五色が本当にどうだったかは置いておき、わたしじゃん、意識してたの。そんなふうにちょっと恥ずかしくなった。
 いつの間にか注文していたらしいお茶漬けを食べながら牛島が「は」と口を開いた。こんな話題に入ってくるのは珍しい。いつも聞き役に回りがちなのに。他のみんなもそう思ったらしく口を挟まずに牛島のことを見ていた。

「五色のことが好きなのか?」


戻る抱きしめて離さないよ