途中、タクシーを断るために一旦電話を切ってもらった。そのまま来てもらおうかとも思ったのだけど、五色に相談したら「送ってくので大丈夫ですよ」と言ってくれたから。タクシー会社の人には長く待たせてしまって申し訳ありませんでした、と謝罪を受けた。ちょっと、確かに。そう思ったけど仕方のないことだ。「またお願いします」と言って電話を切った。
 それから五色に電話をかけ直すか迷ったけど、電車に乗っているのだろうし迷惑になるかもしれない。そう思ってメッセージだけ送っておいた。五色からは「電話じゃなくて大丈夫ですか?」と返ってきたけど、そこまで子どもじゃない。もう五色が来てくれるってだけで怖さは薄らいでいた。「大丈夫。ありがとう」と返信をして、大人しく待つことにした。
 それから数十分待って、駅がずいぶん静かになってきた。それがちょっとまた怖かったけど、あの足音は聞こえない。外の様子を音だけで窺いつつ息を潜めている。本当、情けない。怖いから助けて、みたいなことを後輩に言ってしまった。何に怖がっているかもちゃんと話していないのに。
 そういえば、五色は電話で何があったのかを聞いてこなかった。どうしてだろう。理由も知らないのに来てくれるなんていい人にもほどがある。将来詐欺に遭ったりしないかちょっと心配だ。そんなことを考えていると、スマホに通知。見てみると五色から「着きました!」と届いていた。出て行こうかと思ったけど、まだわたしがいる近くじゃないかもしれない。怖いからその場を動かずに「どこにいるの?」と返してみる。すぐに既読はついたけれど返信はない。どうしたんだろう。そう思っていると、ヒールの音が聞こえてきた。また変な人と思われる。トイレから出たばかりで鏡を見ている人を装おうと鏡を見た。
 すると、入ってきたわたしと同い年くらいの女性から声をかけられた。「あの、五色さんって知り合いですか」と聞かれた。女性はちょっと困惑気味だったけどわたしが「はい」と答えたら、少しだけ笑って「外で待ってますよ」と教えてくれた。女性はそのままわたしと一緒に外に出てくれて、すぐ外で待っていた五色と落ち合えた。わたしと一緒に出てくれた女性に五色が何度もお礼を言っている。どうやら中にいるわたしを呼んできてほしいと頼んだらしかった。女性は会釈して駅から出て行く。それを見送ってから、バッと五色の顔がわたしに向いた。

「どうしたんですか?! 何があったんですか?!」

 五色はどうやら体調が悪いのかもしれない、と思ったらしい。女子トイレに入るわけにもいかないし、呼んでも出てこられない状況かもしれない、と。気を利かせてくれたのだ。けれど、普通に歩いて出てきたわたしを見て体調が原因ではないと思い焦っているのだろう。
 話せば長くなってしまう。なんと説明しようか悩んでいると、五色が背中をさすってくれた。そうしてようやく、ぽつぽつとではあるけど一昨年からずっと怖かったことを人に話せた。元先輩から告白されて断ったことを含めて、ずっとついてくる靴音の話も、さっきもそれに似た音に追われた気がして怖くなったことも。全部気のせいかもしれないけど、と付け足して。
 最後に、ちょっと笑って「つい頼っちゃった。ごめんね」と謝る。そんなに大したことじゃないかもしれないのに、こんな遅くに出てこさせてごめん、とも。五色はわたしの顔をじっと見て、背中をさすってくれていた手を止めた。それからわたしの両手をぎゅっと握って、なんだか、悔しそうな顔をする。

「なんでもっと早く言ってくれなかったんですか。何かあったらどうするつもりだったんですか」

 どうして五色がそんな顔をするのだろう。五色は巻き込まれた立場なのに。そう不思議でたまらない。何よりわたしの手を握る五色の手が、知っているはずなのにとても大きく感じて、なんだか、うまく言葉が出せなくなる。
 五色はわたしの左手だけを離した。右手は掴んだまま「送ります」と言う。その声が少しだけ怒っているように聞こえて、ちょっとびっくりした。五色も怒ったりするんだ。あんまり高校生のときは見たことがなかったから新鮮だった。わたしがあまりにも情けないから怒らせてしまったのだろうか。そんなふうに思いつつ「ありがとう」と返した。
 もう日付が回る。真っ暗な道を五色に手を引かれて歩いて行きながら、つい終電の心配をしてしまった。確かわたしの最寄り駅、仙台駅方面の終電、終わっちゃうよ。慌てて五色にそう教えるのだけど「歩いて帰るので大丈夫です」と言われた。

「あっ歩いて?! 無理に決まってるでしょ!」
「終電もないしタクシー乗るほど所持金がなかったので……」

 恥ずかしそうに言う。あまり財布にお金を入れないタイプなのだという。それは、申し訳ないことをしてしまった。「タクシー代は出すから! 歩くなんて無茶しないの!」と怒ってしまう。わたしのせいなのに。気が付いて謝ると五色は「奢られるのは嫌なので!」とキリッとした顔で言った。この状況でそう言われても、はいそうですか、とはならないよ、五色。大学合格祝いのときもそうだったっけ、と思い出してちょっと笑ってしまう。女の子に奢られるの、嫌なんだなあ。男の子って感じがしてかわいいな。どこかの医大生さんは奢ってくれるなら食べるなんて言ってたけど。
 今回は頑なに「歩きます!」と言い張るものだから困った。さすがに頼ったわたしが親御さんに連絡してみたら、なんて言い出せないし。どうしよう。男の子とはいえ日付が回った深夜に仙台駅付近まで歩かせるなんて絶対できない。歩いたら絶対一時間以上はかかるし。それなのに迷わず歩くと言える五色ってすごいなあ。苦笑いしつつ感心してしまった。

「じゃあ五色、どっちか選んで」
「何をですか?」
「タクシー代をもらってタクシーで帰るか、わたしの家に泊まるか」
「……エッ」
「どっちか選んで」

 意地でも歩かせるものか。そう五色を睨むように見つめたら、そうっと視線をそらされた。五色はわたしの手を握ったまま「え、えっと」とあっちを見たりこっちを見たり忙しそうだ。どっちも嫌だと思っているのだろうけど、これ以上は譲れない。かわいい後輩を一人で歩かせるなんて先輩として許せないんだよこっちも。そうじっと五色の顔を見て牽制しておく。

「……と、泊まっ、ても、いいんですか……?」
「いいよ。わたしのせいで終電なくなっちゃったんだし」
「いや、あの、さんのせいではないんですけど……」

 なら決まりね。そう言うと五色は顔を赤くして「あの、確認なんですけど」と小さな声で言った。確認とは。わたしが顔を覗き込むと、五色はそうっと視線を合わせて「あの」と口を開いた。

「俺、さんのこと、好きなんですけど……」
「一応知ってるつもりだけど?」
「いや、だから、泊まってもいいのかなって……」
「……変なこと考えてる?」
「考えてません!!」

 力強い返答に少し固まってから、大笑いしてしまった。その焦りよう、ちょっとは考えたね? 一瞬でも思い浮かんじゃって照れるなんてかわいいね。そうわたしが笑うからなのか五色は「近所迷惑ですよ!!」とわたしより大きな声で言った。五色のほうが近所迷惑だよ。静かにね。そう笑いながら言ったら「さんのせいじゃないですか……!」と悔しそうに言われた。でも、まあわたしが迂闊だったのは確かだから謝っておく。だって五色だから。そんなことしないだろうなって分かってるから言ったんだよ。

「訂正。タクシー代をもらってタクシーで帰るか、何もしない約束をしてわたしの家に泊まるか。どっちがいい?」
「……何もしないので泊めてください」
「じゃあ決まりで」

 ちょっと拗ねてる。かわいい。そう顔を覗き込んで笑ったら「かわいくないです」と言われた。本格的に拗ねてしまった。かわいい後輩のご機嫌をどう取ろうか考えつつ、ちょっと上機嫌で夜道を歩く。こんなに楽しい帰り道ははじめてだなあ。五色、ありがとね。そんなふうにこっそり思った。


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