「キャー! サインくださーい!」
「わたしもわたしも〜!」
「もう五回目だぞ」

 と言いつつ書いてくれる牛島って本当に友達想いだよね。天童とそう笑っていると「書いたぞ」と真顔でサイン色紙をくれた。きゃっきゃ言って騒ぐわたしと天童を嫌がることもなく、学生時代と変わらぬ淡々としたノリの良さに感動してしまう。

「それにしても天童、久しぶりだね。いつ帰ってきたの?」
「え、三時間前」
「帰りたてほやほやじゃん。牛島の予定合ってよかったね」
「若利くんとは事前に打ち合わせしてあったんだよ〜ん」
「二時間前に急遽誘われたのはわたしだけなのね!」

 ちょっと寂しいじゃん! そう笑ったら「え〜ごめんね?」と首を傾げられた。誘ってくれたからいいけどね。
 有休を取って美容室に行った帰り、天童から連絡があった。「ご飯食べよ〜」という何とも雑な誘いだったけれど、天童らしくてくすりとしたっけ。来てみたら牛島がいたものだから驚いて、とりあえずJAPANだしとサインをもらった。天童も同じく。ちなみに高校の卒業式でももらったけど。

「牛島若利にこんなにサイン書かせるのわたしと天童くらいだよね」
「賢二郎にバレたらめちゃくちゃ怒られそう」
「いや、別に書くくらい何でもないが」

 天童が渡したサインペンのキャップをしっかり閉めて返す。天童はそれを受け取りつつコーヒーを一口飲んだ。なんでも今はパリと日本を行き来しているという。天童には宮城県なんて狭いだろうな、なんて学生時代に思っていたけど、まさか世界に飛び出していくとは。驚いたけど、天童らしいなと思えるからすごいものだ。
 三人で他愛もない話をしていると、ふと思い出したように牛島がわたしを見て「五色は元気か」と言った。なんで急に五色のことが出てきたんだろう。しかもわたしに対して。不思議に思ったけど春高予選を観に行ったことはグループトークで話してあるからそれでかな。もう予選大会、結構前のことだけど。そう思いつつ「元気だったよ」と返した。

「だったよ、って最近会ってないの?」
「予選大会以来会ってないよ。大学合格したら連絡するって言われてるけど」
「……あれ? ちゃんって工と付き合ってるんだよね?」
「ええ? 付き合ってないよ」

 天童と牛島が黙ってお互いを見合った。それからハテナを飛ばしてからわたしに視線が戻ってくる。ご飯、冷めちゃうよ。そう言っても手は止まったままだ。

「卒業式のとき、工に告白されてないの?」
「されたけど?」
「エッ、じゃあなんで付き合ってないの?」
「いや、断ったからでしょ」

 ガヤガヤと若者の声で騒がしい店内で、わたしたちのテーブルだけが妙に静かになる。天童も牛島も驚いた様子でポカンとしているものだから笑ってしまう。え、そんなに意外なことだった? そんなふうに思わず言葉をこぼしたら天童が「意外」と言ってようやくサラダを一口食べた。
 天童たちから、わたしと五色はそんなふうに見えていたのだろうか。わたしとしては先輩に懐いているかわいい後輩、という図にしか見えなかったのに。山形や瀬見、大平の反応もそうだったし川西の反応もそうだった。部員みんなをそれぞれある種かわいがっていたつもりだったのに、五色だけ特別だったみたいな言い方ばかり。そりゃあ、一番かわいい後輩だったということは認めるけれど。わたしが思っているより特別扱いしていたのかな。

「もしかして好きな人がいるとか?」
「ないない。全く」
「気になってる人もいない?」
「いないよ。彼氏ができる気配もない」
「なんで?」

 真顔で聞かれた。思わず怖気付いてしまったけど、なんで、って言われても。恋ってそんなにホイホイできるもんじゃないでしょ。現に高校時代にも好きな人はいなかったし、会社でも気になる人はいない。でも、それが変なことだとは思ったことがない。至る所で好きな人ができるほうが問題だろう。いつになったらできるのかな、なんて不安はたまに感じるけれど。
 五色はどうしてわたしのことを好きだと思ってしまったんだろう。簡単に人を好きになるタイプの子じゃないだろうに。よっぽど恋人とかそういう関係に憧れがあったのかもしれない。そんなときに身近にいた異性がわたしだったってだけの話だ。可哀想に。まだクラスメイトとかだったらよかったかもしれないのになあ。大学に入れば新しい出会いがあるだろうし、きっと好きな子が見つかるよ。羨ましい。そんなふうに思ってちょっと微笑ましくなった。

「会社でいい感じの人もいないの?」
「いない……あ、一応告白されたことはある」
「それも断ったの?」
「うん。そういうふうに見たことなかったし。でも良い人だよ。家まで送ってくれたりして」
「……大丈夫? 送り狼とかじゃないの、それ」
「ちょっといろいろあって送ってくれてるだけ。大丈夫だよ」

 天童がなんとなく複雑な表情を浮かべた。「な〜んか警戒心足りなくない?」とちょっと叱られてしまう。そうかなあ。でも、あの靴音の件もあるし、できればこのまま先輩の厚意に甘えてしまいたいのが本音だ。まだ誰にも相談していないけれど、先輩に送ってもらうようになってからもちろんあの靴音は一度も聞いていない。車を降りてからアパートの部屋までの道のりが不安だったけどさすがにアパートで待ち伏せしているなんてことはないようで。ここ最近はすっかりその存在を忘れていたくらいだ。

「ちなみに工からの告白はなんて断ったの?」
「え、ごめんねって言った後に五年経っても好きだったら付き合おっかって言った」
「ウワ〜悪女」

 悪女って。そう思ったけど、よくよく考えてみれば確かにそうかもしれない。あのとききっぱり断ったほうが五色のためだったかなあ。今更そう思っても遅いのだけど。でも、なんとなく断りがたくてきっぱり言えなかったのだ。
 少し引っかかる。断りがたくて。なんでだったっけ。五色があんまりにもかわいい顔をして寂しそうにしていたからだっけ。ああ、そうだ、フラれて落ち込むのが可哀想だと思ったからだ。どうせ勘違いだしそのうち忘れるだろうと思って。あの場だけ切り抜けられればと思って出た言葉だった。

「なんで会社の先輩はきっぱり断ったのに、工はきっぱり断らなかったの?」


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