コツ、と靴音が夜道に響く。最寄り駅から歩いて十分ほどかかる自宅アパートに向かって少し早歩きをしている。街灯はあるけど、遅い時間だととにかく人通りが少なくて不気味だ。いつも怖くて早歩きしている。深夜になったときはタクシーを呼ぶこともあるくらいだ。恥ずかしながら子どものころから暗いところが苦手な怖がりなもので。一人でそう恥ずかしくなりつつ、きゅっと鞄のハンドルを握って前だけを見て歩き続ける。
 そんなときだった。コツ、と靴音が聞こえた。びっくりして思わず振り返る。滅多に同じ方向に歩いて行く人と鉢合わせることはない。珍しい。そう思ったけれど、とんと誰もいない。気のせいかな。そうドキドキする心臓を宥めながらまた前を向いた。わたしのヒールの高い靴音しか聞こえない。なんだ、気のせいか。そうほっとしたのは一瞬だけ。またしてもコツ、と明らかにわたしのものではない靴音が聞こえた。男の人の革靴の音だ。なんとなく分かる。立ち止まるのが怖くて歩きながらそうっと振り返ってみるけれど、靴音は聞こえなくなったし誰もいない。気のせい、だよね? 自分にそう言い聞かせて、何も聞かないようにもっと早歩きした。



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 ため息がこぼれる。そんなわたしに同期の子が笑って「何〜寝不足〜?」と声をかけてくれた。全くその通り。「ちょっとね〜」と誤魔化しておいたけど、本当は、とても困っている。
 最寄り駅から自宅アパートまでの十分ほどの道のり、ずっと、靴音が後ろから着いてくるようになった。振り返っても誰もいないし、人通りが多い時間帯のときもある。怖がりすぎて気のせいで聞こえるようになっているのだと思う。本当に誰かにつけられているか分からないから相談もできないまま一週間が経った。
 昨日、ついにアパートの階段までついてきた。階段を上がる靴音が聞こえて、怖くて走って部屋に入ってすぐ鍵を閉めた。ドアの向こう側に靴音が聞こえてきて、コツ、コツ、コツ、コツン、と、わたしの部屋の前で、止まった。怖くてドアスコープを覗くなんてできなくて、足音を立てないようにそうっとリビングに行って、電気を付けず何もせずただただじっとしていた。しばらくしたら小さく靴音が聞こえて、どうやら去って行ったことを悟る。それでもしばらく動けず、結局昨日は一睡もできないまま朝を迎えてしまったのだ。
 どうしよう、家、帰りたくないな。そうしょんぼりしてしまう。今日も残業だったからもう外はすっかり夜だ。嫌だな。気のせいかもしれないし自意識過剰かもしれないけど、怖いものは怖い。タクシー呼んでおこうかな、もったいないけど怖いよりはマシだ。

さん」
「あ、先輩。お疲れ様です」
「お疲れ。このあと時間ある? この資料、まとめるの手伝ってほしいんだけど」
「あー……いいですよ!」

 帰りが余計に遅くなってしまった。でも遅くなると怖いから、なんて断りづらくて。先輩にはお世話になっているし手伝えることなら引き受けたかったし。仕方ないか。そう思っていると先輩が「あ、帰り遅くなっちゃうよね」と苦笑いをこぼした。うわ、どうしよう。ちょっと嫌そうな感じが出ちゃったのかな。申し訳なく思いつつ「いえ大丈夫です!」と慌てて笑顔を作る。

「本当? 帰りちゃんと送ってくからさ、お願いしてもいいかな」
「えっ、いいんですか?」
「そりゃもちろん。車だし」

 一気にほっとする。先輩には申し訳ないけど送ってもらえるなんて本当に有難い。先輩に「約束ですよ」と笑って言っておくと「了解」と言ってくれた。
 そのあと、送ってもらっている間、先輩が「さんが良ければこれからも送ろうか?」と言ってくれる。さすがに申し訳ないから断ったのだけど「夜道を歩くのって怖くない?」と言ってくれて、先輩の迷惑にならない範囲で送ってもらえることになった。申し訳ないけど、ほっとした。優しいな、先輩。あのときフッちゃったの、もったいなかったかな。そんな失礼なことを思いつつ、楽しい話をしてくれる先輩の横顔にほっとした。よかった、もう怖がらなくていいんだ。そんなふうに。



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さん!!」

 泣くんだか喜ぶんだかどっちかにしなよ。そう笑いながら手を振る。
 春高予選宮城県大会決勝、白鳥沢学園は準優勝で終わった。瀬見、山形、大平、わたしの四人で見に来たのだけど本当に良い試合だった。良い試合だった、なんて五色たち選手には口が裂けても言えないけれど。選手にとっては良い試合だったとしても負けは負け。その悔しさを思い出して、瀬見たちもなんだかちょっと切ない顔をしていた。
 五色より下の代の子たちが「あの人が例の」とこそこそしている。どうやらわたしのことを言っているらしい。五色、何を吹き込んだんだか。そうちょっと呆れつつ「久しぶり〜」と笑顔を向ける。

「おひっお久しぶりです!」
「五色変わってないね〜。でも、しっかり主将やってたじゃん。かっこよかったよ」
「本当ですか!」
「本当本当。かわいい後輩に変わりはないけどね」

 山形が「俺らもいるんだけど〜?」とちょっと茶化すような声で言う。五色はハッとした様子で「お久しぶりです!」と頭を下げた。いや、遅いから。そう全員でけらけら笑っていると鷲匠監督がやって来た。四人ですぐに挨拶をしに行くと、現役のときには滅多に見たことがない満面の笑みで迎えてくれた。
 かっこいい白鳥沢のバレーは変わっていなかった。牛島が卒業して弱くなった、なんて言われたら悔しいなって思っていた。だから、変わっていないことが何より、わたしにとっては、嬉しかった。
 斉藤コーチも合流すると簡易OB会みたいな光景になる。コーチが辺りを見渡して「牛島と天童はいないか」とちょっと寂しそうに言った。まあ、牛島は言わずもがなだし、天童は天童で忙しいらしい。去年は二人とも一回ずつくらいは試合を観に来たらしいけど、それ以来は来ていないのだという。残念そうにするコーチとは裏腹に監督は「忙しいならいいことだ」と嬉しそうだった。
 そうっと輪から抜け出してくるりと振り返る。バチッと五色と目が合った。さっきから視線を感じていたのだけど、やっぱり五色だったか。そうちょっと笑いをこぼしつつ「進路決まってるの?」と声をかけてみた。五色は「ハイ!」と笑顔で答える。元気だなあ。かわいい後輩だ、相変わらず。

「進学することにしました!」
「そっか、じゃあ受験勉強頑張らなきゃ……って、スポーツ推薦だよね、五色なら」

 すごいもんね、五色は。そう言ったらちょっと照れたらしくて「もっと頑張ります」と赤い顔で言われた。かわいい。やっぱりかわいいままだなあ。
 監督たちと話し終えた大平たちが戻ってくる。白鳥沢学園も帰り支度をはじめているようで、コーチが五色を呼んだ。主将頑張ってね。そう声をかけたら「大学受かったら、連絡していいですか」と聞かれた。だめという理由はない。「いいよ」と答えたら「ありがとうございます!」と元気に言って、走って行った。


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