大学二年の夏。今でも少なくとも週に二度は必ず来ているがずっと入院している病院に、今日もお見舞いに来た。今日は土曜日だ。この時間ならの両親も来ている。その時間を狙ってきた。
 もう顔パスで入れてくれる看護師さんが「孤爪くん、YouTubeやってるでしょ?!」と話しかけてきた。なんでも中学生の息子さんがおれの動画を見ていたのだという。それはどうも。もうすっかり慣れた営業スマイルで答える。こっそりお願いされたのであんまり書いたことはないけどサインを書いて、写真を撮った。これからもどうぞ宜しくお願いします。そう言ったら「大人になったわね〜」としみじみ言われた。おれもそう思う。
 この前、とある会社のパーティーに招待されてしまったので嫌々今後のために行ったら、たまたま医療関係者がいた。子どものころは小難しくて覚えられなかったの病名を伝えて良い治療法はないか聞いてみたら、先進医療での病気に有効的と言われている治療があると教えてくれた。病状によっては手術が必要で、その手術と治療ができる上に腕が良い医師がいるのは東京都内では一つだけ。政界の重鎮や超有名芸能人などばかりが通う、所謂セレブ病院だった。入院費用はが今入院している病院の三倍以上。その代わりに手厚い治療が受けられることが人気で、基本的に転院するには紹介が必要だと言われた。なるほど。の両親もその治療のことは知っているに違いない。でも、一般家庭にはとてもじゃないけれどどうにもできない金額だ。泣く泣く諦めるしかないというのが現状なのだろう。営業スマイルでその医療関係者にお礼を言って、パーティー会場を出てすぐスマホをポケットから出した。
 歩き慣れた病室に続く廊下。見慣れた扉の前で立ち止まって静かにノックすると中からのお母さんの声がした。思った通り。やっぱり来ていた。「研磨だけど」と声をかけてからドアを開けると、が嬉しそうな顔をして「研磨だ!」とはにかんだ。の両親も笑って「パソコンで見たわよ、動画」と言う。ちょっと恥ずかしい。たちにはいつもの営業スマイルが出せない。照れてしまって。情けなく思いつつのお父さんが出してくれた椅子に座らせてもらった。

「話したいことがあるんだけど」

 おれ、怒ったら、一生忘れないタイプだよ。喉の奥で言っておく。の両親も「何?」と首を傾げた。親子って似るよね。は目元がお父さんにそっくりで、鼻筋はお母さんにそっくりだ。性格やこういうときのリアクションは一家全員似ている。子どものころからよくそれが面白くてこっそり笑ったっけ。
 のスマホが置かれているベッドテーブルの上に、そっとそれを置く。「様」と書かれた封筒を見てがきょとんとした。「手紙? 研磨が書いたの?」と首を傾げながらその封筒を手に取った。反対側を見たは余計に首を傾げて「○○病院?」と不思議そうに呟いた瞬間、のお父さんが「えっ」と驚きの声を上げた。やっぱり、知ってた。そう思っているとのお母さんが「なんで」と驚きを隠せない声で言う。だけが置いてけぼりだ。
 おれの動画のファンだと公言してくれている誰でも知っている有名人。名前は伏せるけど、その人が前に喉の手術をするためにあのセレブ病院に入院したことがあると話していたのを覚えていた。人の紹介で会ったときに連絡先を交換していたし、それから何度か食事にも行った。何かあったら相談して、と言われていたのであの病院の紹介状をくれないかと頼んだのだ。もちろん快く承諾してくれて、三日後には紹介状がおれの家に届いた。

「何? どういうこと?」
「研磨くんあのね……恥ずかしいんだけどわたしたちでは、とても」
「とりあえず一年の入院で必ずかかってくる入院費は払ってあるよ」
「…………は?」
「手術とか特殊な治療とか、そういうのはまだ入院してからじゃないと金額も提示してくれなかったけど」
「ねえ、何? 何の話?」

 まさに口があんぐりと開いている。の両親は衝撃のあまりか一切言葉を発さなくなってしまって、が完全に置いてけぼりにされる。けれど、大体の流れは分かっているらしくて、なんとなく青い顔をしているように見えた。「え、研磨、あの」と封筒を机に置いてからおれの顔を見る。

、言ったよね」
「何を?」
「大きい病院の個室に入院しても、大きい手術をしても、聞いたことのない薬を処方されても、全然なんともないってくらいのお金持ちになったら付き合っても良いよ、って」
「えっ」
「言わなかった? おれの記憶違い?」
「……い、言った、けど……」
「通帳見せようか?」
「いい! いい! 見せなくていいから!」

 見せなくていいって言われたけどの前に通帳を一応置いた。は開いてもないのに手で目を隠して「見せなくていいってば!」と言った。そのままは放ったらかしにして、今度はのお母さん。今主にやっていることをつらつら言い並べていくと、のお母さんの目が点になった。ついでにのお父さんも。おれ、二十歳になったよ。そう付け加えるとのお母さんが「えっと……」と少し困惑しながら首を傾げた。

「いろんな世界、見てきたつもりだけど」

 笑ってそう言ったら、のお母さんは思い出したらしい。おれに言った言葉を。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「べ、ベッドが恐ろしくふかふかしてそう……!」
「そりゃあセレブ病院だから。ああ、これ」
「え、何……?」
「腕に付けて。バイタルチェックができるやつ。一定時間が経つと自動で測定してナースセンターに通知が行くし、常に稼働してるから異常が出てたらすぐ来てくれるって。ナースコールもそれが兼ねてるし、いろんな測定とか記録もできるみたい。詳しくはあとで看護師さんに教えてもらって」
「は、はええ……」

 広い個室の中はホテルのスイートルームかっていうくらいの贅沢空間で、はさっきから萎縮しまくっている。その上専用の看護師さんが一人つくというのだから余計に。さっきの両親もいる中で担当医師と看護師さんが自己紹介をしにきたところだ。の両親はこれまでの病状の説明と、これからの治療の進め方の説明を受けに別室に行っている。医師たちが出て行く前に「ああ、お金のことは自分があとで聞きますので」と言ったらの両親がひっくり返りそうになっていた。ちょっと面白かったけどすっきりした。怒ると怖いでしょ、おれ。そう笑ったらのお母さんは、困ったように笑って「本当、すごく怖いわね」と言っていた。
 は今日は転院で体に負担がかかっただろうということで病室に残ることになった。そうっと部屋の隅でじっと部屋を観察している、猫みたい。おれが笑っているとそろ〜っとの視線がおれをとらえた。にこ、と笑顔で返すと「ひえ」と小さな悲鳴が聞こえた。

「部屋見ないの」
「……わ、わたし、本当にここに入院するの……?」
「嫌?」
「嫌、って、いうか……だって、ここ、すごく高そう……」
「高いよ。だから何?」
「お、お金持ちみたいなこと言う……!」
「さっきから何回も通帳見せようかって言ってるじゃん。見る?」
「見ない……」

 なんで見ないの。せっかくおれなりに頑張ったのに。楽しみながらだけど。そう笑って言ったらは黙りこくって俯いてしまう。笑ってくれない。笑ってほしいのに。
 おれはが楽しいのが一番好き。びっくりするくらい明るく弾けるように笑っているのが好き。だから、いま目の前で困惑気味に目を泳がせている顔はあんまり好きじゃない。あんまり好きじゃないけど、なんか、かわいいなって思う自分がいた。


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