「…………」
「…………」
「……あ〜、あの〜、研磨サン?」
「……何」
「非常に触れづらいんだけど、触れてもいい?」

 の検査時間が来てしまって、病室を出るしかなかった。は変な笑顔のまま「普通の女の子見つけなきゃだめだよ!」とおれに言ってから、車椅子に座らされて出て行ってしまって。だめって、何。普通の女の子って何。そう聞けないままだった。
 クロの主語がない言葉の意味はすぐに分かる。触れてほしくないけど、クロがいる前で言い出したおれが悪いから拒否できない。無言でいるとクロは肯定という意味に取ったらしい。「あのさ」と苦笑いをこぼして、少し息をついた。

「一応確認するけど、本気だよな?」
「それ聞かれておれがなんて答えると思ってる? 本気じゃないって言うと思うの? 他になんて答えると想定して聞いてるの? 他におれが答える選択肢がおれには一切思いつかないんだけど」
「はい、はい、俺が悪かった。スミマセン」

 両手を挙げてぶんぶん首を横に振った。クロはなんとなく気まずそうな顔をして「だよなあ」と呟いた。分かってるなら聞かないで。そういう意味を込めて腰辺りを叩いておいた。
 嫌がられた、のかも。の表情を思い出す。無理にいつも通り振る舞おうとしていた顔と声。あれがどういう意味なのかはっきりとは分からなかったけど、好意的なものではなかった。おれは暗いし別にかっこよくもなければ優しくもない。女の子にモテるとかモテないとか、そういうのはどうでもいいけど、まあ好かれるタイプじゃない。だって女の子だ。付き合うならクロみたいなタイプのほうがいいって思っているだろう。嫌だ、けど。

「……応援してるぞ」
「クロ」
「はい、なんでしょう」
「なんでだめなんだと思う?」

 たまには素直に意見を求めてみた。だって、ごめんなさいとか無理とかなら分かる。おれのことをそういうふうに見られないからごめんなさい、とか、急にそんなこと言われても無理、とか。でもはだめって言った。しかも「研磨の邪魔になるから」とも言った。それがよく分からなくて。なにが邪魔なの? 意味が分からない。
 おれの問いかけにクロはちょっと固まってから、「え」とまぬけな声をもらす。何その反応。おれがそう視線を向けると「研磨、お前、マジで言ってる?」と苦笑いをこぼしながら言うものだから訳が分からなくて。

「何、どういう意味?」
「いや……まあ、またと話してみたほうがいいんじゃないか」

 なにそれ、何か分かってるくせに。でもこう言い始めたクロは何を言ってももう口を割らなくなる。昔からそうだ。粘るだけ体力を無駄に消費するだけだから聞くのはやめた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「ねえ、なんでだめなの」

 部活が休みの日、一緒にお見舞いに来ようとしたクロを追い払って一人でお見舞いに来た。は何事もなかったようにけろっとしていたけど、無理やりおれから話をぶり返してやる。おれが皮を剥いたあんまりきれいなじゃないリンゴを食べようとしていた口が開いたまま、ぽかん、と固まっている。
 何が、とか言い出しそうだったから先回りしてやる。じわじわとの顔が赤くなったからようやく話の流れを理解したことは分かった。リンゴを食べるのをやめたから、落とすといけないと思って回収してサイドテーブルに置いておく。はぼそりと「ありがとう」と言ってから俯いてしまう。ちょっと赤かった顔はもういつも通りの顔色に戻っていて、ただ考え込んでいるだけのがいる。断り方を考えているのだろうか。そうちょっとへこんでいると、が「わたし」ととても小さな声で呟いた。

「病気、治らないかもしれないんだよ」
「知ってる」
「すぐに体調が悪くなるし、入院しなきゃいけないし、発作も起こすかもしれないんだよ」
「知ってる」
「わたし、研磨の負担になりたくないよ」

 本当に小さな声が震えていた。のそんな声を聞いたのははじめてでちょっと怖気付いてしまう。泣かせてしまう、かもしれない。そう思ったけどやっぱり今のナシ、なんてことにするつもりはなくて。

「お母さんもお父さんも、わたしのせいで疲れた顔になっていって、どんどん元気がなくなってくの」

 ぽたりと掛け布団に一粒涙が落ちたのが見えた。が病気になってからはのお母さんは正社員として働いていた会社を辞めて、それなりに融通が利くパートをはじめたそうだ。のお父さんは出張や転勤をどうにか避けてもらえるように会社に交渉して、部署を異動になったらしい。こっそり母親から教えてもらっただけだから詳しくは知らないけれど、のことを第一優先で考えていることは分かる。

「わたしが発作を起こすといつも泣くの」

 それは当たり前だ。だって、が苦しんでいたらおれだって泣くかもしれない。必死になって表情なんて取り繕う余裕なんて絶対にない。そんなの、当たり前だ。

「いつかね、そういうのにうんざりしちゃって、わたしのこと嫌いになっちゃうんじゃないかって、いつも思うよ」

 そんなわけないじゃん。のお母さんとお父さんがそんなふうに思うわけないじゃん。なんでそうなるの、ばかなの。ぽたぽた落ちるの涙が嘘みたいにきらきら光る。開いた窓から吹き込む風に髪が揺れると、遠くのほうで遮断機が下りる音が聞こえてきた。もう少しで面会終了時間だ。そのうち看護師さんが声をかけに来るだろう。意外と冷静にそんなことを考えていると、がそうっと顔を上げた。ぽろぽろ涙が流れているけれど、はいつもみたいに屈託なく笑った。

「研磨もね、わたしと一緒にいるといつか、そうなるよ」

 でもすぐにまた泣き顔になった。は子どもみたいにべそべそ泣いたまま「だからだめ」と言う。

「わたし、研磨が、楽しくなくちゃ、嫌だよ」

 びっくりした。おれと一緒だったから。おれもが楽しくなくちゃ嫌だ。同じことを考えているのにどうしてだめなんだろう。の手を握ろうと、手を伸ばしたのだけど、それより先にが自分の手で涙をごしごし拭いて、ぱっと顔を上げた。真っ赤になった目。それを無理やり笑顔に変えた。

「研磨がすっっっごいビッグな人になったらいいよ!」
「はあ?」
「わたしがおっきい病院の個室に入院しても、おっきい手術しても、聞いたことないすごい薬を処方されても、全然なんともないってくらいのお金持ちになったら、研磨と付き合っても良いよ!」
「なにそれ……」

 呆れた。思わずそう笑うとがようやくいつもみたいに笑った。はぱんっと手を叩いて「この話終わり!」と無理やり話題を完結させる。それから間髪入れずに「ねえねえ、バレー部最近どう?」と何事もなかったように話し始める。
 も知ってるはずなのに、今この瞬間はすっかり忘れているらしい。おれ、怒ったら、一生根に持つタイプだよ。にっこり笑って「ふつう」との質問に答えておいた。


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