自己紹介で盛大に自分の名前を噛んだは、持ち前の明るさと人懐こさですぐにクラスに溶け込んで、女子とも男子ともすぐに仲良くなった。まるで病気なんかしていないみたいに。腕にたくさんある針の痕を長袖のシャツで隠して、屈託なく笑っていた。
 一通りクラスの人と話してからおれの隣の席に戻ってくる。せっかく仲良くなったんだから喋ってくれば良いのに。そう思っていると「研磨、数学どこから?」と教科書を広げる。もうすでに授業は少しだけ進んでいる。「ここ」とページをめくって指を差せば「結構進んでる!」とショックを受けていた。
 退院してから丸一日は家で様子見、それからようやく学校に登校してきたに、一人だけ遅れたわけを聞く人がたくさんいた。は詳しいことは話さなかったけど「入院してたんだ」と返していた。みんななんだか聞いてはいけないことを聞いてしまった、みたいな顔をしてそれ以上話題を広げることはない。それはそうだ。病気をしているのか、なんて気軽には聞けない。は特に気にしていないようだったけど、ちょっと突っ込んだ質問をしてきた人には「元気だけど走ったりしちゃだめなんだって」という程度に説明をしていて。おれにはすぐ教えてくれなかったくせに、とちょっともやもやしてしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「あ、クロだ!」
「廊下を走るな〜」

 昼休み。校内を軽く見たいと言ったと一緒に歩いていると、ちょうど購買に行く途中のクロをが見つけた。駆け寄ろうとしたにクロが笑って注意したのを、じっとクロと同じクラスらしい人が見ている。知らない人。そう思うと一瞬で体が縮こまった。

「クラスどうだ? 友達できたか?」
「できた!」
「さすがコミュ力の塊〜」

 けらけら笑うクロが「何してんだ?」とおれとを交互に見る。それから一緒にいた人に「悪い、先行って」と声をかけると、その人は「じゃあな」と笑って歩いて行く。ほっとした。バレー部の人ならまだしも、全く知らない人に会話を聞かれるのは好きじゃない。クロはそれを察したんだと思う。助かった、けど、ちょっとムカつく。自分勝手だとは分かっているけど。

「学校の中、研磨に案内してもらってるの」
「あーそういうことな。あんまりはしゃぐなよ。すぐ転ぶし」
「今日はまだ一回も転んでないよ!」
「普通はこれくらいの年齢になったら滅多に転びませ〜ん」

 の頭をくしゃくしゃ撫でる。クロは最後にの頭をぽんぽん叩いて「ま、研磨が一緒なら大丈夫か」と笑った。なにそれ。まあ、別に良いけど。じろりとクロを睨むと目が合った。クロはにやにや笑って肩をすくめるとおれの頭をがしっと掴んで乱暴に撫でた。やめて。そう体ごと避けると「照れ屋だな〜」と笑われる。うるさい。無言で睨んだから「おー怖い怖い」と余計に笑われた。
 クロは「じゃ、またな」と言って購買のほうへ歩いて行く。がぶんぶん手を振っているのを引っ張ると、にこにこ笑ってクロに背中を向ける。図書室へ歩いて行きながら何でもない話をする。と話すのは昔から楽だ。何を話してもは楽しそうに聞いてくれるし、からもたくさん話してくれる。気を遣わなくて良い。そんな女の子はおれにとってだけだ。これまでも、これからも。たぶんずっと。

「今日も部活ある?」
「ある……けど、なんで?」
「覗きに行きたい!」
「えー……」

 正直、今の部活は、あまり好きじゃない。三年生の先輩が特に。クロがいなかったら入ってすらないし、万が一入っていてももう辞めている。クロがいる今だってもうとっくに辞めてしまってもいいくらいなのに。そんな部活をに見せたくなかった。だって、たぶん見ても楽しくない。が楽しくないなら嫌だ。そんなふうに思うから。
 なんて言ったら、諦めてくれるかな。中学のバレー部を覗きに行きたい、と言い出したら何を言っても聞かなくて。こっそり見に来たを顧問の先生が笑っていたっけ。「中に入って見ていったら?」と言った先生にパアッと音が聞こえそうなほど嬉しそうな顔をして、そそくさと先生の隣に来たのが面白くておれとクロは大笑いした。でも、高校の部活はそういう感じじゃない。が明るい顔をするような光景が一つもないから、困った。
 おれがから視線を外して考えていると、が回り込んでおれの顔を覗き込んだ。不思議そうな顔をしてから「見に行っちゃだめ?」と首を傾げられる。答えづらい。なんて言えば良いか分からなくて「あー……」と気まずく返したら、はにこっと笑った。

「じゃあ見に行かない!」
「あ、そう……?」
「うん!」

 そう言ってからふと視線を少しだけ下に向ける。「その代わり!」と明るい笑顔をおれに向けると、おれの右手をきゅっと掴んだ。「手、繋いで」と嬉しそうに言うと勝手におれの手を引っ張って図書室に続く廊下を歩き始める。いいって言ってない。まあ、別に嫌じゃないし、いいか。諦めてくれたのならそれが一番だ。ちょっとかわいそうかな、とは思ったけど。

「研磨、手大きいね」
「別に大きくない……が小さいんじゃない?」
「そうかな?」

 何度かおれの手を握り直して「えー大きいよ」と笑う。嬉しそうな顔。の嬉しそうな顔を見るとほっとする。大丈夫、何も変わらない。昔のままのだ。そう思える。

「研磨、部活は見に行かないから、話は聞いてもいい?」

 部活の人のこととか、練習のこととか、練習中のクロやおれのこととか。はそう笑って言うと、ちょっとだけ強く手を握り直した。その意味はよく分からなかったけれど話をする分には構わない。「いいよ」と返したら、にこっと笑っていた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「えー、ちゃん、体育見学なの?」
「一緒のチームに誘おうと思ってたのに」

 同じクラスの女子の声。ふと視線を向けるとが苦笑いをこぼして「バスケできないんだ」と言っていた。息が上がるようなスポーツをはできない。バスケもバレーも、たとえばドリブルの練習とかパスの練習くらいならできるけど、試合は参加できない。何があるか分からないし、学校側も責任を負いきれないからだ。
 残念そうにする女子にが拳を握って「その代わりいっぱい応援するよ!」とチアリーディングの真似をする。それを見た女子二人は笑って「ちゃん、それ盆踊りみたいだよ!」と楽しそうに言った。
 病気になってからは体育の授業は休みがちだし、体育祭もほとんどテントの下で見学で、マラソン大会は先生に言われてタイム計測をしていた。それを一度だけ「いいな」と思ってしまったことがある。すぐに「あ」と思ってなかったことにしたつもり、だけど。おれの中でなんとなく罪悪感になって残っている。だって、はやりたくないからやらない、じゃなくて、やりたいけどやれない、だから。おれとは違う。は全部本当はやりたいのに。それを口にしたことがないから忘れかけていた。
 どうしてが病気になってしまったんだろう。よくそう考えてはなかったことにする。だって考えたっての病気は治らないし、良くもならない。どうして、なんで。本人も言ったことがないそれをおれが口にできるわけがない。おれよりも、クロよりも、誰よりも、がそう思っているはずだから。でもはそれすらも口にしたことがない。病気のことはほとんど自分から話さない。だから、おれからも触れられない。


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